山を駈ける風になれ2002年 8月号
2002年7月6日(土)三田/宰相ケ岳(2.5万図 木津、武田尾)
大阪はこれで3日連続の熱帯夜になったと朝の天気予報は言っている。大阪でなくとも宝塚も十分
寝苦しかった。今日は夜から雨になるという。その割には午前中の降水確率40%はどういうこと
なんだ、と空を見上げれば何とか午前中は大丈夫そう。そんなわけで5時40分スタートする。
今日目指す宰相ケ岳は千刈貯水池の北西方、羽束山のすぐ西隣にある500.5mの三角点ピーク。
地形図では無名、山名は慶佐次 盛一氏の『北摂の山』(西部編)による。直接向かったのでは大
して距離もないので、籠坊温泉周りで訪れることにする。
走り出しから蒸し暑い。早朝の清々しさなどどこにもない。ベットリと体にまとわりつくような感
じでスピードも出ない。何しろ朝鮮半島上空をゆっくりと進んでいる台風5号に向かって、南から
湿った空気が大量に流れ込んできている。5kmも行かないうちから汗が流れ出す。
それでもまだ風はさほど強くもなく予定通りのタイムで杉生に着くと、杉生新田への登りを途中ま
で気付かずアウターで登るほどの快走ぶり。杉生新田まで来るとさすがに涼しく、泉郷峠−籠坊温
泉と気持ちよく走り継ぎ、7時30分後川上のドライブイン前に到着。犬にエサをやろうと出てき
たおばちゃんと会話を交わす。
三国ケ嶽の上空を雨雲が覆っている。降水確率40%はどうやらあの雲のことらしい。急いで出発
する。羽束川沿いに三田方面へガンガン飛ばしながら下っていると、前方から黒いノウサギがこち
らめがけて走ってくるではないか。あやうくウサギとぶつかるところだった。この道は何百回とな
く走っているが、正面からウサギが出てきたのは初めてだ。
徐々に南寄りの風が強くなってきたが何とか木器まで来ると、今日はここから一旦、切詰峠方面へ。
峠への登りの途中で小雨が降ってきた。しかし雨脚は強まる気配もない。これだけ蒸し暑いと小雨
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宰相ケ岳 香下の集落から |
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有馬富士方面へと別れる交差点を東へ。水分補給を摂って、羽束山登山口に着く(8時25分)。
正面右手に羽束山、奥に宰相ケ岳が聳えている。羽束山は9年前にMTBを担いで登ったことがあ
る。そのときから鋭角的な三角錘を天に突き上げるこの500.5m峰が気になっていた。
先述の『北摂の山』によれば香下寺方面から東の鞍部に道が続いているようだ。羽束山登山口の杖
置き場に着くと、左手、お寺のカーポート手前を溜池方面に登る細い山道に折れる。この道が羽束
山と宰相ケ岳の鞍部に向かう道である(8時28分)。
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宰相ケ岳山頂 | 山頂から三田市街方面 |
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溜池を過ぎて暫くはMTB快走コースと言い切っていいほどの気持ちのいい道が続くが、やがて石
がゴロゴロした「普段は山道、降水時は沢」といった歩きにくい道になる。足元に気をつけながら
進んでいると森の中を茶色い大きな鳥が羽ばたいて飛んでいく。何だろうと思っていると更にもう
一羽が同じコースを飛んで10mほど先の大きな木に止まった。
顔がクルリとこちらを向く。梟だ。結構大きい。なんという種類の梟だろう。10年この山域に通
っているが、梟を見るのは初めてだ。カメラを取り出そうとごそごそやっているうちに森の奥へ飛
んで行ってしまった。森のフクロウか。以前済んでいた家の近くにそんな芸人が住んでいたな、い
やあれは露之五郎だったっけ。とか何とか考えながら歩いているうちに鞍部に到着(8時41分)。
右手から羽束山ハイキングコースの道がやってきて、正面に下っている。幅のあるしっかりとした
山道だ。今日は左へ。いつもの雑木林の中に続く踏跡程度の道に変わる。少し登って5mほど下る。
