山を駈ける風になれ2005年 1月号

 
2004年12月4日(土)北摂/波豆金毘羅山(2.5万図 木津) 
昼前後から雨、との予報に急遽予定を変更、表題の山を登ることにする。波豆の金毘羅山は波豆の四辻の北西約
1kmのところに位置する地形図では無名の低山で、兵庫の山の大先達、多田繁次氏の著書に「金比羅山」と紹
介されている山である。
多田氏が登られた20年前には簡素ながらも祠と鳥居が建ち、しっかりした構えだったというがどうだろうか。

6時29分、夜明け前の曇天の中をスタートする。曇天のお陰で気温はさほど低くなく走るにはちょうどいい気
温である。アプローチの時間短縮のためロードで川西能勢口経由で猪名川の笹尾まで走り、尼崎高原ロッジを横
目に見ながら峠をクリア、上佐曽利で水分補給を行って波豆の四辻に着く(7時52分)。
新しく道が付け変わった大坂峠への登り口をゆっくりと上りながら道路の右手に注意していると、竹やぶ越しに
お墓が見えるところが波豆金毘羅山への登山口というか旧参詣道である。落ち葉でよく見えないが、数段の簡易
階段があり、石灯籠が1基建っている。
もう随分人が入っていないと見えてタケは伸び放題、木々は倒れ放題ではあるが、よーく見ればしっかりとした
山道が付いている。ロードを石灯籠の横にデポし、支度を整えて歩き始める(8時00分)。
登り口にある石灯籠山頂の祠

最初こそ先日の台風の影響か倒木が多くて難渋する道だったが、次第に落ち葉の絨毯ふかふかの雑木林の気持ち のいい道に変わる。ジグザグに付けられた道は歩きやすい。5分もすると傾斜は緩み歩行が更に捗るようになる。 道の両脇にウラジロの群生、そして葉の小さなシダが足元を隠す登りが始まるともう頂上はすぐ。 標高の割りに山頂に近づく感じがなんともいい“登頂感”のある山で、視界が開け、朽ちた鳥居をくぐると祠の ある山頂に着く(8時14分)。 自然石のしっかり組まれた台座の上に台座に比較して小ぶりの祠が鎮座している。木製の鳥居は半分崩壊してし まっているが、祠はブリキの屋根に守られて健在である。 樹幹越しに東の寺山、広照寺山が見え、大坂峠方面に目をやると羽束山が見える。北東側は波豆川に向かって急 激に切れ落ちているので標高わずか370mそこそこの山とは思えない高度感がある。
崩れた鳥居(ちょっとわかりにくい?) 波豆金毘羅山(右奥の山は大船山)

頂上に暫く憩って、大坂峠方面の尾根を歩きかけるが、もう道は無く、予想以上にヤブがうるさく、なおかつ大 坂峠に出たところであの高速が出せる舗装路の下りを歩いて下るのはなんともやるせなく元来た参道を歩いて下 山した。  (本日の走行距離 64km) 2004年12月11日(土)六甲/大平山〜塩尾寺(2.5万図 宝塚)  F代と六甲の東端を走る。前回ツーリングをした時は暑い盛りだったが、もう山は冬枯れのシーズン。MTBで 山を走るには最高の季節だ。コースは宝塚−船坂−大平山−大谷乗越−譲葉山−塩尾寺−宝塚という周回コース。 F代にとっては地道を走ること自体初めて。 さてどんなシングルトラック・デビューとなったことやら…。 7時30分、豊中駅前で待合せ。 7時45分、支度を整えて出発する。宝塚まではリエゾン区間ということでゆっくり走る。 8時35分、朝からしっかり食べてきたので途中で食料補給は要らないと言ってたのに突然お腹が減ってきたと言 い出す。 8時40分、宝塚駅近くのコンビニで食料調達。 8時45分、生瀬の公園に移動してまずは腹ごしらえ。 9時05分、ツーリング開始。大多田橋交差点を左折して有馬街道に入る。長い上りスタート。
蓬莱峡

9時31分、蓬莱峡BS。天下の奇勝に驚くF代。記念撮影兼休憩。 「今日の目的地はあそこ」と大平山山頂のNTT中継塔を指せば、一瞬無言になる。カーブNOの残り数を励みに 頑張るF代。 9時45分、船坂。かなり口数が少なくなる。少憩の後、県道82号に入る。
一体いつまで登るの〜?(大谷乗越への激上り。
すでに標高は500mを超えてい る)

