山を駈ける風になれ2012年 11月号

 
2012年10月6日(土)氷上/氷上ぐるっと周回走(2.5万図 柏原)
以前から登り残していた石戸山周辺の山を訪ねようと計画。最も天気がいいと予報されていた三連休
の初日に決行を決める。

午前5時42分スタート。朝の天気予報は一転して一日中曇の予報。この時季放射冷却で丹波霧がよ
く発生するので、むしろ曇の方が走りやすいというもの。とはいえ曇天というのは何となく気分が乗
らないのも確か。

ついこの間まではうだるような暑さだった丹波路も気温15℃前後と、すっかり秋の気配が漂ってい
る。秋まつりの準備もそこかしこの集落で見られ、今日はPHOTOポイントも多そうだ。篠山口の
駅前を通過、久しぶりに大山は旧道を走って新しく出来た鐘が坂トンネルを抜け、柏原の街に着く
(7時59分)。

自販機で飲み物でも調達しようと思ってヒップ・バッグを開けるとやけにスペースがある。カメラを
忘れて来たことに気づく。先日は地形図を忘れて低山を一つパスしたっけ・・・。これからこういう
事が増えていくのかも知れない。
というわけで今日のレポートは写真なし。こうなると何を撮ろうか、と考える必要が無くなるので走
りのペースはアップする。

稲継でR175に乗り、一路南下して福田坂に向かう。目指すは「草部」か「観音寺」。風も追い風
基調に変わり、この分だと余裕で走りきれるな等と考えながら朝阪の交差点を左折。すると何と『福
田坂方面通行止め。通り抜け出来ません』の工事案内板が立っている。
「え?!」
福田坂から登れなくても草部から回り込めば行けなくはないが、こんなパッとしない天気の日に山に
登ってもなあ・・・と急速にヤル気が失せ、夫婦橋を渡って加古川の右岸を回って谷川に向かう。

残り60km。インターバル・トレーニング気味に緩急をつけて走っていたら、シューズの紐がペダ
ルに巻き込まれるトラブル発生。どうも今日はついてない。ま、こんな日もあるさ、と割り切ってツ
ーリング・モードで帰路についた。


       (本日の走行距離141km)


2012年10月13日(土)亀岡・南丹/北ノ庄〜家老ケ岳(2.5万図 亀岡)
“カロウガダケ”と入力して変換すると“過労がダケ”と出た。まあ、疲れていることは間違いないが、
会社でも家でもパソコンに向かっている生活ってどうなのかな、と改めて考えさせられてしまう。今や
どこにいても欲しい情報が瞬時にして取れる。便利だが脳が休まるヒマがない。

“家老ケ岳”という名前を知ったのはいつだったか定かではないが、もう何年も前から私の地形図には
亀岡市千代川町拝田と南丹市八木町八木を分ける低山に、その名が書き込まれている。「家老」という
職階が付いた名前の山というのはあまり聞いたことがない。
名前から山城があったことは容易に類推されるが、西の城山(330m)から東に延びる尾根上となれ
ば尚更である。好天が期待できる秋の一日、ゆっくり京都丹波路を走って低山を訪ねるのもよかろうと
6時前に家を出る。 

毎週末走る度に秋の深まりを感じる。R176を木部まで走り、R423を走って余野から亀岡に抜け
る。朝の余野は気温7℃、思わず指がかじかむ。亀岡に下りるとR9を千原まで北上、東斉ノ本にある
小松寺東の破線路を登り路と決めて走る。

東斉ノ本・大門・川関の集落は昔ながらの立派な農家が軒を連ね趣のある家並みを創り出している。能
勢や篠山とはまた一味違った懐かしさを持っている。集落を見下ろす高台にあるのが小松寺。お寺自体
は新しく建て替えられたものだが、墓地の入口には康元年間(1256−1257年)に建てられたと
いう高卒塔婆がある(7時50分)。
小松寺の高卒塔婆

今見ればただの朽ちた檜の角材だが、往時は高さ13.5m、この辺りのシンボルタワーであったよう である。高卒塔婆というものがあること自体知らなかった上に、それが750年前、執権北条時頼の時 代に建てられたものがあるというところにこの地の京都との近さを感じる。 さて肝心の登り口であるが、地形図には無い参拝者用の車道が付けられた影響か、どこにもそれらしき 入り口は見当たらない。それほど藪でもないので強引に登ればどこかで破線路に辿り着くかも知れない が、そこまでするほどのこともないので、西の拝田から北ノ庄回りで拝田トンネルの上を横切る峠道の 鞍部に登り口を求める。
拝田地区から家老ケ岳を臨む(電波塔の建ってる山) 登路をここに決める

