山を駈ける風になれ2013年 12月号

 
2013年11月2日(土)南丹/八木・八幡山〜園部周回(2.5万図 亀岡・殿田) 
山に入っても虫に悩まされないいい季節になってきた。今日は今シーズンの手始めということで、
地形図に名が記されている超低山に登ることに。今年8月に登り口を確認した南丹市八木町にある
八幡山を目指す。 

午前6時01分スタート。この時間から北東の風が吹いている。ここ調子では今日の前半戦はずっ
と向い風ということになりそう。いつものように旧R176を東に走り、猪名川を渡ってR173
と合流、木部でR423に入って、余野川に沿って伏尾、止々呂美と走り余野で1回目の水分補給
を摂る(7時09分)。
向い風の割にはタイムはそう悪くない。気温6℃。ここまでは上りなので問題はないが、日中の気
温20℃に合わせた恰好ではここから先はちょっと寒いかも。

水分補給を終え、再びスタート。柚原の交差点で茨木方面から来たサイクリストとすれ違う。あち
らさんも暗いうちから出てきたのだろう。笑路を過ぎ亀岡盆地への下りの途中から霧が辺りを包み
こむようになる。メガネに付いた水滴を拭きながら慎重にコーナーを下りつつも後ろから追いかけ
てくるダンプを振り切って乳白色の世界の中に突入する。

同じ盆地霧だが、篠山盆地の霧よりも亀岡盆地の霧の方が深い。そして地表すれすれまで下りてい
る篠山の霧に比べ、亀岡の方がやや上空で厚い雲海を成しているように感じる。勿論氷上盆地や福
知山の霧も同じ盆地霧でありながら、それぞれに特徴がある。あくまでも経験則だが、地形や川、
標高など様々な構成要素がそれぞれに特徴ある盆地霧を形成するのだろう。
R9を北上する。どこまで走っても気温6℃は上がる気配なし。霧の比較を考えながら走らないと
寒くてやってられない。京都縦貫道も濃霧で速度規制しているようだ。R9もクルマの流れが遅く
なり、走りにくくなってきた。
午前8時を過ぎても深い霧

月読橋で国道と別れ桂川沿いの快適ロードを北上、大堰橋で再び桂川を渡り返し、川沿いの堤防路 を走って八幡山の東側に回り込む。登り口に決めていた北端の神社に行く前に、ゆっくり流しなが ら東側から本当の登路はないかと探していると、あった。 民家と民家の間にそれらしき道を発見し、自転車を下りて押して行くと、小さな祠と参拝用のスペ ースのある場所が現れる(8時20分)。祠の前には1対の石灯籠。大きく『愛宕山』と刻まれて いる。祠に向かって左側の石灯篭に刻まれた銘は安永5年と読める(写真を撮るも手がかじかんで ブレ、紹介できず)。 8月のレポートにも書いたが、山の北西端にも「愛宕山」と刻まれた常夜灯がある。ここは京都の 愛宕山を遥拝する場所だったことは間違いないようだ。山の上にも祠があるのだろうか。自転車を 置いて山に入って行く。 参道といえる道は無い。踏跡はしっかり残っているので辿っていくと、南北に伸びる主稜線の鞍部 で道は判然としなくなる。八幡山のピークに向かってヤブを掻き分けながら進むが、どこまで行っ てもヤブでそれらしきものはない。8時32分、北側のピークと思しき地点で八幡山登頂というこ とにして下山、初め登り口に決めていた神社の方に回る(8時50分)。
ほぼ山頂?

神社の境内の前に軽トラがいっぱい停まっていて村の人達が下草刈りをやっている。山の上から聞 こえていた音は、この草刈り機の音だったようだ。このタイミングで無理やり境内に入って、急斜 面をよじ登っていくのはいかにも怪しい。北側ルートの確認はまたしてもお預け。 もう9時だが、霧が晴れる様子は全く無い。じっとしていると寒い。腹も減ってきた。いつも決め ている園部本町にあるコンビニまで走ると軽食休憩を摂り、ようやく人心地つくことができたもの の、辺りは依然として霧、気温も7℃としばらく寒いツーリングは続くのであった。        (本日の走行距離111km) 2013年11月9日(土)北摂/秋色を楽しんで周回(2.5万図 福住他)  夏の猛暑と最近の冷え込みで、今年は紅葉が美しいという。阪神間の市街地では紅葉はまだだが、わ がサイクルフィールドではちょうど見ごろを迎え始めたと言ってもいい季節。今日はのんびり北摂巡 りをすることに決める。  午前6時07分まだ薄暗い中をスタートする。いつもの川西能勢口回りで県道を北上する。畑を埋め 尽くしていた満開のソバの花も姿を消し、北に向かうほどに秋色が深まっているのを実感する。 杉生を過ぎると沿道の秋景色は加速度的に晩秋の装いに変化する。杉生新田で見事に紅葉するカエデ を発見、しばしその紅に染まった姿を堪能する。
見事に紅葉しています(杉生新田で)