そこを過ぎればいよいよ最後の急登。距離が短いのでゆっくり登ってもすぐに山頂。下草に半分覆
われた3等三角点のある山頂に到着(8時53分)。登り始めから25分、標高差からしてそんな
ものだろう。南北に長い稜線を連ねる高岳方面以外展望は望めない。更に南東に少し行くと古い測
量ポールがあって、その先からは三田、吉川から三木方面までが一望できる大展望。有馬方面は雨
のカーテンに包まれている。山道も続いているが風も激しさを増してきたようなのでここまで。吹
き荒れる風と格闘しながら帰路に着いた。(本日の走行距離 100km)
2002年7月14日(日)三田/加茂金毘羅山(2.5万図 藍本)
九州西方海上を台風8号から変わった弱い熱帯性低気圧が北上、更にそれを追うかのように沖縄の
南海上を強い大型の台風7号が太平洋高気圧のヘリを回って北上している。南から運んでくるのは
湿った空気と強風という自転車乗りには“これでもか”といえる気象条件が整った。
昨日のようにどこで天気が急変するかも知れないので、こういう時のためにとって置いた表題のシ
ョート・コースを行くことに(5時50分)。
加茂金毘羅山は千丈寺湖の南、有馬富士の西1.5kmに位置する356.4mの超低山、コース
的にはMTBが妥当なところだろうが、昨日のステージの結果、ツール・ド・フランス個人総合1
位から7位までを独占してしまったオンセ・チームの快進撃にあやかって?ロード(フレームにオ
ンセのロゴ・マークが入っている)で現地に向かう。
天上橋交差点まで我慢して走れば追い風に乗れる筈だ。いずれにしても距離が短いので個人TT気
分で赤坂峠を目指せば、自己の最速記録を大幅に上回るタイムで通過、後は南西寄りの強風に押さ
れて40km/h台前半の走りを連発、道場の交差点を50.5km/hという自分でも信じられ
ない速さで通過すると、6時45分には加茂のバス停前に着いてしまった。
山の入り口が難しい。強風で地形図もうまく広がらない。どうやら少し行き過ぎたようだ。近くの
自販機でスポーツ・ドリンクを調達、JAライス・センターの南、小さな溜池が並んでいるところ
を目指して戻る。
破線の道が国道につながっているところまで来たが、どこが山へ向かう道かわからない。数軒の家
が並ぶ前の細い道を行くと、一番国道から離れたところに山の方へ登っていく簡易舗装路がある。
とりあえず上ってみるとそこは個人の家の玄関先。でも左手に竹林の中に続く山道がある。この山
道は集落の裏手の山の中にある祠でジ・エンド。しかし、祠へ向かう手前に北に道がかすかについ
ている。
雑木林の中をロードを担いで突破すると、東西に走る山道に合流した(7時03分)。どうやらこ
れが地形図の破線の道らしい。人ひとり分の幅しかない道だが間違いなさそうだ。ロードを近くの
木に立てかけ、クモの巣払いの小枝を手にして歩き出す。
地形図では緩やかに登る破線の道だが、実際に歩いて見ると、ほとんど平坦かと思われるくらい勾
配を感じない道である。山道の両脇には赤テープや、青ビニール・テープも現れ、あとはだらだら
と歩いて行けばいいだけの道になる。クモの巣にひっかからないように注意する他は、朝のお仕事
を終え、お休み中のヒグラシを驚かさないようにしながら進むだけだ。
左手に大昭和製紙所有地であることを示す看板が現れるとすぐ同じ方向に巨岩が現れる。しばらく
行くと今度は右手に巨岩が現れる。こんななだらかな山に不釣合いな感じさえする。山道を歩き出
して15分弱、道が少し北に振ったかな、と思い出したところで分岐に到着。「右 金毘羅宮参道」
と書かれた丸い標識が立っている。
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草深い参道 |
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標識をカメラに収め参道を行く。今日初めて登りらしい登り道になる。とはいってもわずかな標高
差、5−6分でステンレス製の鳥居をくぐり、金毘羅宮の境内に到着(7時23分)。小広い境内
の奥には一段高く金毘羅宮を祀った社がある。社の左手から背後の磐座に登る。残念ながら展望は
