山を駈ける風になれ2008年 3月号

 
2008年2月2日(土)北摂/泉郷峠~西峠(2.5万図 福住)
毎週のように行なっている自転車ツーリング。越えた回数が最も多い峠はどこだろうと考えるまでもなく圧倒
的に多いのは泉郷峠である。去年1年間だけで22回も通過している。ツール・ド・フランスならさしずめ毎
回のように登場する名物峠といったところか。
標高も480mと高からず低からず、摂津と丹波の旧国境で、摂津側から越えると眼下に隠れ里のような秘湯
籠坊の集落がみえる風景は懐かしさを覚える。峠の名前「泉郷」も籠坊温泉から付けられたものであろうが、
桃源郷のような響きをもって迎えてくれる。

この峠を南北に越えたことはあるが、尾根伝いに東西に通過したことはというと、過去に2~3度、しかも東
の奥山(654.8m)側から峠に降り立ったケースばかりで、泉郷峠から西に歩いたことはない。相変らず
寒い日が続く冬の1日、泉郷峠から南西にある西峠(標高460m)まで尾根伝いに歩いてみようと思い立つ。

6時44分、ロードで出発する。朝の気温2℃、重苦しい厚い雲が覆っているのでそれほど寒さは感じない。
昨夜サドルの高さを調節、4ミリ上げる。別に足が長くなったわけではない。

今日も何度も信号にひっかかりながら川西能勢口周りで県道を北上、杉生で水分補給をした後、杉生新田に到
着する(8時24分)。さすがにここまで来ると道の両側に積雪が見られる。泉郷峠への登り口の林道脇にロ
ードをデポ、仕度を済ませて歩き始める。
ロードをデポ

峠に向かうにつれ目に見えて雪が多くなる。歩くと峠は遠い。8時42分峠に着く。籠坊側の道路は2週間前 走った時に比べるとかなり減っている。適当に尾根に取り付く。いきなり足首が雪に埋まる。 境界杭は雪に埋まっていて見えない。判り易い地形なので間違えることはない。いきなりの急斜面雪で足を何 度も滑らせる。キックステップでシカの足跡の上を辿り登り切ると560コブ(8時53分)。積雪は10~ 15cm、ローカットのトレッキングシューズなので足首に雪が入ってくるがそれよりも雪山歩きが楽しい。 1頭のシカがすぐ前を走り去る。
シカの足跡を辿って急斜面を登る一つ目の560コブ。積雪量もグンと増える

しばらく西に歩き、“道なり”ならぬ“地形なり”に南に折れ、真っ白な雪の雑木林の写真を撮りながら2つ 目3つ目の560コブを過ぎて4つ目の560コブで前方がドーンと開ける(9時10分)。
3つ目の560コブ付近にて4つ目の560コブから南西、大野山方面

南西斜面が大規模に伐採されている。西峠から大野山方面の斜面が伐採されていることは知っていたが、こち ら側の斜面まで伐採されているとは知らなかった。痛々しいばかりのハゲ山になってしまっているが、そのお 蔭で大野山から天上畑方面の展望抜群なのが皮肉である。 伐採されると日差しで地温も上がりやすくなるのだろう。雪は殆ど残っていない。変に歩き易くなった尾根を 西に伝い、少し北に登れば570コブ(9時20分)。また雑木林の中のスノートレッキングに戻る。この辺 りは積雪が多いところで25cmくらいある。 これだけ積雪が多いと普段は歩きにくい雑木ヤブでもどこでも歩けるから面白い。気がつけば浅い谷地形を一 気に登って586山に着いていた(9時30分)。展望はないが辺りより一段高いのがわかる。「西」と書か れた赤いプラ杭が埋まっている。西峠の「西」はこの字名から付けられたものかも知れない。やっぱり山の中 を歩かないと発見はない。
586山山頂