10時05分、激坂が続き、だんだん立ち止まる頻度が多くなる。標高は500mを超えた。意識は朦朧、でもデ ジカメを向けると笑顔になるのはさすが? 10時15分、NTT専用道に入る。「押し」が入って歩きのペースに元気が戻る。 10時33分、山頂まではあと一息。またお腹がすいてきたと言い出す。ええっ?
大平山山頂に到着(充実感いっぱいの笑顔)

10時37分、大平山山頂に到着。三角点を触ってヤブ山歩きの充実感が甦る?F代、三角点とマイ・バイシクル をデジカメに収める。自宅のPCの壁紙にするという。 10時50分、大谷乗越に向けて本日初めての下り。 11時05分、大谷乗越に着く。ここからF代にとっては初めてのオフロード走り。しかもいきなりシングルトラ ックだ。
シングルトラック初見参!

11時16分、まずはシングルトラック初見参!とデジカメを構えて待てば、ハイカーがF代をかわしてやってく る。F代はどうした。 11時23分、F代、バランスを崩して谷側に転落するも落ち葉ふかふかでノ−プロブレム。 11時33分、岩原山分岐を過ぎ、ハイスピードの下りが続く。F代、安全走行ながらも徐々にスピードが出てきた。
よっしゃ、いくでぇ〜

11時40分、譲葉山手前の小さなコブを乗車したままクリアする。だんだん調子が上がってきたよう。 11時53分、楽しい下りも砂原権現を過ぎた先でもう終わり。「押し」の下りに。 11時58分、塩尾寺に下りつく。ちょっと休んで激坂を先に下る。F代が来ない。分岐を間違えて宝塚南口の方 へ行ったようだ。上り返して追跡。四辻でカップルを捕まえ道を訊いているF代を発見、事無きを得る。まさか、 住宅地に入ってから進路をはずすとは思わなかった。 12時10分、宝塚に無事ゴール。そのまま昼食会へと移行。おつかれさま。  (本日の走行距離 64km) 2004年12月18日(土)氷上/明治山、母坪〜小嶋山妙見宮(2.5万図 柏原)  暖かい毎日が続くが、朝晩はようやく冬らしくなってきたようである。好天が予想される冬の1日、標記の氷上の 超低山を訪ねることに。ここ2週ほど60km少々と若干走りこみが不足している。久しぶりに長距離を走るとな ると超低山寄り道くらいがちょうどいいだろう。 あたりがようやく薄明るくなり始めた6時39分、ロードで出発する。今朝は一段と空気が冷たい。赤坂峠の上り がいつもより辛い。空気が重たいせいか、それとも体重が重たいせいか。原因がはっきりしないまま、三田を過ぎ、 古市に入ると道路わきの温度表示は1℃。これからはこんな中の走りがしばらく続くことになる。 それでもどうにか柏原には8時55分に到着、市辺にあるコンビニで食料を調達する。私の恰好を見てレジのおば ちゃんが、「ツーリングですか、山登りですか」と訊くので、「両方です」と答える。 バイクだと思っていたようで、自転車だと答えると、霧が凄かったでしょう、という。随分時間をかけてここまで 走ってきたものと思ったらしい。今日は霧には遭っていない。ま、ふつう、自転車で100kmも200kmも走 るなんて考えられないことかもしれない。 まだまだ訊きたそうな様子だったが、おばちゃんの相手ばかりもしていられないので、早々に退散、氷上北から成 松に入って、葛野川沿いに南下、登山口と決めていた明治山の南麓に着く(9時25分)。 明治山は標高僅かに153.7m、別名「犬岡山」とも呼ばれる山で、北にある甲賀山(167m)と共に「鬼が 担いで来た山」という伝説のある山である。甲賀山には95年に登ったことがあるが、明治山は初めて。地形図で は山頂のすぐ南に鳥居マークがあるので、頂上まで参道でも付いているものと勝手に決め込む。
南にある神社

