山を駈ける風になれ2009年 7月号

 
2009年6月20日(土)豊能/切畑577山+川尻石仏巡り
(2.5万図 広根・法貴)
この時季になると半袖ジャージ、半パンで山頂に立てる山を探すのに苦労する。はっきり言ってわが家の近
辺で自転車に乗ったまま山頂に立てる山は既に上り尽くした感がある。そう思って何気なく地形図を眺めて
いて発見したのが掲題の山。2.5万図「法貴」、湯谷ケ岳の南西1kmの577m標高点の山(山頂に電
波塔マークあり)である。山名は仮称、本当の名前は知らない。
距離的にも短くこの山往復では物足りないので、いつもカッ飛んでばかりでゆっくり足を止めたことがない
川尻地区の石仏巡りを加えることにして午前5時17分ロードでスタートする。

川尻を含む余野エリアは野仏の宝庫として超有名なところである。“石仏熱中人”のやまあそHPに居候の
身としては、ここを紹介しないでは身の置き所がないというものだ(と言いながら今までさぼってきたが)。

風が強い。しかも方向が一定しない。幸いなことに向かい風ではないので苦にはならない。今月に入って快
調な走りが続いている。猪名川を渡り、R173の分岐を見送って余野川沿いにひたすら上る。
金石橋をこれまでの自己記録を1分半近く上回るタイムで通過、余野の集落に入ったところで水分補給休憩
(6時19分)、更に切畑口交差点を右折、東に向かう。正面に無線中継塔が立つ577山が見える。小さ
な峠の数を読み間違えて違う分岐に入ったり、調子に乗って走りすぎて茨木市域に入るご愛敬を振りまきな
がら、何とか軌道修正して「ローズタウン管理組合」と書かれた私道を北に走り、577山へ向かう林道の
分岐に着く(6時56分)。
577山山頂近くで見つけたササユリ577山山頂

ここから山頂までは700m程度、林道脇で美しいササユリに出会い心が和む。 7時04分山頂到着。携帯電話会社の豊能基地局の塔が立っている。密かに展望を期待していたが周囲を木 々に囲まれて駄目。やたら風が強いので早々に辞去して石仏巡りモードに切り替える。 下りは速い。あっという間に余野を過ぎ、北の谷分岐へ(7時30分)。まずは川尻北の谷多尊石仏を訪ね る。高さ1mほどの岩に22体の仏と3基の五輪塔が彫られている。さしずめ仏さま専用の4階建て集合住 宅のようなものである。
川尻北の谷多尊石仏

最上階中央は阿弥陀如来。左右に観音菩薩と地蔵菩薩。観音菩薩の隣に集合住宅からはみ出すような形で2 体、3階に5体、1-2階は6体ずつが住んでいる、といった感じである。天正8年のものというから信長 が生きていた頃に作られたものといえる。 この多尊石仏の両脇にもたくさんの石仏が並んでいる。道祖神のように2体並んでいるのは双体地蔵。元々 は笠石が乗っかっていた笠塔婆だったと説明書きがあった。
川尻北の谷双体地蔵川尻北の谷不動明王板碑川尻北の谷磨崖仏

北の谷を更に上っていくと出てくるのが不動明王板碑。こちらは天正16年(1588年)のものである。 更に細い道路の下の斜面に岩には北の谷磨崖仏(1548年)に出会える。
川尻中の谷多尊石仏

続いて中の谷を訪れる。ここにも多尊石仏がある。中の谷多尊石仏と呼ばれるもので、こちらも中央最上段 には阿弥陀如来(こちらは後光がさしている)、右は観音菩薩だが左は勢至菩薩と若干メンバーが入れ替わ っている。天正元年(1573年)のものである。隣には光明真言板碑も立っている。
川尻中の谷を行く打越阿弥陀三尊石仏名も無き石仏がいっぱい

更に斜面を下っていくとあるのが打越阿弥陀三尊石仏。元は天台山の中腹にあったらしい。こちらは正平7 年(1352年)のものというから南北朝時代のものである。 この石仏の背後にそこいらに散らばっていたものを集めたのか、無縁仏の塚のように石仏が固まって置いて ある。石仏好きにはこれだけでも十分堪能できると思うがいかがだろう。 打越から殿方へ下っている。山側に川尻殿方庚申塔が立っている。細長い自然石に青面金剛の文字が彫られ たもので江戸中期享保7年(1722年)のものという。 ここまで下れば金石橋の交差点はすぐ。今回は紹介できなかったが、近くにはたぬきやぶ多尊石仏がある。 機会があれば余野十三仏なども紹介したい。ロードバイクが1台目の前を通り過ぎていく。さあ、自転車モ -ドに戻ろう。        (本日の走行距離 64km) 2009年6月27日(土)篠山・園部/天引峠を訪ねる(2.5万図 埴生) 1年で最も夜が明けるのが早いこの時季、歳と共に年々目が覚めるのが早くなる。今朝も4時40分にはウ グイスの声尾に起こされてしまい、5時12分にはロードにまたがって走り出しているというありさまだ。 今日の目的地は何故か急に訪れたくなった天引峠。5-6年前にトンネルが出来てから一度トンネルを通っ た記憶はあるが、以来興味が失せて全く訪れたことの無いまま今日に至っている。まだ峠道は走れるのだろ うか・・・。 雨がちの天気が続くとの週間予報であったが、実際はほとんど晴が続き、結局この週末も絶好のサイクリン グ日和となりそうだ。梅雨前線が南下しているお蔭でさほど蒸し暑くも無く、コンディション的には文句な い状態だ。 川西能勢口を数年来の最高タイムで通過すると、途中向かい風などもあって若干ペースは落ちたものの、泉 郷峠の上り辺りから風の影響も無くなり7時過ぎには能勢天王に到着、更にR173を爆走、7時12分にはも う町並みを眺めながら福住を東に走っている。
しっとりした福住の町並み

安口を過ぎると天引峠への上りに入る。ところが今はすぐにトンネルに向かって下っていく、といった方が 正しい。峠へ向かう上り口こそフェンスの扉が閉ざされてはいるが、道の反対側(南側)に新たに峠へ向かう 道が整備され、以前の峠道に接続されている。 こんな道だったかなあと記憶を辿りながら上っていくともう峠の頂上部だ(7時30分)。府県境界の標識は 取り外され、道路上に散らばった枯れ枝や落ち葉で、既に廃道の雰囲気が漂い始めている。僅かに″R372 ″の標識がここが国道であったことを物語っているだけである。
車の往来が絶えて久しい天引峠ここが国道であった名残り

枯れ枝だらけで「徐行」でないと下れない。3つ目のカーブを曲がる。前方をシカが走っている。こちらに 気づいたシカは道路を横切って山の中に消えるのではなく、そのまま道なりに走っていく。もうシカが何の 違和感もなく走る道になってしまったようだ。 シカはカーブ2つ分道路を走った後、斜面を駆け上がっていく。結局スピードが出せないまま園部側に下っ てしまう。車が進入出来ないように柵がしてある。でもそれなら何で篠山側は幅の広い道路を作って旧道に つないだのだろう。この道をどうしようとしているのだろう。そんなことを思いながら天引の3差路に着く。 ここも昔は道路標識があったが、R372が付け変わったため、自販機コーナーだけが静かに佇んでいる。し ばらく走らないとずいぶん変わるものだ。静かになった八田峠を越え、ぐるっと時計回りにR372~R47 7と走り継いで帰路についた。        (本日の走行距離107km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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