山を駈ける風になれ2006年 2月号

 
2006年1月2日(月)姫路/京見山〜白毛山縦走(2.5万図 姫路南部、網干) 
京見山は姫路市の南西部、太子町との境に位置する山である。標高こそ216mと低いものの約4kmに渡
って連なる山塊の主峰である。今から14、5年前に枝峰の熊見山を散策したことはあるが、歩きとおした
ことはない。

2006年の歩き初めに京見山山塊を西から東へ縦走することにする。同行は妻。実は妻の実家から歩いて
行ける。おせち料理で重くなった体をほぐすにはちょうどいい高さと距離。しかも登山口が10箇所以上も
設けられるなどハイキングコースも整備され、散歩にはもってこいの山である。
春日神社登山口

11時45分、早めの昼を済ませて妻の実家を出発、山塊の西端にあたる春日神社に向う(12時07分)。 お参りを済ませ、本殿の西側にある登山口を20mほど登れば縦走路に乗る。よく踏まれた歩きやすい山道 である。 すぐに左手に山戸古墳跡が現れる。古墳時代の前期3世紀頃のものという。古墳見学を済ませ縦走路に戻る。 すぐに急坂の階段が現れる。登り切ると南に展望が開ける。わずか100mに満たない高さながら素晴らし い眺めである。
山戸古墳歩きやすい遊歩道

なだらかな山道は歩きやすい。縦走路脇には次々と古墳が現れ、そのうち珍しくもなんともなくなる。熊見 山(128m標高点)を過ぎると山道は北西に向う。麓の工場からサイレンが聞こえる。12時45分、お 昼が終わり午後の仕事の合図だと妻はいう。 山頂が近づくとウバメガシのトンネルが現れ、やがてポンと山頂に飛び出す(13時00分)。広い山頂部 にはベンチや展望見取り図などが設置されている。4−5組の人達が憩っている。中央部に3等三角点が埋 まっている。南は瀬戸内海から家島群島、北は七種山塊から雪を頂いた笠形山が臨める。
京見山山頂の三角点山頂から七種山、笠形山方面を望む

少憩の後、先へと進む。下り始めこそ少し急だが、やがて傾斜は落ち着き、少し下って泣き坂峠に降り着く (13時20分)。峠の名前はこの付近を治めていた三木氏が、秀吉の中国攻めで落城、敗残の一族が泣き ながらこの峠を北へ越えていったという故事に由来するという。 ここがこの山塊を西の京見山を中心とする部分と東の白毛山を中心とする部分にわける中間点だ。いっきに 登り返せばCa180mコブ。もう一つコブを登ると東見晴らし台に着く(13時40分)。
泣き坂峠東見晴し台からの眺め

ベンチがしつらえてある。休憩する。白毛山は目の前だ。南に目を転じると家島群島の向こうにうっすらと 小豆島が見える。 あと僅かと妻に声をかけて白毛山に向う。才下山口への分岐を右手に見送り進むと白毛山山頂に出る(13 時55分)。標高215m、NTTドコモの中継塔が建っている。
白毛山山頂の中継塔アクシデント発生の瞬間

まだここから北東へ進みたいところだが、下山後の歩きが長くなってしまう。才下山口への分岐まで戻り、 トンガリ山の北を巻いて才へと下る。 岩の多いルートである。ここでハプニングが起こる。妻の登山靴のソールがぱっくり口を開ける。ほとんど 履いていなかったのに・・・。長年使っていなかったからソールが硬化したのか。ともかくどうにか歩ける ので下山する(14時35分)。 風も弱くうららかな瀬戸内の空気を楽しみながら家路についた。    2006年1月3日(火)六甲/魚屋道〜最高峰〜新穂高〜山田道(2.5万図 宝塚、有馬、神戸首部)  2006年、新春初走り。今年は自宅の裏山?六甲。MTBで六甲に登るときのお決まりコース、有馬から 魚屋道を辿り六甲最高峰に登り、穂高湖から新穂高を走り、森林植物園前から山田道を谷上へ抜けるコース を設定する。 6時47分、まだ薄暗い中を出発する。冬型の天気に戻ったとかで、いきなり強い向い風に悩まされる。記 録的なノロノロペースで赤坂峠を越え、有馬川沿いに有馬温泉へ(7時42分)。宿泊客はまだ旅館の中で ぬくぬくとしているのだろう、姿はない。 土産物屋が並ぶ旅館街の中をぬけ鳥地獄に着く(7時53分)。魚屋道を行く。いきなり半凍結した道が現 れる。先月22日に降った雪が踏み固められて氷のようになっている。歩き辛いし、乗り辛い。
新年の有馬温泉街の風景半凍結の道が続く魚屋道

