山を駈ける風になれ2004年 2月号

 
2004年1月4日(日)北摂/大野山、坊主山 (2.5万図 木津、福住)
新春初走り。最初に断っておくが表題の大野山と坊主山は同じ山域にはない。前者は言わずと知れた阪神間の
最高峰、後者は猪名川町の木津と万膳の間にある標高238.5mの超低山である。

昨年、一昨年に続き3年連続で走り初めは大野山にする。正月休みでなまった体を軽くするには大野山がちょ
うどいい。ヒルクライムでカロリーを消費するなら六甲山が最も適しているだろうが、距離が近すぎて走った
気がしない。大野山なら往復80km少々、走った気にもなれるというわけだ。
6時53分、先週のような雪が残っていないか少し心配ながらもロードで出発する。ベストより3.5キロ重
たい体は正直だ。なかなかスピードに乗れないまま笹尾にあるコンビニで食料調達、杉生で水分補給をする
(8時10分)。

少し休んで後柏原に向かう。雪はなさそうだ。徐々に体が慣れてきたか、柏原でスポーツドリンクを調達し(
8時28分)、大野山への林道を上る。柏原からアルプスランドへ向かう最初の激坂をギアの選択を間違えて
上ったため、アルプスランド方面に入るやすぐに足に来、続いて腰にくる。やっぱりウエート超過分が錘にな
っている。林道脇の林の中にオスの雉を見つける。
ヒーヒー言いながら上っている横を車が2台追い越していく。山頂直下まであと1kmというところで、まだ
もう1枚ギアが残っていることに初めて気が付く。ようやくラクになったと思ったらアルプスランド。無線中
継塔の下に見慣れない望遠鏡が設置されているのを横目に見ながら柵の横をすりぬけて大野山山頂に立つ
(8時58分)。
天文台越しに三国ヶ嶽を臨む北中山(丈山北峰)方面の展望

山頂はきれいにススキとクマザサが伐採され展望がよくなっている。特に北側の眺めがいい。北中山(丈山北 峰)から弥十郎ケ嶽の山並がどっしりと横たわり、その向こうには多紀連山が悠然とした姿を見せている。な ぜか北中山が高く見える。今立っている大野山より30mほど低い筈なのに同じくらいに見える。 細かい雪のようなものが舞う山頂はじっとしていると寒い。しばらくしているとようやく青空が広がってきた。 山頂で展望を肴に軽食を摂り、天文台へ行ったり、さきほどの見慣れない望遠鏡(甲南大学のチェレンコフ望 遠鏡)を見たりして下山路(=車の)を下り大野山の西にあるCa710山と706山に向かう。
甲南大学チェレンコフ望遠鏡

706山(エアリアマップ『北摂の山々』では上ノ山の名前で紹介されている)へは花立岩へ登ったついでに 何度か登っているが、710山は強烈なクマザサが生い茂っているため登ったことがない。 だが、運良く登り口と思われるところでクマザサがきれいに刈り取られているのを発見、ロードをデポして山 の中に入る(9時28分)。太陽の光が差す雑木林の中はじっとしているだけで汗が出てくるほど暖かい。 6分ほどでCa710山のピークに着く。一旦下って登り返せば706山に(9時38分)。何と山頂には「 花立岩」の案内標識が新しく立てられている。伐採した雑木を使った階段が下の林道まで下っている。どうや ら林道とは別に山の中にハイキング道を作ろうとしているようだ。
710山から大野山山頂方面を振り返るこんな案内標識も・・・

