山を駈ける風になれ2011年 4月号

 
2011年3月6日(日)宝塚自転車散歩/第3回中州~南口界隈 (1万図 宝塚)
先月に続いて宝塚自転車散歩。第3回は宝塚南口から逆瀬川界隈を古い写真を交えながら紹介
したい。(古い写真は『ふるさとの思い出 写真集 宝塚 -明治・大正・昭和』図書刊行会
 を使わせて頂きました)

1.宝塚会館
昭和10年代の宝塚会館今は住宅地の中に微妙なカーブの道を残す

 昭和5年に平塚嘉右衛門の平塚開発が中州荘園に建てたダンスホールである。アールデコ様 式のモダンなダンスホールで設備・規模共東洋一のダンスホールと呼ばれた。阪神間の名士の 社交場として栄えたようであるが、時局がら営業できなくなり、戦後は資材置き場となって、 昭和40年代まで在ったという。  そのお蔭か中州2丁目の住宅地の中にトラックフィールドのようなカーブを描く区画がある 。それがダンスホールの敷地の跡であることを教えてくれている。現在中州荘園という地名は 無いが、自治会に「中州園」という名が残っている。   2.伊孑志の渡し
絵葉書にある伊孑志の渡し現在、渡しを伝える碑が残る

「いそし」と読む。逆瀬川が武庫川に合流するあたり、今の美座小学校と末広小学校あたりを 大正中期頃まで渡し舟が往復していた。下流には「髭の渡し」(2010年4月号「西宮自転 車散歩」ご参照)、上流には「生瀬の渡し」が武庫川にはあった。現在渡しを伝える碑が残る あたりは広い河川敷が整備され、市民の憩いの場になっている。 3.山下橋
昭和初年頃の山下橋現在の山下橋

 この橋自体に特別な意味はない。昭和初期に入り、逆瀬川から山側に向かって旭が丘、寿楽 荘などの住宅地開発が始まりだした。古い写真は逆瀬川方面から寿楽荘方面に帰る女学生の姿 が見えるとあるから方向を合わせて撮ってみたがどうだろう。 4.宝塚聖天
宝塚聖天

 ゼロ戦が鎮座しているお寺というのは珍しいのではないだろうか。第10期海軍甲種飛行予 科練習生の追悼碑がある。追悼碑には詳しく記されているので興味のある方は行かれるといい だろう。ゼロ戦はレプリカであるが、実物大と思われる。残念ながら傍にいくことはできなか った。 5.宝塚ホテル
昭和初年頃の宝塚ホテル今の宝塚ホテル

   自宅から一番近いホテルで年に何度か利用させて頂いている。大正15年、平塚嘉右衛門 と阪急電鉄の共同出資で建てられた老舗ホテルで、設計は古塚正治。宝塚の名建築を語る時、 古塚正治を除いて語ることはできないくらいあちこちに作品を残している。部分的に建て替 えはされているが、建築当初の山荘風の趣は今も残っており、阪神間モダニズムを今に伝え ている。 6.宝塚大橋
宝塚大橋開通記念(昭和8年)今の宝塚大橋

  左の写真は昭和8年の開通記念式の様子である。宝塚市内で初めて車で武庫川を渡れる橋 として宝塚新温泉の東端に架けられた。迎宝橋(「第1回宝塚自転車散歩」をご参照)が水 害で流失後も架けかえられなかったのは、この橋があったためと言われる。 今の橋は昭和53年に架けかえられたもので、歩道と車道の間に植栽やオブジェが設けられ た全国初のガーデン・ブリッジである。休日になるとこの橋から阪急電車越しに宝塚大劇場 の写真を撮る観光客・宝塚ファンの姿をよく目にする。 7.「生」の石文字 
「生」の石文字