ない。どうやらこれが御神体のようである。
境内に戻って三角点のあるピークに向かう。右手奥に続く道を1分も行かないくらいの距離に三角
点のあるピークに到着する。基部が少し露出した三角点は3等だ。こちらは東に切り開きがあり展
望がいい。目の前には福島大池と有馬富士、その奥には先週登った宰相ケ岳と羽束山が意外と近く
に見える。
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金刀比羅宮 | 山頂から東方面(羽束山が見える) |
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しばし展望を楽しむ。が如何せん風が強い。というよりも山の上では暴風に近い。展望もそこそこ
に下山、ロードを拾って本来の登り口へ出る。知っていないと登り口にはとても見えない。このあ
と千丈寺湖南岸を走る予定をしていたが、10m/sを超える強風ですっかり予定もとんでしまい、
ひたすら向い風と戦いながら帰還。 (本日の走行距離 52km)
2002年7月20日(土)氷上/石生城山(2.5万図 柏原)
熱帯夜が続く。5時現在の気温、27.3℃とほとんど下がらないまま一日が始まった。今日にも
梅雨が明けるというが、上空は重苦しい雲に包まれている。今月はまだ、まとまった走りをしてい
ない。来週は登山の予定なので、今日はしっかり走りつつ未踏の山も登ろうというわけで表題の山
を選定する。石生城山はその名の通り、石生にある198mの超低山だ。
少しでも涼しいうちにと5時30分自宅を出発する。昨日まで見ていたツール・ド・フランスの山
岳ステージよろしく赤坂峠への上りを元気よく上り出したものの、南西からの風が強く、先週のよ
うな記録的な走りとはならない。それでもそこそこのタイムで赤坂峠を通過すると、北六甲台の下
りでは重機を積んだトレーラーを追い越し車線からかわし、信号が変わりかけた天上橋交差点を5
4km/hでクリアする。やっぱり頭の中はツール・モードになっているようだ。
ときおり横風になるものの、概ね追い風に変わった北上ルートはスピード・アップするにはもって
こい。途中から各ポイントで過去最高タイムを連発、鐘ケ坂トンネルを一気に駆け下ると2時間ち
ょっとで柏原を通過、7時48分には稲継の交差点に到着することができた。
厚い雲に覆われている。安全山の山頂付近は雨雲の中だ。ゆったりと東に折れ石生の交差点に向か
う。交差点の角、一段高くなったところに大師堂が建っている。この超低山を登るにあたっては地
元にお住いの「丹波のたぬきさん」のHPをチェックしていたので、登山口探しのロス・タイムな
しだ。
大師堂にロードをデポし、裏山に登る。裏山の上には「石生行者堂」と書かれたお堂が建っている。
北に山道が続いている。一旦山道を下り、墓場の横をぬけ竹林の混じった急登を登ると平坦で広い
尾根状になる。雑木越しに石生城山が見えている。マイクロウェーブの反射板のようなものが山頂
に見える。足下をトンネルが貫通し、R175のバイパスが走っている。
ちょっと登りをかなせばもう石生城山の頂上だ。大師堂からここまで20分弱はお手軽ハイキング
にはもってこいか。山頂付近は伐採、整備されており、とても麓との標高差100mそこそこの山
頂とは思えない迫力ある展望が広がる。日本一低い平地の分水界を挟んですぐ目の前には向山連山
が大きく立ちはだかる。雨雲が低く垂れ込めていることもあって、周囲を取り囲む高見城山や白山、
安全山がいつにも増して立派な山岳に見える。
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山頂から・・・向山連山が見える | 三角点 |
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マイクロウェーブの反射板のように見えたのは城山の解説版だ。向山とも呼ばれ、ガンジョウジ城
址、カマショウジ山の古称もあるという。また幻の氷上城がここにあったのではないかというロマ
ンを秘めた山でもある、と書かれている。