“山道”はまだまだ続いている。北西側に開けた広い谷を通り歩いていくと林道が大きく左カーブしていると ころへ出た。新しく作った道もあるが、もとからあったと思われる踏跡も沢山あり、これまで何十回と訪れな がらまったく知らなかった“道”の存在に山の懐の深さを知る。 林道を歩いて戻り、デポしたロードに乗ってゴルフ場まで戻ってくる(9時58分)。誰もいない大野山独り 占め遊びを満喫しながら帰路に。 今年はいくつ未踏の山に登れるだろうか。今日は未踏の山を登るという点では“坊主”だったな、・・・あ、そう だ坊主山に登ろう、ということで木津の南にある甘南備山と言われている坊主山に向かう。 杉生まで戻ると県道川西篠山線を平均35km/hで南下する。ヒルクライムと山遊びをしたおかげか体が軽く なったか。木津の交差点で槻並方面へ折れ、峠を上って槻並川の手前を右折、途中から地道の農道に変わった道 を進んで坊主山の北側にある溜池の横を回りこむ地形図の破線路に入る。 東側の大きな池までは林道幅の道が付いている(10時48分)。ロードをデポ、溜池の右側に付いている山道 を西へ進む。背丈を超すササやぶを掻き分け2つ目の池(カラ)を越えると変則ながら5叉路になっているポイ ントに出る(10時55分)。 ひとつは破線路の道。カーブしながら坊主山西麓の神社の前に出る道である。北に向かう山道は恐らく坊主山北 西の住宅地につながるのであろう。もう1本は鞍部を挟んで坊主山と対峙するCa210山に向かう道。そして 残る1本が「火の用心 No18へ」の巡視路だ。自分が歩いてきた道が5本の中で一番ヤブっぽい。 巡視路は坊主山北西肩に立つ鉄塔に向かう道、うまくいけば山頂まで道が続いているかも知れない。巡視路は結 構な道幅のある道で歩き易い。松茸山なのか、入山禁止の札が至るところに下がっている。 雑木藪歩きを楽しむうちにNo18鉄塔の下をくぐる。三蔵山がいつもと違った表情を見せている。No19鉄 塔へ向かう道はやがて山頂の西を下り始める様子。そこへ「坊主山へ」と書かれた黄色いビニールテープを発見 する。
変形5叉路(坊主山北の鞍部)シダに覆われた山頂

余計なお世話に興醒めになりながらも助かるのもまた事実。でもそこは自分の背丈よりも高いシダが密生するポ イント。強引に埋もれながら踏み込んでいくと変な金属音のするものにぶつかった。 え、何だ?白と茶色が斜めに塗り分けられた箱状のものに『×』の字が書かれているではないか。『バツ』では ない『エックス』だ。オリエンテーリングの目印だ。これにはびっくり。こんなヤブ山、登路を見つけるのも難 しいようなヤブ山の頂上近くのシダ藪に隠れた標識、こんなオリエンテーリング好むのは『山&チャリ』の向井 さんくらいのものだろう。今もここでオリエンテーリングが行われているとは思えない。 変なことに感動しながら踏み込むポイントを変えて山頂を目指す。10mほどシダ藪を漕げばシダは浅くなり4 等三角点の埋まる山頂に着く(11時07分)。シダに覆われた山頂で展望は無い。山頂から南に向かう道もな い。 山頂でペットボトルに残ったスポーツドリンクを飲み干して巡視路に戻る。5叉路まで戻り他の道を確かめたか ったが、いずれにしてもかなり歩かないとデポ地には戻れそうもないのでピストンでデポ地に。 初走りのおまけの山登りだったがなかなか面白い山歩きだった。山頂近くのオリエンテーリング標識の他の標識 は一体どこにあるのだろうかというのも気になったが、それは“専門家”におまかせすることにして帰路についた。      (本日の走行距離 85km) 2004年1月10日(土)篠山/寺山(2.5万図 福住) 本年2度目のツーリングは篠山盆地の南麓、日置にある寺山から天狗岩に続く尾根を歩くことに。昨年12月に 2度も雪に阻まれ果たせなかったコースだ。今日はR176〜R372回りで現地まで走ることに。 勿論、もう雪などすっかり融けて無くなっていることはわかっているので先月と同じコースで走っても問題ない のだが、大回りになるこのコースの方が、現地まで早く着けることも確か。空がようやく白みはじめた6時47 分、出発をする。 正月休み太りが戻らないままゆっくりペースで赤坂峠をクリアすると、追風気味の風にも恵まれ、快調に篠山盆 地に入る。東吹手前のコンビニで食料調達、日置目指して県道を東に走っていたが、新年の篠山詣をしておこう と、北の交差点を左折、篠山城大書院前に着く(8時43分)。 大手門入口には門松が飾られ新春の風情が漂っている。街はまだ眠っている。二階町をぐるっと周り、再び北か ら県道を東に走り、R372の旧道を一里塚を眺めたりしながら走り継いで日置に着く(9時13分)。雪が舞 い始めた。
八上の一里塚