神社は伊勢神宮の末社のようである。苔むした石段を登り詰めると杉の大木があり、社がある。(9時28分)。 山頂への道を探したがないようである。とはいっても標高差も大してないので、植林帯の急斜面を適当によじ登る。 登り着いたところに赤いプラ杭が埋まっていたが、三角点のある頂上ではない。枯れた杉の葉が堆積したふかふか の尾根で同じような大きさのコブが3つ4つ続いている。両側が平行に切れ落ちているので、まるで山食の上を歩 いているような感じだ。ま、2斤の山食といったところか。 一番奥の高い盛り上がりが4等三角点のある山頂である(9時36分)。踏跡らしきものはここまで無かったが全 般に歩きやすい。しばらくあたりの様子を窺って来たルートを途中まで戻ると、西に分岐するポイントを発見、ど うやら踏跡らしきものがある。 格段に歩きやすくなった踏跡を辿ると西端のコブの上に「愛宕山」と彫られた石灯篭が2基、奥に粗末な屋根なが ら手入れされた感じのする祠の下に「愛宕神社」と彫られた石碑が祀ってあるポイントに着く(9時46分)。
明治山山頂(4等三角点) 愛宕山の祠

石灯篭に刻まれた年号を確認する。はっきりとは読めないが、一つは「天明7年」もう一つは「宝暦10年」のよ うで、それぞれ寄進された年代が異なるのが興味深い。愛宕神社からははっきりとした参道が麓に向かって続いて いる。ものの1−2分で麓に着く。山肌を掘って作った数メートルの奥行きを持つ穴がある。坑道というよりも古 墳のような感じである。奥になにやら書かれているようだが、暗くてよくわからない。 ロードをデポした神社の入り口まで戻り(10時00分)、村の中の細い道を通って次の目的地母坪(ぼつぼ)に 向かう。 母坪は佐治川(加古川)が葛野川の水を集め、更に柏原川と合流するところ、柏原川を蛇行させるところにある山 の点名である。土地の名前がそのまま点名になっており、本当の山の名前はわからない。 西に篠ヶ峰から派生した白山、弘浪山、東に五台山から霧山へと続く山並み、南に高見城山から石戸山に続く大き な山並みに囲まれ、いかにも小さく弱々しく見える山並みである。 できればこの小さな山並みを旧氷上町、旧柏原町の町界を辿って萱刈峠まで歩いてみたい。そう思って思いついた 計画だったが、母坪の北の端で早くもそう上手くはいかないようだと悟り、最初のピークを過ぎた最低鞍部から母 坪を登り返すことに予定を変更する。 どこから取り付こうかと様子を窺いながら走っていると、せまい路地から車が一台出てくる。車の出てきた路地を 覗いてみると上手い具合に最低鞍部へいけそうだ。民家の裏をするするっと登ればお堂に出る(10時10分)。 虚空蔵菩薩が祀ってあるようだ。
鞍部直下にある虚空蔵菩薩を祀った?祠

尾根までは標高差僅かに10mといったところか。ちょっと崩れかけた道がお堂の横に付いている。これを辿れば 難なく尾根に乗れそうだ。お堂の広場にロードをおいて山道を辿った先は、何と墓地。墓地から先道は無い。この 手のパターンにはよくひっかかる。 倒木がところどころあったりするが、歩けないことはないので、そのまま北に向かう。 何度か小さな平坦地と堀切地形に出会う。砦の址か、はたまたお寺でもあったのだろうか。植林の中の急斜面を強 引に登ると山頂に着く(10時23分)。標高156.5m4等三角点は平坦になった中央部にある。地形から考 えてここは見張りの砦があったに違いない。ヤブに覆われた現在こそ展望は望めないが、ヤブさえなければ相当な 展望であろうことは十分に想像できる山頂である。
母坪山頂

軽食を摂った後、一旦さきほどの最低鞍部に戻る。あらためてお墓に刻まれた年号を見ると「元禄3年」というも のがある。300年以上も前のお墓がごくふつーにあるところに丹波地方の歴史の深さを知る。 尾根通しに南へ進む。「兵庫県 標柱第4号」と書かれた黄色い標識(急傾斜地の指定)を横目にヤブを掻き分けて いくと急にセメントで固められた堀切に出る。とそこはまたしても墓地、今度は参道も付いている。
小嶋山妙見宮