今から6-7年前頃だろうか。娘が南口の河原に石で「生」って書いてある、と言うので見 に行ったことがある。当時は河原部分がもう少し広く、石文字ももっと簡素なものであった と記憶している。その後台風や集中豪雨によって自然消滅したという。写真の石文字はこの 春封切られる有川浩原作の映画『阪急電車』の撮影用に組み直されたものである。 『阪急電車』はこの「生」の文字に絡む話からスタートする。まだ原作を読んでおられない 方のために説明は避けるが、この小説のキーワードであるとだけ言っておこう。余談である が、職場の同僚の友人が映画で宮本信子や南果歩と絡むシーンがあるというので観に行くの を楽しみにしている。 (本日の走行距離 19km) 2011年3月17日(木)宝塚/平井山荘~八洲嶺(1万図 川西) 『花屋敷・雲雀丘地区の更に北に位置する愛宕山、八洲嶺、温泉岳、石切山に挟まれた盆地 では、明治40年頃、東塚一吉によって「花屋敷温泉」が発見されています。・・・』(「宝 塚雲雀丘・花屋敷物語」(宝塚雲雀丘・花屋敷物語編集委員会編))。 花屋敷温泉(今はない)を取り囲む4つの山のうち、愛宕山(335m)、石切山(284,1m )は今も地図にその名が残っているので問題はないが、温泉岳と八洲嶺とはどこの山を指すの だろう。郷土史家の坂上太三氏が描かれた『満願寺界隈畧図』によると、温泉岳は愛宕山の南 西側に描かれていること、麓の温泉マークは新花屋敷温泉があった今のフジが丘地区を示して いることから満願寺西山(361.9m)を指すものと想像される。 とすれば「四方を囲む」と記された残る八洲嶺は自動的に南の標高249m山ということにな る。八洲嶺を除く3つの山は既に登っている。というわけで宝塚自転車散歩シリーズを実行中 に見つけた八洲嶺という名前を持つ山を訪ねることにする(取り付きを南西の破線路鞍部に求 める)。 近場なのでいつもより1時間ほど遅めにスタート、途中宝塚自転車散歩シリーズで紹介するの によさげな場所を下見しながら平井山荘を進み、配水場のある最奥部に着く。すぐ東隣の家の 横から最明寺滝方面へ抜けられるハイキング道が付いている。
配水地の奥に続くハイキング道

ロードをデポ、歩きだすことものの3-4分で南西の204山との鞍部に着く。道の左右に「 火の用心」の関電鉄塔標識が立っている。もう鞍部に着いたのか? 1万図なのでいつもと感覚 が違う。念のために少し先まで歩いて、確認して戻ってくると、これから向かう八洲嶺側の山 の中に道標を発見する。
鞍部の山中に立つ道標

梵字の下に『左○○・右○○』と彫られているが達筆で読めない。こんな場所に道標があると は予想もしていなかったので驚く。さて取り付きであるが、鞍部のすぐ北側に下ったところに あるザレ場の入口に求める。 大岩ケ岳周辺に広がっているザレ場のミニチュア版のような荒れ地を登りつめると踏跡がある。 踏跡を辿ること3分程度で山頂部である(8時20分)。ハイキング道入口からわずか15分の 山旅である(まあ1発で登路を探し当てたことが大きいが)。
ザレ場を登る八洲嶺山頂

  登頂標の類の一切ない静かな山頂である。三角点が無ければ「その筋」のマニアもやって来な い。踏跡は満願寺方面に向かって続いている。長尾台方面の方に続いているように見える踏跡 を辿ると大阪平野の大展望ポイントがある。 六甲から生駒までが一望できる。空気が澄んでいれば泉州方面までも望めそうな眺めである。 八洲嶺、何と読むのか解らないが、昔の人はこの山の頂きから8カ国の眺めを楽しんだのかも 知れない。
六甲の眺め温泉岳(左)と愛宕山(右)