寺山の登路を求めて寺山北北西にあるため池に向かう。池の東側に道があるようだ。ロードをデポし出発する (9時23分)。植林帯の中の谷を登っていたが、谷を埋め尽くす倒木帯にぶつかる。障害物競走をしに山に来 たのではないので、歩きやすそうな右手の植林帯を直登、イノシシの足跡をトレースしながら寺山北西尾根に出 る(9時35分)。 尾根筋には明確な径がついている。野々垣方面からの径のようだ。どの辺まで登ってきたのだろうか。5分ほど 休憩してから寺山目指して歩き始めると、すぐにちょっとした段差のあるポントに着き、乗り越えて山頂に着く (9時43分)。
北西尾根に乗る(寺山は写真の中央を右に進む) 寺山山頂

ほとんど頂上直下まで直登していたようだ。雑木に覆われて展望の無い山頂はあきらかに山城の跡と思われる地 形を残している。中央に埋まる3等三角点に腰掛けてサンドイッチを頬張っていると陽が差してきた。 10分ほど休んでから尾根筋を南に歩き始める。今日は天狗岩に続くこの尾根筋を歩く予定だったが、ロードを デポした場所も考えればどこか途中で下山する必要がある。なおかつ今歩いている尾根筋は明確な踏跡があるの で半分判ったも同然。むしろ判らないのは寺山の登路の方。
寺山から南西に続く尾根筋

というわけで途中から寺山の登り口を探す事に変更。来た道を戻る。明確な尾根道は寺山の南東を捲いて北東に 続いている。曽地口の方にも登り口があるということか。 山頂の真下を通過して北東に進むとここも出城(砦か)だったのだろうか、頂上部が平坦なCa370コブに着 く(10時03分)。付近の木には黄色いテープが巻いてある。ここも展望はない。 北東尾根を更に下る。傾斜も緩く歩き易い。Ca370コブから4分ほどでアンテナの残骸が散らばるポイント に達する。ここで山道は2つに分岐する。歩き易そうなのは右へ下って行く道だが、古いのは引き続き北東尾根 を直進する左の道、調子よく下っていると、急斜面ごしに下の道を1台の車が走っていくのが見える。もう麓ま で下りてきたようだ。 出口は“お約束”のシカ除けフェンス。扉はご丁寧なことにフェンスの切れ端を使って4ヶ所も縛ってある。内 側から開けるだけでも一苦労なのにペンチを使ってねじったのか、なかなか外せない。こんなところで手間取る とは思いもよらなかった。2ヶ所だけ外して強引に外へ出、元通りに絞って農道に出る(10時20分)。
天正の首塚

