山を駈ける風になれ2004年 11月号

 
2004年10月16日(土)道場/鎌倉峡〜平田配水場周回 (2.5万図 武田尾、三田) 
夕べは帰宅が遅く、おまけにJスポーツでヴェルタ(ア・エスパーニャ)(注1)第19ステージを見てから寝
たので7時51分のスタートは自分的にはとてつもなく遅いスタート。
それにしても今年のヴェルタは面白い。山岳ステージで抜群の上りを連日見せてくれる伏兵サンチャゴ・ペレス、
優勝候補ロベルト・エラスを最終日のTTで逆転するかアレハンドロ・バルベルデ、上りで積極的な動きを見せ
るフランシスコ・マンセーボ。強そうにみえないのにエラスのアシストをしながらも総合5位につけているイシ
ドロ・ノサルも個人的には好きなキャラクター。前半で早々と優勝の行方が見えてしまったツール(ド・フラン
ス)と違って連日ワクワクさせてくれる。
注1:スペイン1周自転車ロードレース。ツール・ド・フランス、ジロ・ディ・イタリアと共にグラン・ツール
に並べられる。

それはさておき、今日は18日以降に控えているスペシャル・ツーリングの足慣らしが目的。従ってコンセプト
は“のんびりお手軽ショート・コース”、MTBで秋の里山を楽しもうというところ。
いつもより2時間遅いと交通量が多い。おかげで川西能勢口まで25分もかかる。おまけに猪名川沿いの道では
先日来の大雨で路肩が崩れ通行止めになっている。近くにいた警備員に走りながら、
「自転車は行けますか」と訊くと
「一応全面バリケードしてるけど…」
というので、後に続く言葉は《行けないこともないよ》だと勝手に解釈して通らせてもらう(バリケードを跨ぐ
こと3回…蛇足)。
路肩崩れて通行止めの道を行く

徐々に交通量も減り、いつものペースになってくると快適なツーリング、木津で左折、木津峠を越え、上佐曽利 に入り(9時13分)、ダリア園を横目にみながら一路南下、川下川ダムの横を豪快に下って9時52分JR道 場駅前に着く。 駅前の自販機でスポーツドリンクを買いボトルケージに差し込んで鎌倉峡へ向かう。途中、新しい広い道が出来 ていて、『太陽と緑の道』へ入り損ね、Uターンをしながらもやまびこ茶屋の前に着く(10時03分)。 ここにくるのは5年ぶりくらいか、新しい建物が出来てすっかり様子が変わっている。名物『ローソク岩』がち ょっと見づらくなったのは気のせいか。変わっていないのは鎌倉峡の案内板。 『鎌倉峡  江戸時代の『摂津名所図会』には、この鎌倉谷を「かもしか谷」のなまったものだと記する と共に、百丈岩  については「高さ数十丈、岩上には百畳を敷けるより名とす」と述べている。室町時代より、有馬温泉を訪れ  た文人や高僧たちは、競ってこの地を訪れて、奇勝景観の美 を絶賛した詩歌や紀行文をものすることを風流  とした。      神戸市北区役所、道場町連合自治会  』 さて、ひととおり読み終えてからMTBにまたがり先を行く。今日初めてのオフロード。ちょっと上り返すと鎌 倉小屋。ちょうど小屋の前にオバサンが出ていて、「この先は自転車では行けないよ」と言う。鎖場やロープを 伝って登るところや、岩をへつって進む所があるという。ま、そんなのはこれまでに経験済みだ。大して気にも留めず、「そうですか」といいながら相変わらず乗車した ままで先を行こうとすると、「私の言うことを無視するんかー」「すんませ〜ん」と笑いながら通り過ぎると、 後ろから「戻ってきたら承知せえへんで〜」と声が飛んでくる。 ま、そうはいっても所詮ハイキングコース、年配のハイカーに歩けてマウンテンバイカーが行けないわけはない と多寡をくくって山道を進むといきなりミスコース、とんでもないヤブの急斜面を登っているのに気づき、コー スを修正して河原に下りる。奇勝景観の地というだけあって、奇岩がゴロゴロした間を激しく水音をたてて流れ るさまは壮観である。少し水が濁っているのは上流で雨でも降ったのだろうか。とにかく今日はマイナスイオン 三昧だと思いながら、右岸の岩の上を伝っていく。
鎌倉峡遡行1奇岩景勝