西に枝尾根があるのでコンパスで方角をチェック、真北に丈山直下の赤白鉄塔を確認し、南の境界尾根に乗る。 境界尾根・旧国界といっても全行程に渡って踏跡といえるほどのものはない(雪で埋まっているので確たるこ とは言えないが)山歩き、ルートさえ間違っていなければオーライである。 西峠に向かうには一旦急斜面を下って登り返さないといけないが、西峠の北側はコンクリートで固められた断 崖になっているので忠実に辿る必要もあるまい。というわけでさっさと谷筋を南東に下り、峠東下の急カーブ のコ-ナーに出る(9時48分)。 無積雪時なら物足りない尾根歩きになったかも知れないが、今日はスノートレッキングを楽しむことができた。 杉生新田まで戻ってくるとホオジロが鳴いている。まだ“イッピツケ”まで。なかなか書き出しを終えるに時 間がかかりそうだ。でも春は着実に近づいている。そう感じながらデポ地でロードを回収するとオンロードで 西峠を越え後川へと下った。  (本日の走行距離 96km) 2008年2月9日(土)西宮/名次山~越水城址(1万図 西宮) 吾が妹子に 猪名野は見せつ 名次山         角の松原 いつか示さむ  万葉の歌人、高市黒人が歌に詠んだ西宮の旧跡を訪ねて自転車散歩をする。 年に何度か休日の朝“ご近所のんびり散歩”を楽しんでいる。いつもは立ち止まることもなく流しているだけ のコース上にも見どころはたくさんある。西宮市民歴通算30年2ヶ月のキャリア(?)をいかして、そんな 近隣の史跡を紹介してみたい。 7時03分自宅を出る。ポタリングなのでもっと出発時間も気持ちも“ゆるい”感じで出る筈だったが、9時 ごろから雪が降り出すだろうとの予報にいつもと大して変わらぬ時間になる。 仁川まで南下して川沿いに西へ、関学の裏から甲陽園方面に下り、満池谷を左手に見ながらニテコ池のほとり にある名次神社に着く(7時25分)。早くも雪がちらついてきた。 石段を登って境内に。“名勝名次山”の碑が立っている。天保7年『新改正摂津国名所旧蹟細見大絵図』には 山の絵が描かれていているが「名継丘」と記された名前のとおり最高部でも標高31mの丘陵である(名次神 社は広田神社の摂社になっている)。
名次神社にある「名勝名次山」の碑お屋敷が並ぶ今の名次山最高部あたり

最高部は大きなお屋敷が並んでいる。もとはこの丘陵一帯が名次神社の境内であったが、明治41年に丘陵北 端の現在の位置に移設されたと境内の由来に記されている。また丘陵の東にあるニテコ池は野坂昭如の小説 『火垂るの墓』の舞台になったところである。
ニテコ池から甲山方面
左端の森が名次神社
甲山方面から雪雲が迫ってきた

さてその名次山であるが、冒頭の歌に詠まれた頃の名次山は谷を一つ隔てた東の越水丘陵を指し、室町時代に その越水山に土豪瓦林正頼が城を築くにあたり、今の名次丘陵に移ったとのこと。そこで万葉の人が詠んだ本 当の名次山を訪ねるべく越水丘陵に向かう。 越水は小清水の当て字である。この丘陵南端の下には今でも清水が湧いているという。越水丘陵はニテコ池の 真ん中を通って上り返せば自転車でものの1分とかからない距離にある(7時42分)。瓦林氏の居城であり、 その後細川高国が住んだ城跡も高級住宅地に変わり、今にその面影を伝えるものは“城山”の町名くらいしか ない。
城山。越水城はこの辺りにあったのか・・・「越水城址」の石碑
カメラにはっきり雪が写ってきた

また丘陵を南に下りかけたところにある大社小学校の正門前に“越水城址”の石碑が建っている。(大社小学 校の「大社」とは旧官幣大社、広田神社のこと) 雪がだんだん激しくなってきた。当初の予定では冒頭の歌に詠まれたもう一つの名所、「角の松原」を求めて 松原町を訪ね、都努の浦を偲ぶ予定であったが、この状態では帰るのに難渋しそう。またの機会に、というこ とにして帰路に着いた。  (本日の走行距離 24km) 2008年2月11日(月)篠山/宮田~大手前広場~小枕口(2.5万図 篠山) 土曜日に降った残り雪も昨日のうちに消え、3連休3日目の今日は穏やかな晴天に恵まれるという。久しぶり に気持ちよくツーリングが出来そうだ。篠山方面の無名の山を訪ねる計画を立て6時45分ロードで出発する。 家の前の路面が濡れている。夜中に雨が降ったようである。お蔭で気温はそれほど冷え込んでいない(0℃)。 スリップに注意しながら赤坂峠を越え、R176を篠山方面に向かう。気温のせいか腰が痛い。 三田市内を走っている時は陽が差していたのに、徐々に霧が濃くなる。好天の証拠ではあるが、グローブに着 いた霧が霜に変わり更に小さな氷に変わっていく。ウィンドブレーカーから蒸散した汗も氷のかけらになって 付着している。時々払いながら古市で水分補給、篠山盆地に入る。 濃い霧が篠山特有のどんよりした冬の空に変わってきた。本当に晴れるのか? 腰の調子がよくないので山を 登るのはパス。大山下で右折(8時44分)、宮田まで北上したところでコースを変更し、篠山城下町を流し て南新町から小枕方面へ向かう途中にある神社に向かう。 四季山の北西、道路に面して小さな山と赤い鳥居が立っている。前から一度訪ねたいと思っていたお稲荷さん である。掲額には小丸山稲荷とある(9時10分)。小丸山はこの小さな山の名前であろうか。そのままの名 前である。
参道を登りきると頂上の鳥居が見えてくる小丸山稲荷境内