泉郷峠を越えて籠坊温泉へと分け入って行けば、今は無き「羽束の湯」の周囲のモミジはそんな人間 の営みとは無縁であるかのように今が盛り。籠坊稲荷の大イチョウの黄色が真っ赤なモミジの群れの 中に浮き上がって見える様は名画のようである。 羽束川の渓流に沿って後川上まで下り、更に後川中から曽地奥へ続く峠道に差し掛かる。すると谷側 から目の前に突然大きなオスのシカが現れ、山の中に逃げ込もうと林道を行こうとするが、行く手を シカ除けのネットに阻まれる。 林道の両脇はフェンスが張り巡らされており、袋小路に追い込まれた状態。おまけにこちらが自転車 に乗ってどんどん接近していくので、何とか逃れようと必死でフェンスに体当たりをしている。いく らこちらに危害を加えるつもりはなくても相手には伝わらない。
ちょっと疲れて?おとなし目のシカ

ま、とりあえず普段自転車ツーリングでは絶対に不可能な野生動物撮影チャンス、とバッグからデジ カメラをやおら取り出してシャッタ−を切る。(途方にくれたおとなし目のシカの絵になる) さて、いつまでもシカを眺めていても仕方がない。こっちもネットをくぐって先に進みたいので自転 車を下り、シカにゆっくり声を掛けながら近づいていく。興奮してこっちに向かってくるリスクはあ ったが、昔、クラブで興奮するウマを止めた経験もあるので、角さえ気をつければどうということは ない。 話し掛けるようにシカをネットの方に追っていくと、意を決したかジャンプ、後ろ脚をネットに引っ 掛けながらも、なんとか振りほどいてクリアすると森の中へ消えていった。ネットが低くてよかった。
曽地奥峠下り

シカに続いて同じ個所からネットを越えて先へ進む。舗装路とはいえ、道路の途中にネットが張って あるくらいの道だから、ふだんとおるクルマはまず無いといっていいだろう。9月の台風の影響か道 は大荒れで、このままこの状態が続けば、昔の地道の林道に戻る日もそう遠く無さそうだ。 高嶽の西の峠に着く(8時35分)。篠山盆地を覆っていた霧が晴れようとしている。山が一番瑞々 しく輝いて見える時間である。曽地奥に向かって下り始めると全身が黄葉に包まれるかのような景色 の連続。 カサカサと落ち葉をかき分けるて下る車輪の音だけが静寂の山々にこだましていた。        (本日の走行距離115km) 2013年11月16日(土)篠山/昭和30年代郷愁ポタリング(2.5万図 篠山)  丹波篠山といえば丹波の小京都とも呼ばれ、城址周辺は武家屋敷群が残っていたり、河原町周辺が国 の重要伝統的建造物保存地区に指定されていたりと江戸時代の区割りの上に、幕末・明治・大正時代 の建物が多く残る街であるが、それだけなら全国に似たような街はいくらでもある。 篠山の凄いところは、こうした街並をベースに昭和30年代が現在と同時進行で生きているところに ある。駄菓子屋やジオラマに始まった昭和30年代のノスタルジックな商店街やミニ・テーマパーク 的食堂街がここ数年、全国各地で街おこしに一役買っているが、この街は『復刻版』ではなく、フツ ーに今も生活の中に息づいているのである。 最初に篠山を訪れたのは昭和55年。その頃は今の歴史美術館がまだ篠山地裁として現役で稼働して いた時期で、確かにタイムスリップ感はあったものの、当時地方にはまだまだそんな街が存在してい たように記憶している。 そんな地方へ行けばどこでも見られた時代遅れの風景も街も平成になり、年月を重ねていく内に、明 治や大正期のものは保存されても昭和のものはどんどん全国から消えていく。無論、篠山とて例外で はなく、多くのものが現在のものに変わっていったのだが、どういう理由か(これを土地柄と呼べば いいのか)変化の速度はゆっくりとしており、結果として今も「昭和」がフツーに残る貴重な街なの である。 今日は、観光都市篠山ではなく、住民の生活の中に「昭和」が息づいている篠山、とりわけ昭和30 年代に子どもであったわれわれ世代に懐かしんでもらえるものをピックアップしてみたい。 1.「せいもん払い」の幟   今、こんな言葉を知っている人はある程度の年齢以上の人だろう。関東でこんな言葉があるのかど うか知らないが、少なくとも大阪・京都あたりが発祥の言葉ではないだろうか。実体は「歳末大売り 出し」「歳末バーゲン」のこと。
せいもん払いの幟