ゆっくり景色を眺めていると小雨が降ってきた。どうしようもないほど蒸し暑かったので救われる
思いがする。三角点は説明板が立っているところから50mほど北西に行ったところにある。快適
なシングル・トラックは更に北の山に向かって続いている。思わず誘われて先を歩いてしまいたい
ような道だが、今日は午後から用事があるのでそうもしていられない。
せめて下山は違うルートを辿って下りるが、もともと小さな山。すぐにロードをデポした大師堂ま
で戻ってくることができる(8時30分)。
いつの間にか雨は止んだようだ。帰路は栗柄峠回りだ。追い風を受けて野村(黒井)まで爆走。そ
の後雨が本降りになったかと思われるほど強くなったりもしたがすぐに止む。栗柄峠への上りは今
日も快走、今度のロードは上りが強くなったのでは、と錯覚を起こさせてくれる。
栗柄峠を越える(9時21分)とあとは自宅までの55km、ずっと向い風との戦いになる。先週
ほどではないにせよかなり辛い向い風、途中でモーニング休憩を挟みながらもなんとか力走。途中
から強い日差しが照りつける。どうやら梅雨が明けたようだ。あの雨は過ぎ去っていく季節の最後
の抵抗だったのか。11時59分、どうにか午前中に帰宅することができた。
(本日の走行距離139km)
2002年7月27日(土)〜28日(日)
中央アルプス/木曽駒ケ岳〜宝剣岳(2.5万図 木曽駒ケ岳)
◎7月27日(土)
「おはようございます」
そう言って待ち合わせ場所である梅田の高速バスのりばに現れたのはミセスFであった。今回同行
予定の旦那さんの姿がない。何でも家を出てから高速バスのチケットを忘れたのに気付き、取り敢
えず彼女だけが先行、旦那さんはあとから追っかけてくるという。
いやはや、何やらハプニングを予感させるスペシャル山行となりそうだ。“珍道中”と笑って済ま
せられる程度であればいいが…
7月27日(土)午前8時30分、定刻通り高速バスはバス・ターミナルを出発した。去年10月
のスペシャル企画に続く「ヤブ山歩き 番外編」、今回は今年の干支の山でもあり、かつ初心者で
も簡単に3,000m級の山歩きを楽しめるようにということから木曽駒ケ岳を選出。千畳敷カー
ルから登り、頂上周辺を散策して戻って来ようという企画にした。
木曽駒ケ岳は地元では西駒ケ岳、西駒と呼ばれている標高2,956m、幅15km、南北90k
mに及ぶ日本一大きな花崗岩の山脈=中央アルプスの主峰である。駒とは馬のこと。その名前の由
来は中岳と宝剣岳に現れる雪形から来ており古来神馬が住む山としてあがめ奉られて来た山である。
(宝暦6年(1756年)当時の高遠藩が神馬かどうか確かめようと鉄砲で雪形を撃ったという話
しも残っている)
あらためて今回のメンバーを紹介しよう。最終的に同行することになったのは、リハビリも癒え一
緒に歩くのは約1年ぶりになるミセスFと山では初顔合せとなる彼女の旦那さん“旦那F”(=ど
うにかバスの発車時刻には間に合った)の2人。2人とも毎年1回は3000m級の山に登ってい
るベテラン。聞けば来週も合戦尾根から北アルプスの山々をやる予定とか。ま、2人にとってはい
い足慣らし、私にしても自分の歩きに専念できるというところだ。(いつも勝手にスタスタ歩いて
いる、という声も聞こえてきそうだが…)
13時40分、高速バスは30分遅れで駒ヶ根バス・ターミナルに到着。ロープウェイのりば行き
のバスに乗るため駒ヶ根市のメイン・ストリートを駅まで歩き、14時発のバスに乗り込む。バス
の運転手によれば、今ロープウェイは2時間待ちの状態だとか。うわさには聞いていたが、まさか
この時間でまだ2時間待ちとは…。いったい何時になったら山小屋に着けるのか。「明かりは持っ
てきました?」なんてミセスFは言っている。
つづら折の連続する1車線路を職人芸とも言えるハンドルさばきでバスはしらび平へ(14時51
分)。到着するとそこはすごい人人人…。ロープウェイ乗船整理券をもらい待ち行列の一人となる。
適当に木陰を求めて休む。標高1,662m、さすがにここまで来ると陰に入れば涼しい。しかし
この暑さで3人とも歩く前からお疲れ気味。旦那Fは近くに陣取っていた中高年のグループに合わ