デポ地に戻って周囲をゆっくり走りながら帰路を考える。曽地奥から後川奥へ抜ける峠越えをすることに決めて 曽地川沿いの道を走る。路傍に大事に祀られている塚を発見。自転車を停めて説明文を読む。『天正の首塚』と ある。それによると寺山−天狗岩をつなぐ尾根筋は戦国時代高城山へ兵糧を運ぶ隠しルートに使われていたよう だ。 今でこそ一部の低山徘徊マニアしか訪れないような山道一つをとってみても歴史が刻まれているのが丹波の山々。 遠い昔に思いを馳せながら小春日和の篠山を後にした。 『天正の首塚』(説明文より) 『戦国時代の武将、織田信長の家来、明智光秀は天正7年八上城(高城山)を奪おうとした。八上城に立てこも る武士たちに食べ物を与えないで殺そうと考えました。2、3日も経つと、きっと城から抜け出して来る者もあ るだろうと監視の眼を光らせていましたが、十日たっても二十日たっても少しもその様子が現れないので不思議 に思い、あちこち様子をうかがっていましたが、なんて、曽地村の寺々から、この山の尾根伝いに食べ物を運び 込んでいるという寺を全部焼き討ちにし、食べ物を運んでいたという人々の首を切り、ここに葬りました。 今を去る四百有余年の遠い昔の話ですが、今もなお、首を切られた葬られた人々の霊をまつり、冥福をお祈りし ています。』      (本日の走行距離110km) 2004年1月12日(月)北摂/上之岳(2.5万図 木津) 朝から天気も穏やかに晴わたり絶好の自転車日和となった。いつもよりゆっくりめのスタート(7時38分)で 上之岳を登りに行くことにする。 上之岳は宝塚最奥の香合新田の北東に聳える尖峰で山頂は猪名川町との境になっている。放射冷却が効いたか、 走り出しの気温は結構低い。川西能勢口経由で県道12号線を北上、8時45分笹尾にあるコンビニで食料調達 して上佐曽利へ抜ける笹尾峠を上る。
上之岳全景

青空を背景に上之岳のピラミダルな姿が映える。上佐曽利で水分補給をしていると隣の消防分団の倉庫の屋根か らけたたましいサイレンの響。一体何事かと思ったが9時のサイレンのようだ。こんな振替休日の朝から大きな サイレンの音、この辺の人たちは朝早くから起きて畑仕事をしているから何ともないのだろうが、大阪の街の真 ん中でやったら住民から苦情殺到だろう。いつもながら同じ宝塚とは思えないのんびりした景色を楽しみながら 香合新田に着く(9時13分)。 香合新田から東に300mほど走ったところが地道の笹尾峠。池の辺にロードをデポし、仕度をしているとバケ ツの中に飼料のようなものを詰めたおじさんが歩いてきた。池の反対側(北側)に竹薮の中に続く道があったの で、この道を行けば山に登れるか、と尋ねると「登れないことはない」という。はっきりとした道は無いという ことか。一言二言会話を交わして登り始める(9時20分)。
香合新田と猪名川を結ぶ峠にて

竹薮の中に小さな水路と人一人が歩ける幅の道がついている。このままこの道が続いていれば今日の山歩きはラ クちんだ等と考えながら進む間もなく道は消滅、どこを見渡してもヤブになる。ひどいヤブだが、“登れないこ とはない”。 上之岳から南に伸びる支尾根が東にカーブするポイントをめがけて雑木藪の急斜面を激登り、支尾根に乗っかる (9時33分)。等高線の390m地点にピンポイントで辿り着いたようだ。 尾根には踏跡がある。ヤブ越しに上之岳の頂上が見えている。ここからは雑木林の中の陽だまりハイク、ゆった り歩けば頂上部のCa450mポイントに。意外と細長い頂上部で、50mほど歩いたところに4等三角点が埋 まっていた(9時45分)
上ノ岳山頂山頂北端からの展望

落葉の絨毯がふかふかした山頂である。雑木越しに寺山、広照寺山、高畑山、羽束山が見え、北側には追谷山の 奥に大野山がその大きな稜線を広げている。西宮の山岳会のプレートが1枚架けられただけの山頂は静寂に包ま れている。陽だまりでサンドイッチを頬張る。山に来てよかったなと思える瞬間だ。 10分ほど休憩してから下山にかかる。地形なりに進めばすぐに踏跡は無くなる。宝塚と猪名川の境界を西に下 ろうかとも考えたが、強引にヤブを漕いで真西へ下る。途中からカブ立ちの雑木+イバラやぶの超ハードなヤブ 漕ぎとなったが、標高350mくらいまで下ってきたところで廃道に出た(10時15分)。 昔、香合新田から上之岳を目指した時にこの山の中腹を巻く山道があったことを覚えていたのでそこを狙ってい たのだが上手く辿り着いた恰好だ。道の真ん中にもイバラが生えている歩かれなくなって久しい道だが無いより はまし。崩れかけた木橋を渡り、山腹を南に巻きながら歩いているとようやく歩き易い林道に変わり、シイタケ のホダ木が並ぶ横を通り香合新田に戻った(10時27分)。
崩れかけた木橋ようやく歩き易い道になりました

