山を駈ける風になれ2000年1月号

'99 12月27日
島田一志様

お元気ですか、本年最後の報告です。19日はおつかれ様でした。久しぶりに手応えのある
MTB山行きができました。一人ではきっと躊躇したであろうヤブもみなさん強者揃いで
思い切って行くことができました。あとは島田さんのダジャレ攻撃に抗体を作っておけば
バッチリです。

 今年はいろいろありました。特に小著を出版した関係で多くの人との出会いがありました。
中でも島田さんとの出会いはその最たるもの(昨年の今ごろはこうやって毎月ツーレポを
作成するなんて夢にも思っていませんでした。自分自身に対するいい励みになっています。)
ですし、慶佐次先生にもお目にかかることができました。

 今月の島田さんのレポートはいつにも増して楽しみです。かって多田繁次氏と慶佐次氏が
一緒に登られた山の紀行文を各々の著書で紹介したように報告し合うわけですから。まあ、
両先達のように山に対する造詣は深くもない私ですが、島田さんのHPをご覧になる方に
とっても、いつもとはまた違った楽しみ方ができるのではないかと思います。

 先日、長年探していた寛政11年版「丹波国図」(勿論複製ですが)を入手しました。
何年か前、柏原の歴史資料館で実物を見て以来、その迫力ある山岳の描写に是非とも手に
入れたいなと思っていたのですが、12月3日勤務場所と道を挟んで斜め向かいのビルの中の
紀伊国屋がオープン、地図コーナーにあるのを見つけたというわけです。「丹波国図」は
摂津や播磨のに比べ山名が多く記入されているので非常に参考になります。休みの日は
飽きもせずに眺めては昔の道をトレースしています。

 さて、近況報告です。

12月4日(土) 亀岡/金山(2.5万図 埴生)
 瑠璃渓の南東に位置する金山(692.3m)は、周囲を深山、半国山、横尾山、剣尾山といった
北摂最高峰群に取り囲まれているせいか、地味で目立たない山である。しかし700m近い標高と
明確な登路がないという「条件」は、ヤブ山好きの心を捉えるには十分なものがある。6時30分
自宅を出発。川西能勢口を回り一路北上する。途中、屏風岩の近くにあるコンビニ風の店で食料補給。
おやじさんから「むきにくいけどおいしいよ」と春日町から仕入れてきたという地鶏のゆで卵を頂く。
泉郷峠を越え籠坊に入ると顔に当たる風が一段と冷たさを増す。天王から瑠璃渓を越え、途中の分岐から
杉ケ沢、「りんご村」とおぼしき場所はなにやら工事中。工事現場との境界フェンス沿いに雑木林の
中を無理矢理登ろうと試みるが悪戦苦闘。踏跡も無くとても登れたものじゃない。一旦フェンスを
越えて歩きやすそうな斜面を歩いていると、でたぁ〜まあたしても頭蓋骨! といってもシカのですが。
ツノがネットにからまった状態で白骨化している。可哀想に、まだ若いシカのようだ。で、どうにも
ルートがつかめず元の鞍部に戻る。今度は亀岡市との境界杭から再挑戦だ。しかし、これも2番目の
杭を過ぎた先で完全なヤブ。私の実力では元の場所に戻って来れる自信はない。残念だが登頂を断念。
南に伸びるシングルトラックを抜け、畑野に続く林道に出たところで小憩。サンドイッチと頂いた
ゆで卵を食べながら(うまい)再挑戦を誓った。(本日の走行距離91km)

12月11日(土) 八百里山(2.5万図 村雲)
 八百里山の頂上に城があったことは慶佐次盛一氏の『兵庫丹波の山』にも記述がみえるが、寛政11年
『丹波国図』には姿のいい山の絵と「八百里 古城」の文字が書かれている。なんとなくその絵に惹かれて
予定を変更して登ることに。
 晴れの予定がどんよりとした空、その内晴れてくるだろうと6時34分出発。R176を北上する。
古市を過ぎた辺りから雨がポツリ。篠山城下をむける頃にはしっかりとした雨になってしまった。
8時50分瀬利に到着。雨が止んできた。八百里山の上空には青空も見える。これならと南東麓にある
歓喜天から登り始める。登路は朱塗りの鳥居をくぐったところから。コナラ、クヌギ、ホウノキの落ち葉が
厚く堆積した山道で10分ほど登ると尾根筋に出る。ここには小さな祠と古墳がある。よく注意しないと
ただの露岩と思って通り過ぎそうな小さな古墳で、天井部分の岩が床部分に向かって縦に落ちている。
誰の墓だったのだろう。さて、尾根筋を北西方向に行く。雑木ヤブで踏跡程度の径だが、しっかり辿れば
15分ほどで山頂に。高城山(八上城)の本丸跡よりも広いように思えるが、雑木が茂り見通しは今一つだ。
北端の小高いポイントから北の展望が開けており、三嶽、小金ヶ嶽がのしかかるように聳えている。
足元は濡れているし風も冷たいので歓喜天まで戻り軽食タイム。追い風に助けられ快走できたものの
結局三田に戻ってくるまで時雨れていた。(本日の走行距離112km)