  場所を変えると北側に長尾台、そして温泉岳(満願寺西山)、愛宕山を見ることができる。新花 屋敷温泉は温泉浴場の他、遊園地や動物園も整備されていたという。ゆったり温泉気分を味わ った観光客はこの山から賑わいを見せる一大アミューズメント・パークを眺めて楽しんだので あろうか。100年前の光景に思いを馳せながら山を後にした。 (本日の走行距離 27km) 2011年3月19日(土)北摂/杉生新田~泉郷峠補修後道路走り初め (2.5万図 福住) 最初にお断りしておくが、今日の写真ほど変化に乏しく、興味を持てないものはないだろうと 思う。この道に思い入れのある方を除いては・・・。 3連休の初日、好天に恵まれるのは今日だけのようで、いつものトレーニングコースを周回す ることにする。期末の仕事に加え、昨日は仙台支店のお客様を励ますための応援作業などで遅 くなったため、体をリフレッシュしたい。 6時08分スタート。いつもの川西能勢口回りで県道を北上する。紫合・木津を過ぎ、栃原の 緩い上り坂で前方に同好の士を発見する。近頃サイクリングを趣味にする人は増えたが、こん な早朝に出会う人は稀である。 坂を上り終えたところで追いつき、挨拶を交わして先をいく。いつものように杉生で水分補給 の後、杉生新田まで上る。2週間前まで道路補修工事で通行できなかった泉郷峠へアスファル トが敷き直されたようである。  「これはせっかくだから”新装開店“道路を走っておかなくてはならない。ついでにレポート も書こう」 何せこの道は去年だけで25回も走っている。91年に初めて深山に登る時にMTBで走って以 来、400回以上は通っているだろう。路面はというと20年前に走った時に既にアスファル ト舗装がしてあるとはいえ、つぎはぎのガタガタで、おまけに穴ぼこが開いているというひど い有様。 籠坊温泉へ向かう路線バスが走っていた当時はそれなりの道路だったと思うが、西峠回りの県 道があるため、廃れるがままに放置されてきた道である。通るクルマとてわずかなもので、と ころどころ路面に苔が生えたりして殆ど地道に等しい状態であった。それがアスファルトが敷 き直されたというのだから、走り心地や如何に、というわけである。
上り始めがこんなに変わりましたデコボコ・カーブもこんなにすっきり

  当然のことながら上り始めから踏み出しが軽い。ラクちんである。ハンドルに伝わってきた、 あのガタガタ感がない。景色は同じだが全く別世界を走っている感じである。S字カーブのと ころもすいすい上れる。 が、路面に変化がなく飽きてくる。結局走りやすいからオーバーペースで突っ込んだのだろう か。足も疲れてくる。走り初め初回からあのガタガタ感が懐かしくなる。と、もうそこは泉郷 峠である。上ってきた道を振り返ると微妙に揺れながら下れるダウンヒル・コース。
下りはよさげです改修された舗装はここまで

  MTBならカッ飛べる路面もロードならパンクが怖くてスピードも出せなかったが、これなら大丈 夫。次は下りで走りを試してみよう。
能勢路も春は少しずつ近づいているようです

(本日の走行距離105km) 2011年3月20日(日)宝塚自転車散歩/第4回小浜~安倉界隈 (1万図 川西) 先月に続いて宝塚自転車散歩。第4回は県道42号尼崎宝塚線(通称尼宝線)沿線沿いに小浜~安 倉界隈を紹介したい。尚旧小浜宿については過去に紹介済みのものについては省略する(古い写 真は『ふるさとの思い出 写真集 宝塚 -明治・大正・昭和』図書刊行会 を使わせて頂きま した) 1.小浜交差点 >
阪国バス小浜駅付近(昭和7年)
今の小浜の交差点

