山を駈ける風になれ2009年 8月号

 
2009年7月11日(土)六甲/ヒルクライム+後鉢巻山(2.5万図 宝塚)
13年ぶりの日本人選手出場と、3年のブランクを越えてランス(アームストロング)が参戦ということで
世間の注目度がやけに高い今年のツール(ド・フランス)も昨日からピレネーの山岳ステージに突入した。
アンドラ・アルガリスの頂上ゴールの興奮冷めやらぬ中、久しぶりに自分も六甲ヒルクライムに挑戦する
ことにする(単に影響されやすいだけ・・・)。

名付けて”逆瀬川駅前-一軒茶屋ヒルクライム″。距離11.4km、標高差830m。4年前に出した
自己記録の更新が目標。
5時25分自宅を出発、5時35分逆瀬川駅前をリアル・スタート、逆瀬川沿いをゆっくり上り始める。
まずい。体が重い。寝不足のせいか。ま、行くしかない。ゆずり葉台公園を右手に見送り、ゴルフ場の横
に差し掛かるとこのコース唯一の小さな下りがあるが、時間にしてほんの10秒ほど、あとは延々上りが
続く。

盤滝トンネル分岐手前で急勾配ポイントが現れるといよいよ山道に入る。ギアはどんどん軽くなり記録更
新などどうでもよくなってくる。斜度12%の上りが続くところは「忍」の一文字、突然視界が開けると
芦有の合流ポイントだ。タイムは49分になろうとしている。
2月にMTBで奥池方面へ走った分岐を通過する。10kmを過ぎてもまだ勾配は緩くならない。東六甲縦
走路合流ポイントが見えてきた。速度を上げる。左にカーブする。タイムは57分を回ったところ。さあ
1時間を切れるか。更に加速する。鉢巻山トンネルを通過。あれ?まだもう少しあったか。時計は1時間
を回った。スパートをかけて一軒茶屋に到着する。

タイムは1時間0分34秒。4年前の記録に7秒及ばず。最後アウターに掛けて踏み込めば記録更新でき
たかも知れない。微妙な結果となった。
せっかくここまで来たのだからと山頂に登る(6時41分)。気温15℃。ガスが流れる山頂は涼しくて気
持ちがいい。ガスの向こうに後鉢巻山が見える。
自己記録更新ならず六甲最高峰よりガスる後鉢巻山

アジサイロードを行く廻る十国展望台跡六甲ガーデンテラス

再び道路に戻りガーデンテラスまで走る。「廻る十国展望台」の跡にも訪れ、今度は逆瀬川に向かってダ ウンヒルを楽しむことに。せっかくだから後鉢巻山にも登ってみよう。 登り口は鉢巻山トンネル西側の旧道分岐近くにある。登り口こそ生い茂っているが、すぐにいいハイキン グ道が現れ、分岐を中継塔方面に折れるとすぐに後鉢巻山の山頂に着く(7時42分)。登り口から5分と かからない。
いいハイキング道が付いている後鉢巻山山頂

898m、西宮市の最高峰(というか最高地点)だが、電話会社の中継塔施設があり、見晴らしもなく長居 はしたくない山である。道路まで下りる。旧道分岐脇に阪神大震災の記録を留めたプレートがある。地震 の際、この後鉢巻山側斜面が崩落し、山を巻いていた道路が通れなくなったためにトンネルが出来たのだ。
後鉢巻山の北斜面は地震で崩壊した