せて準備運動をやっている。
整理券の色を間違え、「早よぉ乗れるやん」と糠喜びする大ボケもあったが、16時30分結局1
時間40分待ってロープウェイに乗り込む。ロープウェイの乗船時間はわずか7分30秒、あっと
いう間に標高2,612mの千畳敷に到着した。この標高まで上げるロープウェイは勿論国内では
1番、世界でもスイスのロープウェイに次いで2番目という。
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2時間待ちのしらび平駅 | ガスる千畳敷カール |
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目の前に広がる世界が変わった。突然、森林限界を超え、荒々しい岩稜と雄大なカールが迫る。さ
あ、いよいよ歩きが始まる。めいめい支度を整えて16時45分ホテル千畳敷の前を出発。こんな
時間から歩き出すのは初めてだ。
遊歩道を通って切り立つ岩稜の鞍部、乗越浄土に向かう。それにしてもすごい人の列が続いている。
遊歩道まではサンダルやヒールで歩く“器用な”一般の旅行客(翌日は寒さだけは考えたのか?ブ
ーツを履いているご婦人もいた。もう何をかいわんやである)も混じって歩いているのでテンポよ
く歩けない。道は狭いし上から下りてくる人もいるし、中高年の列はやたらと長いし、ふだん誰も
歩いていない山ばかり歩いている身にとってはストレス溜まることこの上ない。
それでもシナノキンバイを中心に高山植物があたり一面咲き誇り、目を楽しませてくれる。コース
外ではあるが、雪渓も残っており感動の連続といったところだ。急登の続く八丁坂でペースの落ち
出した中高年のグループを写真を撮りながらも片っ端からごぼうぬきにしてまずは乗越浄土に着き
後続のF夫妻の到着を待つ(17時16分)。
ガスが流れる前方に中岳(2,925m)が見える。すぐ目の前にギザギザの王冠のような岩を連
ねるのは宝剣岳(2,931m)だ。時間が時間ということもあり、さすがにここまで来ると歩い
ている人は少ない。後から登って来た中高年グループは宝剣山荘にお泊りのようだ。
しばらくしてF夫妻がやってくる。立派な体格の旦那Fは体格が災い?してか中高年グループの横
をすりぬけるのに苦労したようだ。しばらく休憩して今日のねぐらである山小屋を目指す。今日の
宿であろう。宝剣山荘の前で一息入れている中高年のおばちゃんたちの高らかな話し声が聞こえて
くる。リーダーにルートを尋ねているようだ。
「あれは?」
「あれは今、歩いてきたルートやないか」
おばちゃんはどこへ行っても笑わしてくれる。でも絶対に一人では来れない、ということでもある。
苦笑しながら宝剣山荘の裏を回り、中岳への登りに入る。中岳の左奥に本峰(駒ケ岳)が見えてき
た。この辺りはアップダウンも緩く岩もゴロゴロしておらず歩きやすい、というかMTBでも走れ
そうなところだ(どうしても歩きながらMTBでの走りをシミュレーションしてしまう)。
大きな花崗岩(この木曽駒山頂周辺の花崗岩は6,500万年前にできた木曽駒カコウガン=その
まんまやないか=という岩石帯で構成されている)が重なるコブを登りきれば中岳山頂(17時4
0分)、頂上部には祠と宝剣が祀られている。
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祠と宝剣が祀られている中岳山頂 |
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祠の横の岩に登ってみると駒ケ岳本峰が一回り大きな丸い盛り上がりを見せる。駒ケ岳との鞍部に
は頂上山荘の青い屋根、手前に色とりどりのテントが見える。テントの方からは賑やかな声が聞こ
えてきて、さながら夏祭りでも始まるかのような雰囲気である。
さて、我々も先を急ぐ。一旦鞍部に下り先行していた2人連れの登山者をかわすといよいよ目の前
には誰もいなくなってしまった。いくぶんガレ気味の登山道を登りきる。視界の先には登り道はな
い。両脇に2つ神社が祭られている。中ほどに方位盤、その右横に1等三角点の標石が埋まってい