と、いきなり現れたのは鎖場の岩登りポイント。これがさっきのオバサンが言ってた鎖場だな、とMTBを肩に 担いで片手で強引に登りきる。お、なかなか手強いじゃない。アドベンチャーになってきたねえ。 更に進むと滑りやすそうな岩が並んだ箇所、いきなりツルっと前のめりに。前輪が岩にぶつかった衝撃でボトル ケージに挿していたスポーツドリンクが急流にボチャン、あっという間に流れ去る。ああ、一滴も飲んでなかっ たのに…。 まだ、鎌倉峡は序盤だというのに飲み水がなくなるというアクシデント。気温こそ18℃と涼しいが快晴、日当 に出ると結構汗が流れる陽気である。飲み水は無いけど、目の前は水だらけという変な状況だ。 どこかに渡渉ポイントがあるはず、と慎重にMTBを担いで歩いていると、それらしき場所に出る。2箇所岩を 飛び越さないと対岸に渡れない。まずはMTBをデポして左岸に渡り、本当に渡渉ポイントで合っているのか先 を行くと、岩のへつりにロープと鎖が垂らされているのを見つけ、渡渉ポイントに間違いないことを確認して岩 を飛び越えて右岸に戻る。
渡渉ポイント

さて、どうやってMTBを川の中央の岩に運ぶか。担いで飛び越えるのは不可能。いっそのことMTBを棹代り に水の中に入れて渡ろうとすると、サドル近くまで浸かってしまうほどの深さに慌てて引っ張り上げ、中央の岩 の上に後輪を乗せながら、体をいっぱいに伸ばしてMTB全体を岩の上に乗せ、飛び移る。そんなことを繰り返 しながら、なんとか左岸に渡りきる。 渡ったはいいが、先にチェック済みの岩のへつりポイントをクリアしなければならない。ビール腹のオヤジのよ うに川の上に突き出た岩をへつらないといけない。おまけにMTBを担ぐ方に岩がくる(左岸を上流に向かって 進んでいるので、進行方向に向かって峡谷の右側を歩いている。MTBも右肩に担ぐので岩と体の間にMTBが くるというわけ。) 岩の角を掴む指先に渾身の力を込め、なかば曲芸状態で岩を横に伝う。『八艘跳び』の次は『クリフハンガー』 か。3点指示の岩場を2点指示で移動するのは結構神経を使う。慎重に移動してクリアする。 ここからが鎌倉峡のハイライト部分だろう。両側から絶壁が迫り、急流岩を食む、という光景が続く。惜しむら くは江戸時代の文人のように風流になれないほど、あちこちにゴミがひっかかっていることだ。素晴らしいゴル ジュ帯を作る船坂川だが、上流にはゴルフ場もあれば、新興住宅地もあって、生活廃水が流れているのだろう。 鎖場、へつりは何度も現れる。鎌倉小屋のオバサンが言ってたことは決して大げさではなかったと知るも、今ま でクリアしてきた箇所を考えるととても戻る気にはなれない。前進あるのみだ。11時を回った。鎌倉峡を遡行 し始めて約1時間が経った。あとどれくらいあるのだろうと思っていたところへ前方から単独のハイカーがやっ てきた。 上の鎌倉谷出合まであと20分くらいだと教えてくれる。濡れた岩で滑って転んだと真っ黒になった軍手を見せ てくれる。気をつけて。と声を掛けながら気をつけなきゃいけないのは俺か、と思いながら左岸をへつって行く。 お気軽ハイキングだと思ったがとんでもない。空身だとなんでもないコースもMTBを担ぐととんでもないコー スに変身する。今日のコースはこれまで10年以上やってきた中でも3本の指に入るハードなコースだなあ、な どと考えながら川が大きく右に蛇行するポイントの手前を山の中に入る(11時08分)。 電柱が立っていて山を巻くように細い道が付いている。これで岩のへつり歩きから解放されたかと思ったが、蛇 行ポイントを大きく高巻きしただけでまた河原に下りる。
上の鎌倉谷出合手前のカーブを高巻く