鳥居の下にロードをデポし、参道を登る。広いしっかりとした道が付いている。ものの2分も歩けば頂上の境 内に着く。松を主体とした雑木林に覆われた静かな境内である。ツーリングの無事を御参りして下山する。
ようやく暖かくなってきた

さあ、もう今日は帰ろう。走り出してものの2分もしない内に青空が広がってきた。お参りの効果か? 急速 に気温が上がってきた。初めからこんな天気だったらなあと半分心を篠山の地に残しながら帰路についた。  (本日の走行距離111km) 2008年2月17日(日)篠山/柏原峠(2.5万図 福住) 古地図に記された未踏の峠を訪ねる。 20年来その所在地が気になっている峠があるといえば大袈裟だろうか。今日訪れる柏原峠はそんな峠のひと つである。 寛延元年、京都木村壽陽堂発行『摂津国名所細見』には摂津国の北端から丹波国に通じる5本の峠が記されて いる。東から順にス子コスリ峠、しゃく(木ヘンに夕の字)子峠、柏原峠、氷柱峠、天王峠である。峻厳な風 土を連想させる名前が並ぶ。 どの峠も今にその名を留めていないが、地図には峠を挟む摂丹双方の村の名前が記されているので現在のどこ にあたるのか判る峠もある。ス子コスリ峠は今の天王峠(ややこしいが)の旧道、脛こすり坂の更に旧道、天 王峠は今の美濃坂峠、という具合にである。 しかし残る3本は丹波側の村名が今に残っていなかったり、記されていなかったり、またそもそも絵図自体位 置を正確に記したものではないので、現在のどこなのか不明のまま私の中では深く埋もれたままになっていた。 先日、久しぶりに平日に休みをとって走ろうと予定をしていたら日頃の行い悪く(?)朝から雨。走ることも ままならず、暇に任せて古地図(天保7年『新改正摂津国名所旧跡細見大絵図』)を眺めていた時に、丹波の 古地図から摂津側に抜ける峠道を調べれば残る3本の峠の所在が確認できるのではないかと思い当たる。何で 今まで気付かなかったのか。 早速寛政11年『丹波国図』を取り出し確認する。ピタリ符合する5本の道が描かれている。峠の名前は記さ れていないが、摂津側の村の名前が几帳面な筆跡で記されている。 杓子峠(「木へんに夕」の字は「杓」の俗字)は杉生と後川上を結ぶ峠、柏原峠は柏原と後川中を結ぶ峠、氷 柱峠は小柿と後川下を結ぶ峠であることが判明する。『摂津国名所細見』にあった杓子峠、柏原峠を越えて至 る丹波側の村名の「上塩村」、「中シホ村」はそれぞれ「後川上」、「後川中」であったというわけである。 ※後川が昔、塩村と呼ばれていたことを確認できればいいのだが、後川は東大寺の荘園であったので1000 年以上前から「後河」と呼ばれていたことがわかっており塩村の名前を村の人から拾うのは難しそうである。 そして、うすうす感づいてはいたが、その語感に一番惹かれた「氷柱峠」はいつもトレーニングと称して周回 しているコース上の片峠であったことが決定的になったことは軽いショックであった。「つらら」ではなく「 つづら=九十九」が転化したのではなかろうか。 こうやっていとも簡単に判明してしまった古地図に記された峠。結局訪れたことの無い峠は2つとなったが、 その所在地も「杓子峠」は大野山と大野山の北東約1kmの617コブとの鞍部、「柏原峠」は大野山西のゴ ルフ場との鞍部と推測がつく。 さてどちらを訪れることにしようか。先日泉郷峠から西峠に向かう途中で見た杓子峠付近は伐採されて無残な 山肌を晒していた。昔日の峠の面影を辿るのは困難なようだ。柏原峠を訪ねてみよう。古地図によると道中に は「馬の足跡」、「七ツ岩」と呼ばれる奇岩もあるとのこと・・・。
樹氷がいい感じスリル満点の西峠の下り