「せいもん」とは「誓文(しょうもん)」と書き、もともとは遊女が“神にかけて誓った”その場限 りの約束状のこと。ふだんは「利益度外視でやってます」という商人も、本当に利益度外視でやって いたら食っていけるわけがない。いわば商売も遊女の誓文と同じようなもの、ということから転じて、 1年間のご愛顧を感謝してバーゲンやります、というのが「せいもん払い」(「払い」は嘘をついて きたことの「お祓い」「清め」の意味)だ。  私が子どもの頃は阪神間の商店街でも年末になると、「せいもん払い」の横断幕などが、アーケー ドに掲げられていた記憶がある。単純に「バーゲン」というよりも、商人と顧客の距離感が近く感じ られるのは私だけだろうか。今年ももうすぐ「せいもん払い」の季節を迎える。 2.「青木百貨」の「虫カゴ」  この虫カゴを見て懐かしむのは、50年前に虫取り少年であった世代だろう。これはディスプレイ ではなく、実際に店頭に並んでいる売りものである。要は「新古」なんだろうとは思うが、貼ってあ る値札といい、まさしく昭和30年代のよろずやの店先そのものの光景が広がっている。
確かにいろいろ売ってますこんな虫カゴでした

 このお店、虫カゴだけではない。昔懐かしいアルマイトの弁当箱や模型なんかも売っている。まさ に「百貨店」で、まだ全店見切れていない状況である。  今となっては、珍しいレトロ・グッズが手に入る場所として、そういう趣味を持った人が全国から 来るようなので今は商売としては成り立っているのだろうが、ここに来るまでの何十年という間、こ れで生計が成り立ってきたことに篠山という街の懐の深さを感じる。  尚、一言付け加えておくが、これらの商品は決して「骨董」価格で売られているわけではなく、ご くふつーに今のお値段で売られている。この虫カゴを下げてもう一度昆虫採集をしてみたいものだが、 逆に昆虫の方が姿を見かけなくなったのが寂しい。 3.「うば車店」  「パン屋」「八百屋」「酒屋」「楽器店」「自転車店」「靴店」・・・全国にいろんな種類の店屋 はあろうが、「うば車」をメインに据えた屋号は、ここ篠山で生まれて初めて見た。看板を見ると玩 具・人形も商っておられたようだが、とにかくうば車屋さんというものがあったこと自体、驚きなの だが、更に特筆すべきは、2軒もあったということである。
小島うば車店

 今は1軒は「うば車」の販売はしておられないようで、もう1軒は看板だけが残る状態ではあるが 、凄い、と言わざるを得ない。 4.その他 篠山で見つけた古いものや懐かしい看板などを以下に集めてみた。
丸石の自転車ただの677で?

世界のパン・・・どんなん売ってたんやろカンコー学生服

残念ながら最後のお店を除いて、今は廃業されているようだ。3桁だけの電話番号は恐らく大正時代の ものと思われる。 尚、骨董・復刻の類ではあるが、昭和30年代にタイムスリップしたいなら西町ブリキ玩具製作所を訪 ねてみるといい兵庫県にゆかりの2大巨匠、手塚治虫、横山光輝の代表作、アトムや鉄人28号のブリ キのおもちゃに会える等30年代満載のお店である。また「昭和の縁日」と銘打った企画もやっていて、 当日はお店の前の通り一帯が昭和30年代そのものになるという。        (本日の走行距離113km)

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