   県道尼宝線を紹介する上で”幻の鉄道路“宝塚尼崎電気鉄道は避けて通れないだろう。今や一 つの持ち株会社の傘下となった阪急と阪神であるが、近年まで両社が犬猿の間柄だったことは有 名で、私のように今津駅で不便な思いをさせられた方は多いことと思う。  事実、大正末から昭和の初めにかけてはその競争は熾烈を極め、宝塚に向けて2つの路線が計 画されていた。その一つが阪神が計画した宝塚尼崎電気鉄道敷設計画である(もう一つは阪急伊丹 線の宝塚までの延伸計画)。  宝塚尼崎電気鉄道は実際線路の敷設工事を一部行っていたが、諸問題に行き詰って鉄道計画を 断念、自動車専用道路として整備し直し、昭和7年関西初の自動車専用有料道路を開通させ阪神 国道自動車(阪国バス)を走らせたのが、今の尼宝線の始まりである。  古い写真は昭和7年阪国バス小浜駅付近の様子である。写真はどっち方面を向いて撮ったもの か不明だが、山が写っていないので尼崎方面ではないかと推測される。現在はR176と交差し、 中国道の宝塚ICも近いことから随分と様相は変わってしまったが、一直線に伸びる道路は今も健 在で、かつて鉄道用に作った道路であることが読み取れる。  尚、あやふやな記憶で申し訳ないが、震災の前までは伊丹市域で道路脇にレールが残っていた ように覚えている。この取材のためにもう一度尼崎から尼宝線を走り直したが、見つけることは できなかった。 2.姥ケ茶屋道標
姥ケ茶屋道標

「ばんがちゃや」と読む。兵庫県内では最古の道標の一つとされ、寛文8年(1668年)に西念 という人が立てたものであると市教委の解説板にある。ここは有馬街道を南に進んだ姥ケ茶屋と 呼ばれる場所で、「右ハあまかさきみち」「左ハいたミノみち」と刻まれているとのことだが、 殆ど判読できない。寛文年間に立てられた道標はこの他に伊丹、川西、池田、箕面で計6本が確 認されているという。高さ84cm。今は祠に石仏と一緒に祀られているので、知らなければ道 標とは気付かない。(所在地:安倉南4丁目) 3.庚申さん
庚申塚

 安倉は江戸時代の旧道の面影をよく残している町である。これは「尼崎みち」と呼ばれる道沿 いで見つけた庚申塚。青面金剛の文字が彫ってある。安倉地域全域ではいくつかあるようでこん な身近なところにも庚申信仰があったことを再認識した。(所在地:安倉中2丁目) 4.道標あれこれ
道標1道標2

  尼崎みちと伊丹みちが交差していた安倉地区は先の古い道標の他にも道標があちこちで見受けら れる。どちらも片方は読めるのだが、もう片方が読めない。後世の浅学な人間のためにもう少し 読みやすく彫って欲しかった・・・。 5.安倉上池
昭和20年頃の安倉上池現在の安倉上池

     宝塚市内には200以上の灌漑用溜池がある。この安倉上池は市内最大の溜池である。といっ ても隣接する伊丹市の昆陽池や瑞ケ池、稲美町の加古大池に比べると小ぶりである。古い写真と は正反対の位置から撮ったように思える。今では農地もどんどん姿を消し、本来の目的を終えた 溜池は半分が水上ゴルフ(打ちっぱなし)場になっている。(所在地:安倉北4丁目) 6.愛宕山神社
愛宕神社

 安倉上池の北東岸のこんもり茂った森の中にある。ここに三角点があるのは地形図で知ってい たが、愛宕神社があることは訪れて初めて知った。地元では「愛宕さん」と呼ばれて親しまれて いる。 (所在地:安倉北4丁目) 7.太子堂
太子堂

 安倉上池の北東隅の農道脇にある。傍を流れる天王寺川で聖徳太子が休息したとの言い伝えが ある。そもそも「安倉」は古くは「安鞍」と書かれ、聖徳太子が中山寺を創建した際、この地で 馬を下り鞍を休めたという伝承から来た地名であることを考えれば太子堂の存在も納得できる。 但し太子堂自体はそう古いものではない。(所在地:安倉北4丁目) (本日の走行距離 24km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

表紙にもどる

『山であそぼっ』にもどる