山を駈ける風になれ2010年 8月号

 
2010年7月17日(土)南丹/文覚堂~園部周回(2.5万図 亀岡、殿田他)
待望の梅雨明け宣言が今日にも発表されるかという天気。この夏も元気に走れるようにするため“暑さ慣ら
し”にちょっと距離を走る練習に出かけることに。ルートは能勢から亀岡盆地に下り、旧八木町-園部町と
周回してまた能勢回りで戻ってくる変則周回コースを設定、午前5時15分スタートする。

昨夜は宝塚も26℃を下回ることもなく熱帯夜となったようで、5時過ぎだというのに暑い。本格的に暑く
なる前にどこまで走れるだろうか、と既に頭の中は“暑さ慣らし”というよりも“暑さ対策”を考えないと
いけない状態になっている。
 
いつもの川西能勢口回りで県道を北上、まずまずのタイムで杉生に到着。水分補給をしっかり摂って中山峠、
逢坂峠、柊峠を越えて、亀岡の城山を左手に眺めながら亀岡盆地に下り、連日の大雨で茶色く濁った桂川に
架かる月読橋を渡って、馬路から池尻というルートは去年12月に呉弥山を訪ねた時と同じルート。
真夏の日差しに気温も急上昇(池尻にて)

7時50分、池尻で2度目の水分補給を摂る。この辺りは直射日光を遮るものがない。ここから一旦西に向 かい川を渡る橋の手前の道を北上する。一直線の変化の無い道が続く。時々対向車線を走るサイクリストを すれ違う。暑い中みんな頑張っているようである。 正面に見えていた諸木山が右手に変わり始めると鎌倉時代の高僧、文覚上人ゆかりの地も近い。文覚堂を訪 ねてみる(8時15分)。
文覚堂

水路に屋根付きの橋が架かっている。通り堂、通称文覚堂と呼ばれているとの説明碑がある。今から830 年ほど前、この地を訪れた文覚上人が用水不足で苦しむ村人を見て、西方に用水池(文覚池)を造り水路を 通した。村人はその恩を忘れないために石橋の上にお堂を建立し地蔵を祀ったという。 今架かっている橋は2年前に建てられたものであるが、川に屋根付きの橋があること自体が面白い。雨の日 もそうだが、こういうカンカン照りの日も助かる。 付近の地蔵堂なども眺めて、再び走りだす。園部へ向かうためにJR吉富駅方面に向かっていると、追い越 していったクルマが工場の前に停まって運転席から携帯で写真を撮っている。写真を撮っている先に視線を 送ると、有名な豆腐屋の工場が・・・。12年前に走った時はこんなに大きかった印象は無い。この低成長 時代に数少ない成功例といえるだろう。 さて、そんなこんなでR9に合流し、園部の中心部へ。河原町交差点を左折(8時34分)して宍人から瑠 璃渓方面に向かうと、もうそこはいつものマイ・サイクル・フィールド。山間なので雲も適当に湧いて直射 日光を遮ってくれ快適な走りが戻る。 とはいえ気温30℃はなかなか辛い。多くのサイクリスト達がそこここで休憩しているのを横目に見ながら 走っていたが、柊峠を越えて能勢に入ったところで軽食休憩タイム(9時30分)。たっぷり20分の休憩 を摂ったのち、自宅まで1時間半ノン・ストップで走った。 (本日の走行距離132km)      2010年7月19日(月)三田/廣生妙見山(2.5万図 藍本) 3連休の3日目。今日も朝からカンカン照り。思いっきり走りに出かけたいところだが、所要があって午前 8時には戻って来なければならない。そんな時にと、以前から温めていた三田は広野駅の近くにある妙見山 を訪ねることにする。  4時45分、ヒグラシの声に起こされて朝食を摂り、5時24分ロードで出発する。赤坂峠は22℃ながら 朝日を背中から浴びる恰好で既に暑い。それでも三田に入るとさすがにまだ涼しく、気持ちよく走って広野 の交差点に着く(6時23分)。
廣生妙見山全容

駅前で地形図を広げ、行き先を確認しながら水分補給タイム。妙見山といっても高低差にして40mほどし かないので丘にしか見えない。一息ついて県道を北に走り、坂の上りの途中から左に一段と勾配を増す坂道 を上り切る。と、そこが妙見山の参道入口である。
ここから参道を行きます

簡易舗装の2m幅の細い道で400mほど進むとお寺が現れる。大蓮寺である。境内を入った正面に『南無 妙法蓮華経 廣生妙見山』と彫られた大きな岩が鎮座している。ここが廣生の妙見山と呼ばれていることを 知る。
廣生妙見山というそうです

さて、三角点を探す。ぐるっと見渡すが見つからない。境内の敷地の隣に草ぼうぼうの空き地があるので、 そこに埋まっているのかも知れないなどとあちこち見まわすも発見できない。仕方なく境内に戻って日陰で メモでも取ろうと待合所のような建物の前に行くと、『三角点地理調査所』と書かれた20cm四方の石の 蓋を発見する。
三角点はこの蓋の下に・・・大事に守られていました

視界には入っていたが雨水の排水溝の蓋としか思っていなかったのでまさかという感じ。こういう蓋で守ら れた三角点があるのは知っていたが実際目にするのは初めてである。蓋をどけると落ち葉の布団にくるまれ た4等三角点が現れる。 記念の写真を撮って蓋を元通りに戻し妙見山を後にする。幕末に活躍したという郷土相撲の朝日山の碑を見 に立ち寄ったりしているともう7時である。碑の傍にある説明板には、相撲は当時庶民の最大の娯楽であっ たとある。 今、何かと騒がしい大相撲。相撲は神事なのか、娯楽なのか。変に伝統だの何だのといって権威付けをして 文科省の所管に置くから勘違いする。民衆レベルでは神事と娯楽は表裏一体。とっとと株式会社化して法人 税を払う組織にした方が、統治・経営の刷新のスピードアップが図れると思うが・・・。   (本日の走行距離 56km)      織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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