帰路は鳥脇と中山を結ぶ長尾山トンネルを初めて走ることに決める。交通量も少なく幅の広いトンネルだが、9 71mはちと長い(自転車のりにとってトンネルはあまり歓迎したくない代物)。トンネルを使えば中山はあ っという間だった。    (本日の走行距離 63km) 2004年1月18日(日)篠山/寺谷山〜松尾山〜音羽山(2.5万図 篠山) 第24回ヤブ山歩き。昨日の雪模様の天気から一転、朝から快晴の天気となった。当初予定していた参加者が次 々欠席となり、当日予定の列車に乗り合わせていたのはミセスF1人。2人で新春初歩きをすることとなった。 今日のコースは昨年11月に訪れた古市の見内から倉谷山、寺谷山を経由し、松尾山を目指そうというもの。9 時35分、古市駅を出発、風もなく青空の広がるのどかな集落を抜け、見内手前の「火の用心」から竹薮の中を 登っていく。 本格的な歩きは11月の荒島岳以来というミセスF、久しぶりの歩きに加え、倒木を跨いだり潜ったりの“サバ イバル歩き”に初めはペースが掴めなかったようだが、倉谷山への支尾根に乗る頃には呼吸も整い、漫ろ歩きの うちに倉谷山に着く(10時08分)。
寺谷山山頂手前

踏跡程度とはいえはっきりとした道が尾根上に続いている。昨日の雪だろうか、道の両脇に僅かながら残ってい る。雑木林の陽だまりは汗が流れるくらいに暖かい。短いがちょっと急な斜面を登って寺谷山へ(10時25分)。 雪を被った多紀連山を樹幹越しに見ながら北へ踏跡を辿る。枝ヤブの跳ね返りが危ないからと掴んでミセスFに 渡したつもりが連繋失敗、逆にミセスFを鞭打ちの刑にしてしまう(別に山の中で危ない遊びをやっているわけ ではない)。 松尾山に向かう。寺谷山から20分ほどで住山からの道と合流する。道の両脇、頭上を覆う木に雪が増えてきた。 朝からの日差しで急速に気温が上がり、融けた雪がどんどんと周囲の木から落ちてくる。ミセスFの肩口で大き な雪の塊が落ちて砕け散った。悲鳴と共に雪の飛沫が日の光を浴びて一瞬の煌きをみせる。 植林帯の中の細い道をひと登り、阿弥陀堂跡に着く(11時05分)。広い平坦地の上に雪が積もっている。ミ セスFは雪を掬って“一人雪合戦”をやっている。しばらく休んで後、愛宕堂から仙人岩―千年杉ルートを辿る。 愛宕堂を過ぎると山道は南に振り、前方に卵塔群が現れる。この山の別名でもあり大正10年まで山頂に在った という高仙寺の歴代の僧のものである。20基以上あるだろうか。ただでさえ異様な光景なのに一様に雪の帽子 を被った卵塔群はモアイを思わせる神秘ささえ漂わせて見える。
阿弥陀堂跡雪の帽子を被った卵塔群