前置きが長くなった。そういうわけで柏原峠を訪ねて6:39自宅を出発する。寒い。この冬一番の寒さでは ないか。いくら走っても体が温まってこない。それもそのはず猪名川町役場前で-4℃、スピードが上がらぬ まま杉生で水分補給、樹氷がいい感じの中を走って杉生新田に着き、凍結してスリル満点の西峠を越えて後川 上に下り、後川中に至る(8時55分)。 村の西端から大野山とゴルフ場の間に向かって延びている地形図の破線を辿る。峠の登り口には祠が祀られて いる。古い峠道の雰囲気満点だが何故か招き猫も祀られている。左手に小さな池がある。植林帯の中に幅の広 いしっかりといた道が続いている。
柏原峠への登り口石の祠に祀られている招き猫

地形図にある親指の指紋のようなコブとの鞍部を越えれば、右手の広い谷との高低差がだんだん大きくなる。 歩き始めて5分、道の左手に大きな岩が現れる。古地図にあった馬の足跡だろうか。足跡というよりも蹄を後 ろから見たような形をしている。
馬の足跡?

ここから急に道は細くなる。獣の臭いがきつい箇所が現れる。あたりは雑木林に変わり積雪もいっきに20c mくらいになる。倒木を避けたり、流れを渡りやすいところから越えたり、イノシシの足跡を辿ったりしてい るうちに昔の峠道を歩いているのかどうか怪しくなる。 10mほど左手に明らかに人の手で積み上げたと判る石標が見える。軌道を修正、古道に戻ったようだ。更に 雪は深くなる。
明らかに人の手で積んだ石

道の左手に高さ1m弱の石が現れる(9時15分)。何気なしに石を見ると「七」という字が刻まれている。 雪を払って埋もれた文字を読む。「七ツ石」である。古地図に描かれていた名所である(寛延元年版には「七 つ岩」とあるが、天保7年版には「七ツ石」と記されている)。
七ツ石

この石が七ツ石ではなく、この石標の立っているところから七つの奇岩(もしくは七つ重なったように見える 奇岩)が見えたということなのであろう。この大野山山中には奇岩がたくさんあるので七ツ石という奇岩があ っても不思議ではないが、雑木に囲まれてそれらしきものは発見できない。
どんどん積雪量が増える

更に先を行く。古道は氷の池で行き止まりになる。本当は池の辺を巡るように道があるのかも知れないが雪が 深くてわからない。下手に氷の池の中に落ちても嫌なので、池の左手、土手を巻くように歩いてクリアする。 今度は倒木で道が塞がれているポイントに出る。積雪30cm、足を上げて歩くのがいい加減疲れてきたので、 雪の少ない右手斜面(ゴルフ場側)を駆け上がって、強引に雑木林を突っ切り橿原峠に出る(9時30分)。 見慣れたゴルフ場との分岐に出た。寒さのせいかデジカメが動かない。いつも大野山の裏から林道伝いで下っ てきてよく知っている場所とはいえ、目的地到達記念に1枚と思ったのに・・・ま、確かに寒過ぎる。オール ド・ファッションドな私のデジカメにはこの気温はきついのかも、と納得してウェストバッグの中にしまう。 大野山経由で猪村に下る予定をしていたが、予想を上回る積雪と、昼頃から雪になるとの予報に早めに下山す るのがよさそうだ。元来た道を引き返す。 雪の中に自分の足跡が残っているので同じコースを引き返すのは簡単な筈なのだが、歩き易そうなルートを選 択しながら下っているうちに、全然違うところを歩いている。軌道修正を終え後川中に下りてくることができ たが、下りでは「七ツ石」の前を通れなかった。雪の無い状態で歩いたら全然違うものになったかも知れない。 とにかく雪だるまのようになった足首を何とかしなければいけない。雪を払おうと杉の根元に足払いをかけた ら頭の上から雪の塊が落ちてきた。  (本日の走行距離 93km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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