参道を辿って標柱第5号のポールを過ぎると、立派な境内を持つお堂が現れる(10時46分)。「小嶋山妙見宮」 というらしい。地形図で尾根筋の真ん中に鳥居マークの付いているところだ。どうやら麓にある妙見宮の奥の院と いう位置付けになっているようである。 妙見宮から先はまたしても雑木の密生するヤブになっている。時間にあまり余裕もないので先は諦めお堂に戻る。 また改めて訪れることにしよう。 支度を整え帰路につく(10時55分)。田路まで下って東に向かい、石生から黒井経由で栗柄峠を越える。谷川 回りの方が距離が短いのだが、県道77号がまだ復旧していないため、峠越えの迂回路を避けるためだ。途中で分 岐を間違えたりしたため、走らなくてもいい距離を走ってしまった。南寄りの向い風もあって最後はすっかり足に きてしまった。超低山にとどめておいてよかったと感じたツーリングであった。  (本日の走行距離154km) 2004年12月30日(木)北摂/04年走り納め…西半周周回(2.5万図 福住他)  2004年ラスト・ラン。籠坊温泉経由で篠山盆地の低山を目指す。 今年56回目のツーリング。今年は本当によく走った。先週までの累計走行距離は6,450km、これまでの自 己記録(01年、5,820km)をすでに600km以上上回っている。週末走らなかったのは3回だけ、とい うから自分でも驚きだ。たまたま、今年は週末雨に遭わなかったということか。 6時48分、ロードで出発する。昨日の雨もすっかりあがり路面もほぼ乾いている。風も予想されたほど強くもな く、気温も先週土曜(25日)ほど低くもなく、快調に飛ばし、川西能勢口周りで県道を北上する。 北上するに従って路面が濡れはじめる。屏風岩近くの県道で速度を上げて橋を渡ろうとして踏み込めばリア・タイ ヤがスリップする。どうやら半分凍結しているようだ。こんなところで凍結しているようだったら、泉郷峠はかな りの積雪かもしれない。 雪は六瀬あたりから道の両脇に現れ始める。けたたましいサイレンとともに消防車が走っていくのが見える。しば らくすると今度は後ろから救急車が追い越していく。年寄りがつきたての餅を喉にでもつまらせたか、なんて勝手 なストーリーを想像しながら走っていると、今度はまた別の方向からサイレンを鳴らしながら救急車がやってきた。 なんとも周囲の風景とそぐわない。猪名川も都市化の波が押し寄せてきた、というところか。 杉生で水分補給を摂る(8時05分)。コンビニの駐車場から車が滑り気味に道路へ走り出す。たしかに歩くと滑 る。路面抵抗を小さくしつつ、しっかりグリップするロードのタイヤに改めて感心する。 しかし、この分では篠山盆地への下りは歩いて押さなければならないだろう。予定を変更していつものトレーニン グコースのショート版、籠坊温泉周回に変更する。
杉生新田への上りは樹氷のトンネル杉生新田を過ぎると更に雪景色が深まる

杉生新田へ向かう道の両脇は樹氷のトンネル。確か去年の暮れもこんなだった。強く踏み込むとスリップするので、 軽いギアでゆっくり上っていく。 杉生新田を過ぎると更に走りにくくなる。積雪は大したことないが、これがくせもので凍結している上に、ブレー キシューの周りに出来た雪玉が氷に変わっていく。要はブレーキがまったく利かないということだ。上りだからブ レーキをかけることは無いが、下りではブレーキが使えない。
泉郷峠 籠坊温泉方面へは「押し」て下る(-_-)

8時38分。泉郷峠に着く。これまでにも何度か経験した雪の泉郷峠越え。例によって下りは降りて「押し」。そ れでも下りでは滑りそうになる。籠坊−天王の分岐に着いても路面は真っ白。いつもここはこまめに凍結防止剤を 撒いていてくれるのだが・・・。 ブレーキシューの周りに付いた“シャ−ベット”をササの枝で落として走り出すが、またすぐに雪のボールが出来 上がる。フロントタイヤが巻き上げる雪とブレーキシュー周りの雪がぶつかってラッセル車状態になっている。朝 日に煌いてなかなかきれいだ。 泉郷峠から30分かけて後川上まで降りてくる。ようやく、雪道から解放される。94年だったか、95年だった か、12月30日に走った時は後川上で20センチ近い積雪があった記憶がある。それを思うとやはり温暖化の影 響なのだろうか、最近は圧雪路の上を走ることがめっきり少なくなった。いろんなことを考えながらの走り納めツ ーリングであった。  (本日の走行距離 96km)        織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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