山を駈ける風になれ2007年10月号
2007年9月22日(土)春日・三和/三春峠~大谷(2.5万図 宮田、市島)
暑い日が続く。もうお彼岸だというのに今日も35℃まで上がるという。昨夜は熱帯夜だったのに何故かぐっ
すり眠れ、早々と目が覚め。しっかり朝食を摂って5時27分ロードで出発する。今日は栗柄峠周辺の峠を繋
いで小さく周回する予定。
まだ6時前だというのにR176はやけに交通量が多い。遠方まで墓参りに出かける殊勝な人が多い?いやト
ラックの割合が多いようだ。蒸し暑くいつもより1分遅いペースで赤坂峠を越え、徐々にペースを上げながら
三田、古市を通過、篠山盆地に入る。鐘ケ坂に向かう辺りで丹波霧に包まれる。道端の田んぼ脇にはヒガンバ
ナも見られるし、季節は秋に向かってはいるようである。
鐘ケ坂トンネルを抜けたところで小型のバスが追い抜いていく。これ幸いとドラフティング、ラクラク60k
m/h台でくっついて下れるが、どうかすると追いついてしまいそうになりながら柏原に。更にR175を走
って、石生、黒井を通過。野村で県道に入り、三尾山麓の西中山にあるコンビニで食料補給をする(8時11分)。
だいぶ気温が上がってきた。しっかり“ブランチ”を食べたところで再び出発、東中山で北に折れ、大路小の
手前を右折、三春峠に向かう。日陰のないカンカン照りの道を走る。両側に山が迫ってきたと思ったら道は一
車線になり斜度が増し始め、同時にスピードはがくんと落ちる。
17日にやった北摂連続峠越え(レポートは作らず)の疲れが残っているのはわかっていたので思いっきりギ
アを軽くして“開き直り走行”でゆっくり上り始める。最初の大きなカーブを曲がってすぐの山側に『遊歩道』
の朽ちかけた標識が目に入る。この峠を上るのは3回目だが、初めて見たように思う。走りながら見たところ
ではとても気持ちよく『遊歩』できそうな趣きではない。
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視界が開けてきてもまだまだ上りは続く |
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それにしてもこんなに何度も曲がったっけ、というくらいカーブが続く。狭い道をワンボックスカーが抜いて
いく。汗だくでヘロヘロになりながらようやくにして三春峠に到着(8時59分)。
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三春峠 |
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さっき追い越していったワンボックスカーが停まっている。50台後半か、東屋で夫婦が弁当を食べている。
これから若狭の方まで釣りに行くのだという。先月小浜まで走ったばかりなので話に出てくる地名はまだ鮮明
に覚えている。
この暑さで予定を変更、ここから大谷まで山歩きをすることにする。たぬきさんのレポートに最初のヤブを突
破すればあとはしっかりした山道が付いているとあったのを思い出し、峠開通碑の裏手からイバラ藪を突進し
て、藪の中に転がっている小学校の登山記念標を跨ぎ、山道に出る。短パンなので両膝が血まみれになってい
る。久しぶりに“勲章”を付けてしまった。
すぐに府県界の尾根筋に。クモの巣を別にすれば歩きやすい。一旦登って下れば昔の三春峠か。ここから北西
に10分ほど歩けば4等三角点の埋まる大谷山頂(470.0m)に着く(9時27分)。
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三春峠旧道 | 大谷山頂 |
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展望は無いが登頂標の無い静かな“いい”山頂である。飲み物をロードのボトルケージに差し込んできたまま
なので山頂でのんびり憩うわけにもいかない。快適な山道はまだ続いているが峠に戻ることにする。
あと1ヶ月もしたら快適な山歩きができそうだ。戻りは旧の峠を過ぎたところから府県界を通らずに平坦な谷
を歩いて三春峠から北に2つ目のカーブのところに出る(9時44分)。ここから登れば血だらけになること
は無かった。デポしたロードを回収して一気に下る。続く栗柄峠への上りは追い風に助けられて快走、さて次
はどこで昼飯を食べようか。一路篠山目指して下った。
(本日の走行距離 147km)
2007年9月29日(土)能勢/塩山~才の神峠(2.5万図 妙見山)
“能勢の無名の低山を訪ねる”シリーズ第10回。前回から半年ぶりに紹介するのは、能勢の中心今西地区の
南東約1.5kmにある塩山(しおやま)。片山地区の後背に位置する標高314.7mの低山である。地形
図上では無名ながら室町初期応安年間(1368-1374年)、山頂に片山城という山城が築かれていた。
山名の「塩山」は城主、塩山備前守義道による。
急に涼しくなった。朝の気温21.3℃は、今までが暑かっただけにむしろ肌寒く感じるくらい。でもサイク
リングには最高の温度だ。5時29分、ロードで出発する。天気が悪い。雲が厚く垂れ込め、いつもなら空が
白んでくるのに真っ暗だ。
川西能勢口を回り、日の出の時間を過ぎてもまだ薄暗い状態。風もやや強め。風向が一定していないのが救い
だ。ヒガンバナやソバの花が満開の猪名川沿いを北上、杉生で水分補給(6時44分)の後、中山峠を越えて
一気に能勢の栗栖に下る(7時07分)。
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ソバの花 | 塩山 |
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南にこれから登る塩山が見える。山頂に中継塔が建っている。山の北側の塩山峠から頂きを目指そうかと思っ
たが、中継塔の登り口を探した方がヤブとクモの巣に悩まされずに済みそうだ。クリ園を横目に見ながら坂道
を上り、中継塔への切り開きが見える細道を入る。
薄暗い森の中に「松巖翁」と彫られた石碑が立っている。文久3年(1863年)の銘がある。奥に八幡神社
の電燈が見える。進み易そうなところを選びながら登っていくと、左手に鉄パイプの階段が見える。何だ、あ
んなはっきりした登り道があったのか。
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松巖翁の碑 |
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階段を使えばすぐに中継塔(NTTドコモ)の施設の前に着く。階段はここまで。フェンスを回り込み尾根に
乗ると北側から踏跡が続いてきている。南に30mほど歩くと土塁が現れ、一段高くなった主郭に着く(7時
30分)。雑木に覆われて見通しはきかないが、主郭部分は相当広い。
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土塁址 |
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ぐるっと歩いてみる。二の丸跡や堀切などの遺構が素人目にもはっきりそれとわかるいい状態である。しかし
山頂にある筈の三角点が見当たらない。念のためにもう一度本丸跡をチェックするがわからない。倒木の下に
でも埋まってしまったのか、と諦めて中継塔の裏手に戻ろうとすると山道の片隅に4等三角点の標石が・・・。
主郭の手前の一段低いところにあるなんて思わなかったので、通り過ぎていたのだ。主郭の最高地点は三角点
のあるところより2mほど高い。三角点も確認できたので階段を使って下山する(7時50分)。
今日は血まみれになることもなく無事下山できたところで、麓の片山地区を散策する。御門第を訪ねる。応仁
の乱の際に都から逃れてきた公家達が屋敷を建てたところで、この地に家を建てると崇りがあると言われる。
今はお稲荷さんの社が祀られているだけだ。
小雨が降り出してきたので先を急ぐことにする。今西に戻り、長谷から才の神峠を目指す。黄金色に色づいた
棚田が美しい。何度もカーブを繰り返しながら上り切ると懐かしい才の神峠である。14年前に初めて訪れて
から今日で何回目の訪問になるだろう。ロードで訪れたのは初めてである。
雨は小止みになったようである。すっかり秋色になった景色を楽しみながら仁部への急2坂を帰路についた。
(本日の走行距離 78km)
織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。
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