る。山頂である。18時00分、木曽駒ケ岳山頂(2,956.3m)に到着した。
ややかすんではいるが抜群の眺望が広がる。体を吹きぬける風は少し肌寒いが気持ちいい。頂上で
3脚を立てて写真を撮っていた人に登頂記念の写真を撮ってもらい頂上直下にある本日のねぐら「
木曽頂上小屋」に入る(18時10分)。
◎山小屋
到着時刻が遅いのでどうだろうかと恐る恐る中に入ると(勿論予約はしているが)、宿泊客が満員
とかで受付が済んでない人が狭い通路にあふれている。とりあえず宿帳に名前だけ書いて彼らと共
に受付を待つが、夕食の配膳が忙しいのか、小屋のおじさん一向に受付をしてくれる気配がない。
おまけに我々をはじめ、みんながいろんな事をいうものだからおじさんパニック状態、頭真っ白と
いうところ。結局さばききれず誰の要望も通らない。ガンコな山小屋のおやじなら一喝してもよさ
そうな場面であるが、人のよさそうなおじさんはとにかく配膳に全力を尽くしている。
19時を過ぎても一時間前と何ら変わっていない。一体いつになったら受付をしてくれるのか(ふ
つうそこで料金を払って部屋割りをしてくれる)、そして食事にありつけるのか…。満を持しても
う一度おじさんが出てきたところをつかまえ訊いてみると
「宿帳書いた?そしたら食べて」…え、いいの?
とにかく我々と同じような人20人ばかりが集まって食事をする。メニューはカレー。デザートに
杏仁豆腐がついている。杏仁豆腐が美味しかったとミセスF。それは山小屋で調理したものじゃな
いだろう。水は南アルプスの何とか水、というペットボトルに一様に入っているが、雨水を溜めた
もので湧き水ではない。でもそれなりに美味しく感じるから山小屋は不思議だ。
「金払ってないけどいいの?」と何となく後ろめたい気持ちを抱いたまま夕食は終わり、寝る場所
の確保へ。結局部屋は満員ということで、今我々が食事をした食堂のテーブルとイスを片付けどこ
か奥の方に押し込んであった敷布団と毛布を引っ張り出し寝る場所を作り上げてしまう。ここでも
布団の並べ方を指示したおじさんの意見はどこかへ押しやられ、とにかくたくさん敷き詰められる
ようにして、20時には全員布団にもぐり込む。
われわれ3人も狭いスペースを確保。いったん形を決めたら朝まで身動きできない状態だ。昔のク
ラブの合宿を思い出す、とはミセスF。彼女はこういう不便な状況をそれなりに楽しんでしまう強
さがある。でも彼女曰く「今まで泊った山小屋の中で最高かも…」。ま、初心者を連れてこなかっ
たのはよかったのかも知れない。
夜中トイレに行く人が横を通る度に目が覚めはしたものの、概ね睡眠も取れ、朝4時10分起床、
全員で布団を片付けご来光を拝みに行く。
◎7月28日
外は寒い。顔にあたる外気の感じは11月下旬の丹波路の朝といったところか。10℃以下である
ことは間違いのないところだ。空がだんだんと青みを増してくる中、木曽駒ケ岳の山頂に登ってご
来光を待つ。
南アルプスの長大な峰々が東の空に浮かび上がっている。その中ほどから台形の頭を持ち上げてい
るのは富士山だ。日の出間近で山が赤く見えるのは八ヶ岳連峰赤岳を中心とした山々。西には御嶽
がその特徴的な顔を出し、雲海を隔てて北に乗鞍、更に北に向かって穂高、槍をはじめとする北ア
ルプスの山々が連なって見える。ここ中央アルプスはまさに日本を代表する山々の最高の展望台だ。
勿論宝剣岳から南に伸びる中央アルプスの山々もどこまでも連なって見えるが、なんといっても印
象的なのは空木岳(2,864m)の姿である。三ノ沢岳(2,847m)も手前で堂々とした勇
姿を見せている。
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夜明け前南アルプスの向こうには富士山
左から北岳、間ノ岳、農鳥岳、富士山 | 4:53 ご来光 |
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中央アルプスの山々
空木岳、南駒ヶ岳、手前は三ノ沢岳 | 木曽駒ヶ岳 |
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周囲の山々に見とれていると、誰かの「出た」との声。4時53分。八ヶ岳天狗岳の左側からご来