八百里山
西瀬利のバス停付近から

12月19(日) 三田・篠山/三国岳〜愛宕山 (2.5万図 篠山)  島田さんから頂いたレターで19日は上記の山々を巡る予定と知り合流することに。三国岳は5年ぶり、 愛宕山は約4年ぶりである。「9時30分美濃坂峠」と待ち合わせ場所を決め、6時30分自宅を出る。 最低気温2℃という割にはさほど風は冷たく感じられないが、思ったようにスピードがあがらない。 こういう気温の低い時に時々感じる「空気が重い」現象だ。杉生、後川上、後川奥、永沢寺と走り、 9時21分に美濃坂峠に到着。何時の間にか「三国公園」の札が立ち、休憩所までできている。 すっかり変わってしまったあたりの様子を眺めていると、私を呼ぶ大声が山にこだまする。「え、 いったいどこから?」とあたりを見回すとMTBで峠を越えてきた4人が次々と登場。小枕に車を停めて 急坂を駆け上がって来たという、頼もしい人達だ。ここで改めて自己紹介。島田さんのHPでそのお名前 だけは存じ上げていた向井さんを始めいずれも劣らぬシングルトラック狂達。挨拶もそこそこに、まずは 三国岳を目指す。急坂を登ってきたばかりだというのに林道をガンガン登っていく4人、今日は面白く なりそうだ。9時44分山頂に着く。挨拶がわりにまず1座、登山口から15分足らずだ。この山頂からの 眺めは「凄い」の一言に尽きる。東は能勢の深山から多紀連山、そして何と今日は粟鹿山まで見えるでは ないか。にぎやかに山座同定をし、記念写真を撮り合って下りに入る。急斜面もなんのその、みんな 豪快に下っていく。乗車率90%、これぞMTB山行の醍醐味、アッという間に三国公園まで戻って きてしまった。
三国岳
三国岳頂上で記念撮影