どうにかこうにか30分で射場山を巻く道までくることができた。標高を上げるに従って雪の量は多くなり、 風も強くなり指先の感覚がなくなる。1月の裏六甲はさすがに厳しい。吉高神社の前を過ぎ、最後の一登り で一面真っ白の一軒茶屋前に出る(8時54分)。 六甲最高峰への上り坂で高校生だろうか、4人の少年達がダンボール箱の切れ端で作ったソリで遊んでいる。 楽しそうに転げまわっている。声をかけると元気な声がかえってくる。MTBに乗ったまま山頂に着く (9時0分)。
吉高神社手前六甲山頂・・・じっと留まっていられない寒さ

凄まじい風が頂上を吹き抜けている。頭上近くまで雪雲が垂れ込め下界は見えない。気温マイナス4℃、5 分も居られない。縦走路を西へ走りドライブウェイに合流する。凍結防止剤のお蔭で道路上に雪は無いもの の、道の脇に固められた雪から流れ出した水が所々凍結していて、のろのろ走行を強いられる。 スピードが出せない分、ちょっとした登り返しも簡単にクリアできなく体力を消耗する。両手の指の感覚は 既に無い。1月の六甲山頂は走るもんじゃないなと思ったがもう遅い。 ようやくの思いで六甲山牧場前を通過、穂高湖入り口に着く(9時45分)。冬の北アルプスは無理だけど、 六甲の新穂高なら何とか登れそうと選んだ新年企画であるが無茶苦茶寒い。いつもなら朝からドライブウェ イで暴走行為を繰り返している“ブンブン野郎”達の姿も無い。根性の無い奴らだ。どんな路面でも走り抜 けてこそテクニックが磨けるというものじゃないのか。
穂高湖入り口手前のピークから新穂高

体を温めようと雪の林道をガンガン下って行くが、間違えてシェール道に入っていることに気付き、慌てて 戻り軌道修正、徳川道に入る(10時03分)。 すぐに右手ササヤブの斜面にテープを発見する。これが新穂高への道らしい。MTBをデポしてクマザサに 覆われた道を登っていく。標高差にして5〜60m、大したことはないと高をくくっていたが、思ったより もアップダウンがあり、おまけに最後の登りの手前でコ−スアウト、強引にクマザサの海を掻き分けて軌道 修正、山頂に着く(10時25分)。
ところどころ背丈も没する
クマザサに覆われる
クマザサの海を掻き分けて
ようやくたどり着いた新穂高山頂

赤いモールで縁を飾った登頂標が架かっている。なんとも周囲の景色と不釣合いな山頂である。マツを主体 とした樹木に覆われ展望は無い。この山頂も日が隠れると強い北風でじっとしていられない寒さである。 こんなに時間がかかると思っていなかったので、食料は持参していない。このまま徳川道を走り、途中から 森林植物園横に抜けるつもりでいたが、途中でハンガー・ノックに陥りそうなので、元来た道を戻ることに する。 クマザサの斜面でクツヒモが解ける。指はかじかんで既に自分の指でありながら自分の思い通りには動かな い状況になっている。とりあえず丸結びをして余ったヒモの先をクツの中に押し込んで歩行を続行する。指 先が動くようになったら、結び直せばいい。 奥摩耶ドライブウェイまで戻る。ガス欠気味の体力では辛いが六甲山牧場方面に向って上る。雪の中でじっ と立ち尽くす2頭のポニーを横目に左折、森林植物園方面への下りに入る。標高が下がるに従って半凍結路 面も少なくなり、スピードも上がると、六甲山牧場から10分くらいで山田道分岐に着く(11時16分)。
山田道を谷上方面へ下る