光。えらく簡単にしかもハイスピードで昇ってくる。しかもやけに大きく見える。山頂に詰め掛け
ている何百人という人間が一斉にシャッターを切る瞬間だ。
我々も「賀正だ」といいながら互いに写真を撮り合う。そうだ。今年は喪中だった。再来年の年賀
状に使うか(あ、いやいや)。いい加減寒くなってきたので朝食を食べに小屋に戻る。おじさんは
またもや配膳の準備におおわらわだ。
昨日とはちがってさっさと席に着き朝食を頂く。ノリとゆで卵がついていたのは覚えているが、何
がメインのおかずだったのか。とにかくどんぶり茶碗の大きさとご飯の量が反比例していたのだけ
はよく覚えている。
先に出発した団体さんの部屋が空いたのでそちらへ移動する。山小屋に来て初めてくつろいだ瞬間
である。朝食も食べたし準備もほぼ終わったしいつでも出発できる。が一つ忘れていることがある。
宿の支払だ。旦那Fと一緒におじさんをつかまえにいくと、あっさりつかまえることができ支払完
了。6時10分思い出深かった山小屋に別れを告げて出発する。
今日はとにかく早めに山を下りることが重要だ。昨日のようなロープウェイの待ち行列に捕まって
しまった日には帰りの高速バスに間に合わなくなってしまう。3人ともその辺のところの学習能力
はあるので、しらび平まで何とか早めに下りることで意見一致。予定を変更してまず宝剣岳を目指
す。
昨日よりもはるかに天気がいい。往路を宝剣山荘前まで戻る。三度木曽駒ケ岳の頂上を越え中岳へ
(6時50分)。宝剣山荘方面からの中高年グループとすれ違う。彼らの特徴は登りの際、自分の
足元しか見ていないこと。前を行く人の靴のかかとくらいまでしか視野が及んでいないものだから
上から下りて来る我々には直前まで気付かない。ミセスFなんて「もう少しでストックで足を突か
れるかと思いましたよ」といっている。前の人の靴を見ながら歩くだけではこんな山歩き“苦行”
以外のなにものでもないと思うのだが。もっと景色を楽しみながら歩けばいいのにと思ってしまう。
7時過ぎには宝剣山荘横まで戻ってきた。朝から一人「目が乾くの、鼻水が止まらないの」と言っ
てたミセスF、今度は唇が乾いて張り付いていると言っている。忙しいことだ。確かにカラッとし
て湿度は低い。
少憩の後、宝剣岳への登りにかかる。目の前に見えてはいるが、なかなか険しそうな岩山である。
特に山頂手前の15mほどは鎖が渡してある切り立った岩場を歩かねばならない。この鎖場を渡る
箇所は絵になりそうだ。さっさと渡り足場を見つけてカメラを構え後続の2人をカメラに収める。
なかなか迫力のある絵が撮れた。
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宝剣岳への最後の登り | 宝剣岳をバックに歩く |
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2人が渡って来るのを待って山頂に立つ(7時25分)。とはいっても正確には山頂ではない。厳
密に言うと宝剣岳の頂上は1人しか立つスペースのない細い岩の上である。岩の高さ自体は足元か
ら2m少々しかないが、なにせ周囲は切り立った絶壁、特に西側の谷は覗き込んだだけで吸い込ま
れそうになるほど深い谷である。こんなまっすぐ伸びた岩、どうやって登るのか。もうここで十分
だと言い聞かせて他の登山者に記念写真を撮ってもらう。
とその時、われわれの横をすり抜けてその細長い岩の後ろに回りこんで柏手を打つ人がいるではな
いか。どうやらあちらにも祠が祀ってあるらしい。(われわれの立つ足元にも祠がある)せめてこ
こまできたのだから祠くらい拝んでおかないと、と回り込んでみると意外と岩の頂上部に登れそう
な足がかりがある。これならと一気に登ってしまう。やった。これで本当に宝剣岳の頂上に立った
(というか座った)。
広さ的にはどうだろう。変な喩えだが1聖地分の広さといったら判り易いだろうか。あぐらをかい
て座ったらそれでいっぱいという広さだ。そこで立ってみてはと無責任な声もかかるがとても立て