 さて、次は市境の尾根筋を辿って愛宕山を目指す。距離はかなりある。明快な切り開きがあれば夢の快走路、 さもなくば難行苦行のヤブこぎ...。『丹波森の径』にある峠すぐ西のベンチのある展望台から稜線を辿ろうと 三国公園と道を挟んで反対側の岩場に続く踏跡をMTB担ぎ上げて進めばすぐに展望台に。が、先はヤブで 通行不能。仕方なく一旦道路まで戻り、カーブを1つ下がったところから西の茶畑に向かってのびる林道 から尾根筋に取り付くことに。茶畑で道が途切れているというのはお決まりのパターン、イバラと格闘し ながら強引に尾根筋に上り軌道修正し北へ。575mのピークと間違えてCa570mのピークから 美濃坂峠への道を下り書けるという失敗もあったが、ここでも早めに修正、赤いリボンが巻かれた左へ 下る道をとる。夢のシングルトラックが断続的に現れる。奇声をあげてカッ飛ぶ5人。赤いリボンを 忠実にトレース、鞍部に下ってまた上り返し11時25分543mの4等三角点に着く。こまめに地図で 確認を入れる島田さんと、アバウトな向井さんと私。おおまかな地形のアウトラインは頭の中に入っているので 大きくはずれることはない。535mの標高点の手前を巻く道を一旦林道に出、茶畑の道をショートカット。 つきあたりに古いお地蔵さんが立っている。多田繁次氏の著書にも登場する首無し地蔵である。頭部の代わりに 石がくっつけてある。そこから再びヤブを漕いで尾根筋に上がり少し進むと雑木に囲まれた小広い所に着いた。 「山頂まであと15分ぐらいだろう」と島田さん。12時30分、ここで昼食にする。大勢でワイワイ話を しながら食べるのもまたいい。食後の島田さんのオカリナも登場(一同拍手)。一息ついた13時過ぎ頂上を 目指して再び出発する。標高600m地点を越えたところで竜蔵寺方面からと思われる道と合流する。 「向井山坂」、「愛宕山へ」という標識が立っている。朽ちた巨木の間を擦り抜けるように急坂を登れば 「如意ヶ峰」の木札が立つ山頂へポンと飛び出した。愛宕山北峰である。13時17分。少し南へ行った ところに「あたご山」の標識が立っている。4年前に比べると木が少し繁った分だけ大展望とはいかないが、 それでも十分過ぎる眺めが広がる。朝は霞んでいた粟鹿山もはっきりと見え、篠が峰、千が峰、そして真北には 福知山の三岳山まで見える。ここでもにぎやかに山座同定。ポンポンと山名が飛び出す。同じ趣味を持つ者同士、 『テレビチャンピオン』の決勝戦もかくやと思わんばかりの山名の応酬、13時30分、中尾の峰までは無理、 次回の宿題ということにして一応650mの南峰を踏み、鞍部のところで竜蔵寺方面へ、下るという4人と 別れ旧新田村へ下った。(本日の走行距離100km) 12月25日(土) 鴻応山 (2.5万図 法貴、妙見山)  先週の三国岳は三角錐のすっきりとした山だったが、今日の鴻応山も同様に姿のいい山で北摂の名山の一つに 数えられる山である。三角錐=MTB乗車率の低い山、ということで敬遠してきたが、必ずしもそうとはいえない というのは、先週の三国岳がいい例である。6時40分出発。低気圧が通過した後で風が吹き荒れている。 おかげで思うようにペースがあがらず苦戦。おまけに能勢の民田からR173へ下る左カーブで、凍結した路面に 突っ込み転倒、40km/hを越えていた割には左ヒザを擦りむいただけで済んだがそれにしてもものの見事に 滑ったものだ。MTBも大丈夫なようだし安全運転で再スタート、名月峠、堀越峠を越えて南に走り、9時20分 亀岡市西別院町神池の集落に到着。目の前に鴻応山が大きくその翼を広げている。登りは牧から。ため池を右手に 見ながら集落に入り、田んぼの畦道を横切って小さな池が3つ並ぶ南側の林道に入る。一般に紹介されている道では ないが、しっかりとした巾の道がついている。と思ったら途中でぷっつりと途絶えてしまったが、東の尾根筋まで あとわずか。MTBを担いでヤブをこぎ、9時41分、551m標高点の少し南の尾根に合流。落ち葉が厚く堆積した いい山道が続いている。山頂まで1本道だ。アカマツを中心とした雑木林で所々背丈も没するほどのササが現れるが、 ラクラク押して上がれるなだらかな登りが続く。640mポイントで道は北西に転向。1つコブを越え乗車したまま 10時05分山頂に着く。雑木に覆われた山頂で中央が少し窪んでいる。気温3℃。南面の陽だまりでし増し休憩。
鴻応山
鴻応山山頂

10時25分下山にかかる。ハッキリいってほど100%乗車できそうだ。途中20人ほどの中高年ハイカーの一行と すれちがう。下りは痛快の一言。ササの海を潜り分厚い松葉の絨毯の上をカッ飛び、いい調子で下っていると右目に 木の枝があたり、片目状態に。どうもアクシデントの多い日だ。更にクリ園に下る分岐を、大歳神社の北に下りる 分岐と間違え尾根を直進。次々に現れる仕事道を適当に進んでいると、何と牧の南はずれに下りてきてしまった。 頂上から15分、これだけ完璧に乗車できる山も珍しい。傾斜も緩いし、初級コースとしては最適ではないだろうか。 また麓近くは仕事道の分岐がいくつも現れるが、どこへ入り込んでも何とかなりそうだ。(本日の走行距離78km) と、以上のようなところです。  12月19日のレポートは時間に多少食い違いがあるかもしれません。島田さんの報告に合わせておいて下さい。  1月は宝塚北部の山で新年初走りをした後、篠山/法連坊山、三田/小柿山、山南/竹林山または天徳山、 旧丹南/御狩山などを計画しています(実際はどうなるかわかりませんが)。  また、1月23日(日)は大阪低山跋渉会が川西の岩根山〜鳥脇山を歩く予定とのことで、MTBで参加しようか などと考えています。 1999.12.27

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