通れなくなった旧道は背丈を超える草に覆われとても進めるものではなくなっている。 ロードにまたがった人が喘ぎながら目の前を通っていく。もう少し。笑顔で見送り自転車にまたがる。さ あ、あとは下りのみ。せっかくだからゆっくり爆走?するか・・・。         (本日の走行距離37km) 2009年7月18日(土)氷上/市辺周回(2.5万図 黒井他) 来月の夏休みツーリングに備えて長めの距離を走っておきたい。今年は長距離走を全然やっていないので、 取り敢えず150km前後くらいから足慣らしをするのが無難かも知れない。そんなわけで氷上の稲継辺 りを目標に周回走をすることに決める。 5時12分ロードで出発。昨夜の雨は上がったが、重苦しい雨雲が垂れこめ蒸し暑い。軽めのギアで赤坂 峠を速くも遅くもないスピードで越えR176を北上する。ありがたいことにやや追い風基調で面白いよ うに加速する。 道場手前で前方にロードバイクにまたがった人を発見。こんな朝早い(この時点でまだ5時台)時間から どこまで行くのだろうと思いながら追い上げると、道場で駅の方に曲がっていってしまう。 あんまり調子に乗って走っていると向い風になる帰りが地獄のようになってもいけない。巡航速度を落と し、古市-丹波大山-鐘ケ坂トンネルと走って柏原駅前で休憩を入れる(7時20分)。高校生の一団が 列車から降りてきた。クラブ練習だろうか、それにしては手荷物は小さめだ。夏期補習?などと勝手な想 像を巡らせながら再スタートをきる。 停まると蒸し暑くてかなわないが走っていると涼しい。折り返しポイントに決めていた稲継の交差点に差 し掛かる。もうちょっと走ってみるか。市辺まで北上し左折、京橋を渡って市役所前、成松北を過ぎ、県 道109と合流するところで折り返す(7時42分)。
折り返しますた

とたんに向かい風が強くなる。辛い後半80kmの始まりだ。南東寄りの風のため遮るものも無ければ時 折追い抜いて行くクルマのスリップ・ストリームも使えない。半ば開き直り気味に走っていれば、風が弱 まったのか、それほど気にならなくなり、食糧補給ポイントと決めていた山南町村森のコンビニに到着( 8時20分)。 分量は少ないけどカロリーの高い弁当を食べる。来週会社の健康診断だったよなぁ。またコレステロール 値が高いって言われそうだ。何を隠そう去年の診断で“要経過観察”の“お墨付き?!”を頂戴したれっ きとした“病人”である。 それはさておき再び走り出す。今夜の花火大会を知らせる円応教本部の前を通り、谷川駅前に出る。いつ もならここで休憩することが多いが、さっき休んだばかりなので通過、篠山川沿いのゴルジュ帯を眺めな がら丹波大山方面へ走る。 幸いなことにこの緩い上り区間では追い風の助けを受け、ラクに大山下の交差点に着く(9時04分)。 ここからは一路南下。向い風は相変わらずだが、南西寄りの風に変わったので、トラックのスリップ・ス トリームが使えるようになり、加速を繰り返しながら走っているともう天上橋交差点である。 最後のひと上り、赤坂峠をクリアすれば極楽の下り区間。追い風を利用して名塩山荘前を下る。あともう 少しで60km/h超え、と思ったところで、前を行くクルマに追いついて爆走はジ・エンド。全般に曇 基調で気温が上がらなかったことが幸いし、なんとか久しぶりの長めツーリングを終えることが出来た。         (本日の走行距離144km) 2009年7月26日(日)西宮自転車散歩/西国街道を行く(1万図 西宮、甲山) 昨夜のツール(ド・フランス)は最大の見所モン・ヴァントゥ頂上ゴールのステージ。ヒルクライムの興奮 冷めやらぬ中、朝から北摂方面へヒルクライムに出発すれば、いきなりスコールのような雨に遭い走りを断 念し帰宅。 仕方なく?やまあそさんに7月の「山駈け」報告を綴っていると何だ?晴れてくるではないか。休日は走ら ずにはおれない性分、気分を変えて西宮自転車散歩にでも出かけることにしよう。第7回の今日は西国街道 の面影を訪ねる。(7時42分出発) 西宮市域における西国街道は、えべっさんの総本社で知られる西宮神社前から武庫川の髭の渡しまで、今の R171の北側をほぼ並行に走っており、かなりの部分が今も残っている。更にその内の一部は私が8歳に なるまで通園・通学に歩いていた道。そんなわけで客観的な西国街道案内はいろんな方がUPしておられる HPをご参照頂くとして、ここでは個人的な思いでを交えながら街道案内をさせて頂くことにしたい。
西国街道標識(広田町6)