しかし、はっきり現在地が確認できたことで、MTB遡行のスピードは上がる。川の中央に大きく突き出した岩 の上で休んでいた中高年ハイカーグループが信じられないといった顔で通りすぎて行く自分を見つめている。 岩のへつりもくるりくるり体勢を変えながら移動すれば問題なくクリアできる。ダムの放流に関する大きな看板 が出てきたらアドベンチャーも終わり(11時24分)。 平田配水場へ登る山道は岩がゴツゴツしたいつもなら歩きにくい道だが、ハードなルートをクリアしてきた身に は「ラクラク担ぎコース」。10分ほどで三叉路になっている鞍部に着くと、ようやく快走シングルトラックの 登場。
平田配水場へのシングルトラック青石古墳

足元の見えないササヤブ・コースを走り抜けると青石古墳。直径13mの横穴式円墳で7.16mの花崗岩を使 って7世紀後半に作られたものだという。こんな山の中で古墳を守るかのように作られた生垣に違和感を覚えな がら269.2m(点名 東山T)の山頂下をかすめ平田配水場のゲートの横に出る(11時47分)。
百丈岩方面の絶景

軽い足慣らしのつもりが思いっきりアドベンチャーになってしまった。木々の切れ間から時折見える百丈岩方面 の絶景を眺めながら「太陽と緑の道」を道場方面へ下っていった。  (本日の走行距離 70km) 2004年10月23日(土)篠山/籾井城址 (2.5万図 福住)  篠山盆地の東の端、福住の北に小さい盛り上がりを見せる籾井城址(約390m)を訪ねる。9月から何度とな く計画をしながら途中で雨につかまったり、時間に制約があったりでなかなか訪れることができなかった山であ る。今日改めてチャレンジすることに。 朝の気温12℃、めっきり秋らしくなった。今日も川西能勢口周りで県道を北上するルートをとる。先週、鎌倉 峡をMTB担ぎっぱなしでアドベンチャーしたせいでひどい腰痛に悩まされる羽目に。今日は腰をかばいながら ゆっくり走る(6時04分出発)。 移瀬の北の県道路肩崩落現場は水曜日の台風23号の影響で倒木が道を塞いでいる。また、数ヶ所で水が道路ま で溢れ出したものと見え流木や藻が道路反対側の側壁にへばりついている。10年以上この辺りを走っているが、 こんなところまで水位が上昇したのを見るのは初めてだ。
倒木で道がふさがる県道川西篠山線

(北近畿を中心に大変な被害をもたらした台風23号は我が家でも10年来育てていたドングリの木をなぎ倒し、 昭和54年10月の台風20号の時に記録した最低気圧を更新する962hpaをマーク、久しぶりに停電まで経験 させてくれた) それはさておき、腰のだるさと戦いながら、杉生、杉生新田、泉郷峠と越え、石ころと杉の枝があたり一面散乱 する道を走って天王に(8時04分)、向い風の中を一気に下って安田の交差点(8時18分)、少しR173 を走って籾井川を渡り、山頂北から西へ延びる尾根の末端に着く(8時25分)。 どこから取り付こうかと尾根の先端を南に回りこみながら進んでいると一ヶ所竹やぶが切れて奥に祠の見える場 所が。小さなお稲荷さんの祠で周囲は直径20センチはゆうにありそうなモウソウチクのヤブ。 2〜30m登れば尾根に出ることができそうと見当をつけてロードをデポ、急斜面を登って尾根に出る(8時3 0分)。予想通り尾根には広い切り開きがある。台風の影響で木の枝が散乱しており多少歩きにくいが、却って ヤブに悩まされずに済むというもの。
祠のうしろから登る快適な尾根道