北ノ庄の小さな集落に入ると左手に磨崖仏があるというお寺が現れるが、またの機会にして峠の鞍部に 向かう。お寺から1分もかからない内に峠の鞍部に着く。鞍部の手前の竹林から入れそうなので取り付 く(8時20分)。 竹林の中にはあきらかに人の手で整備した道があるが、これは竹林を巡るだけの道である。竹林の最上 部から尾根に向かって雑木藪を軽く漕げば1m以上の幅のある切り開きに乗っかる。これが戦国大名内 籐ジョアンの居城、城山から家老ケ岳に向かって伝令の兵士が走っていた道なのだろうか。想像が膨ら む。
しっかりした切り開きがあります家老ケ岳頂上部

地形図に現せないような小さなコブを3つばかり越えると家老ケ岳の頂上部に着く(8時30分)。北 側斜面に電波塔が立っている。平坦部分はそう広くないので出城というか前線基地のようなものだった のかも知れない。 切り開きはところどころ倒木が塞いでいるものの家老ケ岳から更に北東方向に続いている。さきほどの 小松寺まで続いていれば尾根筋を歩き通すのだが、出口は整備されて山道が無くなってしまっているの で峠道まで引き返す。 府道まで戻れば城山の南を西へ。宮川から宮前、本梅、柊峠と走り、秋の能勢路を追い風に助けられな がらのんびりツーリングを楽しんだ。        (本日の走行距離101km) 2012年10月27日(土)篠山/天王〜福住の宿場町並散歩(2.5万図 福住) サイクリングするには絶好の季節となりました。“にわかサイクリスト”も出没して北摂はサイクリス トだらけ。今日は先日国の伝統的建造物群保存地区に指定された福住の宿場町並をのんびり走ることに。 国の伝統的建造物群保存地区は全国で100か所余り。福住の宿場町・農村集落が指定されたことで兵 庫県では4か所目となるそうだが、篠山市では河原町の妻入商家群が先に指定を受けており、同一市で 2か所の伝建群(と略すそうだ)保存地区を有する市という新しい称号も加わった。 午前5時54分スタート。好天のわりには放射冷却が緩め。走るのにはちょうどいい。それでも川西能 勢口を回り、北上するに連れて猪名川の水面には川霧が立ち上るいつもの風景が見られるようになり、 杉生−泉郷峠−天王と走る頃にはすっかり深まる秋の風景の中の走りとなる。 天王で小休止。再スタート後はいっきに下って福住の一番西の安田地区に着く(8時08分)。まずは 旧道(旧R372)に入り、両サイドに広がる福住の家並みを眺めながら東のはずれの西野々まで走る。 福住は何十回も訪れているので目新しい発見はない。むしろ伝建群となったことで、変な「気負い」が 出ていないことを願っているといった方が正解かも知れない。
福住住吉神社付近の風景福住の一里塚

徳島の脇町などは初めてツーリングで訪れた時は、そこらじゅう水溜まりだらけの泥道だったが、伝建 群保存地区の指定を受けたあとに訪れた時は、すっかり道路が整備されて観光地になっていたのには興 ざめしたものだ。
宿場町の家並(野々口酒造)

3.5kmにも及ぶ保存地区は他の地区と違って景観に統一感を持たせることは難しいだろう。今ある 伝統的建造物が地元の有志や福住ファンの手で守られていくことを望む。 30分ほど地区の案内図を参考にぶらぶら走りながら飛曽山峠を越えて日置へ。ここは時々街ぐるみで いろんなイベントをやって統一感を出そうとしているところだ。伝建群こそ無いが面白い地区である。 日置を過ぎてからハッと気が付く。今日もまた関所跡を確認するのを忘れた・・・。 そう、福住地区は安口(「はだかす」と読む)の西東で旧亀山藩と旧篠山藩に別れており、関所が存在 したのである。一つの伝建群保存地区が2つの藩にまたがっているというのは他に例が無いのではない か。観光資源に関所くらい作ってもいいかな。 そんな勝手なことを考えながら快晴の篠山路を周回して帰路についた。        (本日の走行距離118km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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