西宮神社から広田までの区間は殆ど残っていない。ここから門戸厄神駅方面に向かって走ることにしよう。
広田を北東に進む

両側を住宅地に挟まれた道は、微妙な“揺らぎ”と道幅が、ここが旧街道であったことを物語っている。
門戸厄神道分岐

岡田山分岐である。ここを北に折れ、坂道を上って幼稚園に通っていた。
門戸厄神駅前の風景

踏切の西側から北東方向、商店街を眺めた図である。昔の門戸厄神駅は西側にしか改札口がなく、停まって いる電車の前を線路を横切って改札を出たものである。踏切の幅は昔と大して変わっていないように思う。 3両編成の600系電車が走っていたことを覚えている。 当時同級生と、この商店街にある散髪屋に行っていたものである。料金は140円。順番待ちの間にマガジ ン、サンデーを読むのが楽しみだった。残念ながら今はもう無いようである。
門戸厄神、甲山神呪寺道分岐道標ここで道は分岐、街道を離れて右へ

左の石標は『すぐか婦と山観音』と彫られている。西国街道は左の道であるが、右の下大市村の道を行って みよう。ここも懐かしの通学路である。
延命地蔵尊

辻に延命地蔵が祀られている。江戸期以前のものらしいが、今はガラス戸が閉じられ外からは見づらい。お 地蔵さんの後ろには地獄絵が掲げられている。子供心に焼きついたのはお地蔵さんではなくて地獄絵。まさ にこの辻が六道の辻のように思えたものである。今掲額されている地獄絵は色も鮮明で最近書き直されたも ののようである。
大市八幡神社境内の大クスノキ

1200年前に創建されたという神社であるが、私にとっては自転車に乗る稽古をした懐かしい神社である。 シャッターを切る音も全く聞こえないくらいセミが鳴いているのは、虫取り網を持って追いかけた子供の頃 と同じ。ただアブラゼミの声が聞こえなくなったのが違うといえば違う点。 大クスノキは池田輝政が記念植樹をしたという言い伝えがあり、ざっと樹齢は400年という大木である。 この他にも境内には3-4本のクスノキの大木がある。今は根元が踏まれないように柵が巡らされているが、 昔はクスノキと子供の距離がもっと近かった。 尚、「大市」とはここに大きな市が立っていたことを示す名前である。この地は西国街道と北摂・丹波方面 から南下してくる街道の交わる場所で、海岸線がこの辺りまで入り込んでいたことを考え合わせると、古代 は大陸との交易の重要拠点のひとつであったことを表す名前でもある。
中津浜線合流手前

再び西国街道に戻る。さきほどの分岐を左にとれば、斜めに伸びたクスノキが現れる。樹齢はざっと200 年といったところであろうか。明治初期には既にこんな風景が田圃の中に広がっていたことと思われる。 この道を進めば、いきつけのサイクル・ショップがある。子供の頃初めて自転車を買ってもらった店である。 先日この店でヤマケイの分県登山シリーズの執筆などでお馴染みの中村圭志さんとしばしお喋りする機会に 恵まれた。自分の原点ともいえる場所に戻ると新たな出会いが始まるのも面白い。
甲東ポンプ場道は新幹線のガード下をくぐって北へ

中津浜線を越えると阪神水道事業団の浄水場を左手に見ながら進む。通称、鯨池浄水場である。元は鯨池と いう名の池があったという。 街道は田圃の中を緩くカーブをしながら新幹線のガード下をくぐって北に向かう。
髭の渡し

やがて報徳学園に突き当たり、一里山を越えると武庫川の堤防に出る。ここに「髭の渡し」と呼ばれる渡し 場があった。名前の由来は対岸、尼崎側で白髭の老人が茶屋を営んでいたことに因むと言う。明治42年甲 武橋が完成するまで利用された。 西宮市域の西国街道を訪ねる自転車散歩はここまで。六甲にまた雨雲がかかってきた。さあ、家に帰ろう。         (本日の走行距離31km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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