太陽が顔を覗かせ暖かくなってきた。ここから谷上駅までの3kmは超ノリノリ・コース。まずは1.5k m連続乗車区間。弓削牧場の分岐もあっという間に通過である。このあたりになると新年のお散歩をしてい る人達の姿も現れてくるので、爆走は要注意。林道走りを楽しんで谷上駅前に出る(11時42分)。 ここまで来ればあとは舗装路を走って帰るだけ。なにはさておき昼飯だ。日当たりのいいコンビニを求めて MTBにまたがった。   (本日の走行距離 71km) 2006年1月9日(月)黒田庄/丸山(2.5万図 中村町)  20年ぶりの寒波だそうである。確かに近年記憶にない寒さである。3連休を前にまた大雪か、と一瞬危ぶ まれたが、土曜日の朝起きてみると家の前の道に雪は無い。こんなことなら走るんだった、と悔やんではみ たものの、走るモードになっていないためお休み。 昨日は朝から近場をトレーニングがてら走って今日に備える。 表記の山は加古川線黒田庄駅の北北西1.5kmにある標高168.3mの小山。久しく長距離を走ってい ないので、130kmコースを走ろうと組んだ延長線上にあった山が丸山という次第。 6時47分、ロードで出発する。無風だが放射冷却のせいで異常に寒い。それもその筈、赤坂峠の道路脇の 気温表示はマイナス6℃を指している。ロードで走れる限界だな、などと一人つぶやきながら走る。気温の 割には結構いいペースで走れるが、三田市内もマイナス6℃、古市でようやくマイナス3℃まで上がるもの の、冬の篠山特有の日本海側のような天気で、体感的にはあまり変らない。
丹波大山
雪雲に覆われ日本海側の風景のよう
雪の川代渓谷

丹波大山下の交差点を左折、川代渓谷沿いの道を下る。川の両岸に迫るゴルジュ帯が雪に覆われ、巨大なシ ュークリームが並んでいるように見える。この時季ならではの風景をデジカメに収め、谷川方面に下ってい くほどに、重苦しい雪雲は姿を消し、穏やかな太陽が顔を覗かせるようになる。谷川着(9時11分)。 少憩の後、黒田庄方面に向う。正式には西脇市黒田庄町だが、地域を指す言葉として使用することをお許し 願いたい。谷川から7〜8kmも南下すれば、やがて進行方向右手前方にこんもり盛り上がった丸山が見え、 加古川線の踏み切りを渡って右折すれば、南麓の福聚禅寺に着く(9時37分)。
丸山福聚禅寺

お寺の駐車場に周辺の案内図がある。稲荷神社があり、その奥に88ヶ所ミニ巡礼コースがある。ミニ巡礼 コースはそのまま山頂に通じているようで、山頂には展望台まであるようだ。軽い散歩にはちょうどいい。 9時42分、稲荷神社下の境内にロードをデポし、赤い鳥居のトンネルをくぐっていく。石段を登りきった ところに祠がある。祠の右手に参拝道がついている。雑木の中を緩やかに登っていく気持ちのいい道で88 番からカウントダウンが始まる。 と思いきや、すぐに道が二手に分かれる。左の稜線コースをいく。いつの間にか50番台霊場からカウント アップしている。67番霊場の石仏を過ぎると丸山山頂(9時50分)。山頂部は大きな岩盤が剥き出しに なっていて、コンクリに固められた4等三角点と、ベンチが一脚設置されている。
山頂から友尾山方面山頂の様子