途中、倒木で歩きにくいところや、道が判然としないところも現れるが、全般にしっかりとした道がついており、 やがて進路が南に変われば山頂北の平坦地に出、一段登って『籾城公園』と彫られた大きな石碑の建つ山頂に着 く(8時53分)。
尾根には広い切り開きがある籾井城址 籾城公園の碑が建つ

約30m四方の平坦な山頂は植林に覆われ、鬱蒼として展望は無い。ここは天正初期、八田城主籾井越中守教業 (のりなり)が築いた山城の本丸跡で、先ほど通過してきたのが二の丸か三の丸の跡だろう。『丹波の青鬼』と 明智勢に恐れられた教業も天正5年11月自害、落城したという。 植林で薄暗い山頂は公園というには少々陰気くさい。中央の石碑の裏には『大正13年7月 東宮ご成婚記念』 とあり、80年以上前には見晴らしのいい公園だったのだろうことが想像される。山頂に暫く憩い下山にかかる。 下山は南へ。しっかりとした道に擬木階段が現れ、鳥居が崩壊した金刀比羅宮を過ぎれば東屋が現れる。3年前 に作られたものらしい。古びたわりに意外と新しいのにはびっくり。そばには『福住っ子ふれあい森づくり記念 植樹』の標識が。このあたり大砲山というらしい。
大砲山の東屋

そこから下山口はすぐ。禅昌寺横の道に(9時15分)。寺の入り口には籾井城址の説明板と向かい合って『白 馬の半左衛門』の説明板がある。白馬の…というからメルヘン・チックな話かなと思いながら読むと… 江戸中期、福住の庄屋だった白井半左衛門は正直で実行力のある人だったが、不作に苦しむ百姓達のために、大 庄屋に相談せず枕木川の上流から溝を掘って、福住の家々の前に流す工事を始めてしまう。それを知った大庄屋 が立腹、自分に無断で行うということは奉行もないがしろにすることだということで捕えられ死罪を申し渡され たとか。 「村人たちのために喜んでもらえると思っていたことが、こうなれば仕方がない。しかし、我が一念は今に見て おれ、災害のあった時に思い知るであろう」といって享保16年(1731年)12月25日に打ち首の刑に処 せられる。 祟りはここから始まる。17年後寛延元年7月に福住で52軒が燃える大火が起きた際、猛火の中に白馬にまた がった半左衛門を見たという村人が何人も現れ、禅昌寺に供養塔を立てて霊をなぐさめるも、51年後9軒が焼 ける火災、更に10年後83軒、町中が焼ける火災、明治14年にもまた火災が起こったという。 八ツ墓大明神も真っ青、の祟り様だ。ちょっと執念深過ぎるんじゃないかと思わないでもないが、昔は木造建築 だから一度火が出たら大変だったことがわかる。火の用心の戒め話か。福住は宿場町だから火事リスクが特に大 きかったことが窺える。
R176崩壊現場(わかりにくいがガードレールの
向こう側にあった車道が完全になくなっている)

籾井川沿いの農道をのんびりと歩いてデポ地に戻る。気温が大分上がってきたようだ。篠山市の中心部を軽く流 しながらR176を通って帰路に着く。追い風気味の中、さほど腰痛を気にすることもなく軽快に走っていると ゴールまで残り1.5kmというところで、R176の崩壊現場に。完全に道が無くなっており生瀬の旧市街地を迂 回して抜ける。今も昔も変わらないのは災害の恐ろしさ。 そんなことを思った快晴の秋の1日であった。  (本日の走行距離114km)        織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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