松尾山山頂へは卵塔群手前の山道を上がる。ミセスFが来た道を間違えて戻りかける軽いボケのジャブとひっき りなしに頭上から落ちてくる雪をかわしながら急になった山道をグイグイ登っていく。 南尾根だというのに積雪量が一段と増してきた。どれが仙人岩かわからぬまま南峰を通過、目の前を覆う雑木林 のカーテンが薄くなってきたと思ったら真っ白な松尾山山頂に着く(11時45分)。クリスマス飾りの綿のよ うな雪が周囲の木を包み込んでいる。ここでも雪と戯れるミセスFをデジカメに収める。 松尾山の山頂に立つのは10年ぶりである。前回訪れた時は鬱蒼と木々が茂る平坦地に山頂にあった「酒井城址」 (この山頂には戦国時代、酒井主水介氏治の山城があった)の説明板だけが立っていたように記憶しているが、 今こうして山頂に立つと北面がすっかり伐採され、眼下に篠山盆地が広がり、多紀連山が神々しく輝いて見える。
南尾根だというのにこの積雪です雪とじゃれるミセスF(松尾山山頂にて)

雪の上にシートを敷いて弁当タイムに。ひっきりなしに雪の塊が落ちてくる。のんびり弁当を広げているといつ “直撃弾”に遭うか知れない。これで日差しがなかったらまたしても“寒々しい食事”の絵が出来上がるところ だ。 久しぶりに手が霜焼けになりそうだとミセスF。何だか冷たいと立ち上がれば広げたシートの真ん中に大きな雪 の山ができていた。 食後のお茶を終え12時25分、歩き始める。山頂のすぐ北側で7−8人のパーティーがわいわいと昼食を楽し んでいる。横を通って下りに入る。ここから白髪岳−肩越えの辻を結ぶルートに出るまでの山道は更に雪が深く、 足スキーを楽しみながら軽快に下るミセスFを撮る。 「信州でスノーハイクをやってきた、って言っても通るんじゃないですかね」とミセスF。
足スキーで下ります

雪の量が浅くなってきた頃肩越えの辻に着く(12時45分)。ここから去年(の新春山歩き)同様文保寺方面 に下山する予定であったが、下山後の長い舗装路歩きを嫌い、かつ本日の同行者がヤブ山レギュラー随一のベテ ランということもあり、音羽山を通り東尾根を歩いて下ることに変更する。 2つほどコブを越えると音羽山山頂(13時05分)。すぐ東側が鉄塔の立つ「イヌの毛」のような展望斜面だ。 ここまで下りてくると小春日和の日差しが暑いくらいである。少し休んで更に東へ。火とぼし山(13時25分) を越え遊歩道を歩き大沢城址分岐には13時37分に着く。 篠山口駅にピンポイントで下りることができるかも知れないと道を左(東北東)の大沢城址方面にとる。422 m標高点コブが大沢城址。道標は更に「禄庄城址へ」と続いている。篠山口駅のすぐ南西にあるCa320コブ がどうやらそれらしい。戦国時代、このあたりは尾根伝いに砦がたくさん築かれていたようである。 禄庄城址へは山の斜面をジグザクに削って作った遊歩道を急降下する。下りきる手前の少し広くなった地点にベ ンチが変な角度で設置してある。わずかに登り返して禄庄城址に(14時)。遊歩道は西に下っている。篠山口 にピンポイントで下りるには北だが、どうやら道は無いらしい。 「あっちに道があれば最短で下りれるのに」と指を差した方向から人が現れる。びっくりしながらそこから麓に 下りることができるか訊くと、下りれないという。途中に神社があって、そこへ寄ってきただけだという。でも この人は麓からここまで上がってきたんじゃないの?と思いつつも、最後で変なヤブに突っ込んでサバイバルに なるよりははっきりした遊歩道を通って下山するのが無難と西へ下り八幡神社に(14時15分)。
枯れた杉の根元が御神体?八幡神社