たもんじゃない。くらっときた日には2,000m(距離ではなく標高差)は落ちてしまいそうだ。
問題は登りよりも下りである。下りようと下を見るとホテル千畳敷が眼下にかすんでいる。足をの
ばせばちょうどいいところに先ほどの祠の屋根があるのだが、そんな罰当たりなこともできないの
で、思いっきり足をのばして足がかりを見つけ、はずみをつけて下りる。この様子を見ていた2人
にも岩の上に登ってみることを勧めるがあっさり却下。結局10分間ほど頂上部に滞在した後もと
来たルートを辿って宝剣山荘前まで戻る(7時50分)。
最高の天気、最高の眺望、宝剣岳にも登ることができた。下山にかかるにはまだいささか余裕もあ
るので、乗越浄土から木曽前岳(2,883m)方面に足を伸ばしてみることにする。目の前に見
えている和合山(2,911m)までは右手下に千畳敷カールを見ながら緩やかで歩き易そうな道
がついている。
和合山に向かって歩み出したわれわれの横を中高年のおばさんがジョギングよろしく駆け抜けてい
く。恐ろしく元気のいいおばさんだ。こんなところで高地トレーニングか?(いやいや)こちらは
歩く人も少ないのかハイマツ帯が山道の両脇までせまりなかなか雰囲気がいい道である。植生保護
のためロープが張られており、和合山山頂には登ることができない。しかしロープの外側に「9合
目」の立て札とベンチと思しき残骸が残っており、以前はルートとして歩かれていたことがわかる。
結局、木曽前岳に向かって道が下りはじめたところでターンし、再び乗越浄土へ(8時25分)。
下から登ってくる登山者も多くなってきたので千畳敷へ下りることにする。
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雪渓残る 中岳東斜面 | 満開のお花畑 |
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下山も大変である。上り下りの列ができ大渋滞。40分以上かけてようやくホテル千畳敷の前まで
下りる。すでに上りロープウェイは2時間待ちとアナウンスしている。やはり早く下りてしまうこ
とに越したことはなさそうだ。
幸い下りロープウェイは待ち時間00分なのでラクラク乗船、9時35分にしらび平まで下りてく
ると、続けて10時過ぎの臨時バスに乗って駒ヶ根高原にある菅の台バスセンターまで戻ってきた
(10時40分)。もうここまでくれば帰りのバスの時間を気にすることもなくゆっくりできる。
汗をかいたまま着替えもせず“得体の知れない”布団で寝たこともあって、まずは温泉に浸かって
さっぱりしたい。大きな山荘風の立派な温泉施設「こまくさの湯」でゆったりくつろいだあとは名
物ソースカツ丼を食べに近くの和風レストランに入る。
出てきたソースカツ丼に思わずにんまり。どんぶりのふたが閉まらなくて半分空いた状態(つまり
はこぼれんばかりの状態)なのだ。山盛りのキャベツをこぼさずに食べるのが難しい。幸せな状態
に入った3人の話題は自然と今回一番印象に残った山小屋のおじさんの話。
ミセスFが今回都合で急遽参加できなくなったコンパス姫からのメールを紹介してくれる。『山小
屋でミセスFとじっくり語りたかったです』と。
「語られへん、語られへん」
「語れるものなら語ってみろ」
すかさずツッコミを入れてしまう。きっと彼女はスイスの山小屋みたいなところで暖炉を背にしな
がらワインか何か片手に、ゆったりと流れていく山上の別世界の時間を思い描いていたのかも知れ
ない。“ワイン片手に”と“得体の知れない布団”の落差は2,000mより大きいかも知れない。
13時を回った。下界もだんだんと暑くなってきた。まだ帰りの高速バスの出発時間までたっぷり
間がある。ゆっくりとお土産の品定めでもすることにしよう。ふと見上げた菅の台バスターミナル
に設置されている電光掲示板は『只今のロープウェイ 下り待ち時間、3時間30分』を告げていた。
織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。
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