大きな杉の木の切り株がご神体として祀られている。古杉さんという人が寄進したらしい。まさにふさわしい名 前だ。他にも杉本、大杉という姓も見える。この集落は杉に因んだ名前の人が多いらしい。 ぶらぶらと歩きながら篠山口に(14時30分)。結局下山するまでいい天気に恵まれた。雪上ハイク+陽だま りハイク、さすが“晴女”ミセスF、お陰様で今年はいいヤブ山歩きのスタートが切れそうだ。どうもおつかれ さまでした。    2004年1月31日(土)篠山/清水峠〜池の立(2.5万図 宮田) 厳しい寒さが続く今年の冬だが、ここ数日は穏やかな日が続いている。今日も1日いい天気になるとの予報に6 時50分、ロードで出発する。 本日は西多紀連山の黒頭峰を南の大山上から尾根伝いに登ろうという計画。出発時こそ厚い雲が覆っていたがそ のお蔭で寒くもなくゆっくりと赤坂峠を越え三田に入ると青空が広がり予報どおりの好天が期待できそうな展開 に軽快に飛ばして古市の水分補給ポイントに着く(8時14分)。 道路脇の温度計は「3℃」を表示しているが、氷点下の中の走りが続いていたこともあり、体感温度は7〜9℃ だ。また雲が厚くなって時雨てきだした。
大山上から池の立(山頂は見えていない) 時雨る冬枯れの清水池

少憩の後篠山盆地に入ると雨脚が強くなってきた。予定を変更することも考えながら走っていると雨が止んでき たので結局、そのまま大山川沿いに走り、神田神社を過ぎて北側の農道に入り清水池に着く(8時55分)。 清水峠から池の立、横棟山を経由して黒頭峰を目指す予定だが、また雨が降り出してきた。池の脇にロードをデ ポし、ササが伸び放題の池の横の道を歩いていく。早くも濡れたササに触れてびしょ濡れになる。 池の西側を捲く地形図の破線の道は殆ど廃道状態で歩きにくいことこの上ない。15mほど離れたところを幅の ある林道が平行に走っているのに気が付き谷を渡って林道に乗る。地形図には無いが池の東から伸びてきている 道でやがてさきほど歩いていた道と合流し、また廃道然となった道をヤブを掻き分けて清水峠に着く(9時04分)。
清水峠(4ツ辻になっている)

ここは変形4ツ辻になっている。この地区の山の中でよく見られる『昭44 大山』と書かれた白いポールが立 っている。池の立方面にも明快な道が付いている。少し休んで北西に向かう。踏跡程度の道は付いているが、と ころどころヤブで判然としなくなる。雨は止んでいるが雫が落ちてきてずぶ濡れだ。木々の間から見える金山方 面はまたしても厚い雨雲に覆われてきた。池の立の山頂で折り返すことに決める。 道はやがて植林帯の道に変る。山頂手前の分岐を右に取り、山の東側を回りこんで池の立山頂に立つ(9時26 分)。390.3m、中央部に綺麗な4等三角点が埋まっている。展望はない。ヤブを掻き分けて横棟山に続く 道に下りる。夢のようなシングルトラックが続いている。
池の立山頂(4等三角点) 山頂南東の展望ポイントから波賀尾岳

この尾根は快走路とひどいヤブが交互に現れる。20分ほどかけて清水峠に戻る。全く同じ道を戻ったのでは面 白くない。よって清水峠を通過、そのまま東に続く道を歩いてみることにする。 『(財)大山振興会』の白いプラ杭に導かれるように雑木藪を掻き分けて318m標高点ポイントを通過、緩い 尾根筋を南に辿る。上手くいけばこのまま神田神社の向いまで尾根伝いに歩ける筈だ。 踏跡程度の道しかなかったがひどいヤブに悩まされることもなく調子よく歩いていると、な、な、何と・・・尾根が 突然分断されて眼下に資材置き場のような建物が見える。どこから下りようかと考えたが、削り取られた斜面を 駆け下る。敷地に下り着く手前で左手の斜面に飛び移り、建物の下の道に下りる(10時04分)。
尾根が分断されてしまっている・・・

『サンサン・ファーム』というしめじ生産施設のようでおが屑置き場や培養棟など数棟の建物がある。こうして 昔からあった山仕事の道は分断され歩けなくなってやがて消えていくのだろう。 雨は本降りになってしまった。道路脇の気温5℃という篠山盆地、新三田まで雨に降られる寒いツーリングとな った。 (本日の走行距離 105km)        織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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