東側の展望がよい。霧が晴れて三角点山、友尾山が険しい山容を現し始める。3〜400mの低山と思えぬ 表情に感動する。 山頂で10分ほど休憩、下山にかかる。下山はミニ巡礼コースの先を行く。北の端に展望ポイントがある。 展望ポイントを過ぎると、山道は急降下しながらやがて、方向を南に変え、さきほどの分岐に戻る。下山に 要した時間も10分ほど。 正月休み明けで依然体重超過気味の体にはこれくらいの山歩きがちょうどいいところ。仕度を整え、再びロ ードにまたがれば、西脇市街、滝野社と走りつぎ、県道17号を三田方面へ。帰りはポカポカ陽気の陽だま りランを楽しんだ。   (本日の走行距離129km) 2006年1月15日(日)北摂/大船山南尾根縦走(2.5万図 木津)  春の到来を告げるかのような暖かい雨も上がったようである。まだ空はどんよりと重苦しいが気温は7℃、 先週よりも13℃も暖かい。“マイ・ホーム”北摂で里山遊びするにはうってつけの気候。 今日は三田の名峰、大船山から南に伸びる稜線を辿る。地形図に破線は付いているが、果たしてどこまで残 っていることやら。楽しみにしながら6時51分ロードで走り出す。 体調は特に良くも悪くも無いが、走り出してみるとよく体が動く。久しぶりにハイペースの走りが戻ってき た。やや追い風気味ということもあるが、気温が上がるとそれだけ筋肉が動かせるということだろう。 川西能勢口を回り、猪名川に架かる銀橋の手前の上りで前方を走るロード4人組をかわす。初夏の早朝なみ のペースだ。笹尾のコンビニで食料調達を済ませ、笹尾峠、大坂峠と越えて、木器で県道を北に。高平小学 校の南を右折、下里の集落に到着する(8時30分)。 露天風呂もやっている観光農園の脇を集落の奥へと進む。地形図の実線から破線へと変わっている地点に着 く(8時35分)。オコジョの家族の出迎えを受ける。地形図では山道は2本に分かれているが、実際は3 本に分かれている。また、それとは別に古墳らしき跡へ導く踏跡もあってややこしいが、地形図の真東に向 かう破線の道を行く。
下里から空木谷今日も障害物競走区間に入る

いきなりササヤブが連続する一番頼りなげなルートだが、足元を見ればしっかりとした道の痕が残っている。 やがて沢沿いの荒れた道を右へ左へと移動しながら標高を稼いでいく。北から南へ枝尾根がせり出してきて いるところで、谷を離れて尾根筋を行く。 地形図の破線の上を歩いているはずだが、踏跡すら残っていないヤブ尾根である。こういう障害物競走は慣 れっこ、淡々とクリアしていくほどに背後に空木谷(496.8m)の姿がはっきりと捉えられるようにな る。 9時19分、登り始めて40分ほどしたところで、西から山道が合流する。鈴鹿から登ってくるコースのよ うである。ヤブ漕ぎを終え、断然歩き易くなる。急坂を登り詰めれば小さなコブに出る。Ca550mポイ ントである(9時26分)。目の前に尖った姿を見せるのはCa580ピーク。大船山はこのピークの陰で 見えない。 13年ぶりに大船山の山頂も拝みたいところだが、ここで東南東に折れて南尾根に移る。いい山道が続いて いる。赤テープもところどころに巻かれているが、とても迷うような道ではない。高畑山から寺山、広照寺 山への山並みを左手に見ながらどんどん歩行が捗る。 すぐに鞍部、そしてCa460コブに登り返せば、『波豆川方面、下槻瀬方面』分岐の標識(9時39分)。 当然下槻瀬方面へ折れると、やがて大岩が現れ、小さく一回登り、もう一度登り返すと4等三角点のある空 木谷山頂に着く(9時45分)。
大船山南斜面より空木谷を振り返る空木谷山頂

相変らずどんよりした空模様で陽だまりハイクとはいかないが、ここで軽食休憩をする。樹幹越し、ほぼ真 北に大船山が見える。西側は急斜面なので、麓の村との高度感は数字以上のものがある。 10分間の軽食休憩を済ませ、尾根伝いに下っていく。落ち葉の堆積した気持ちのいい山道が続く。地形図 の360m標高点のあたりだろうか、ちょっとした岩場があり、ほとんど風化しかけた役行者と思われる石 仏が祀られている。
山頂から北に大船山空木谷尾根を下っていくと途中で役行者像 稲荷神社に下りました

更に10mほど下ったところには祠の跡。更に下ると稲荷神社の境内に着く。赤い鳥居の続く階段を下りる と天狗神社(10時28分)。さしづめ今日は天狗気分の歩きか。靴の中のゴミをはらってデポ地へと向か った。   (本日の走行距離 77km) 2006年1月22日(日)北摂/鳥脇山東尾根〜愛宕山(2.5万図 広根、武田尾)  週末大雪の予報が見事にはずれ雪は無し。当初予定を変更して先週に続き“ホーム北摂”の里山を走ること にする。鳥脇山(484.3m)は北摂のマウンテンバイカーなら走り始めた頃に一度は登る山である。 西尾根を行ってもよし、北東尾根を行ってもよし、ととにかく楽しく走れる山である。今日は東尾根から若 宮に下り、愛宕山(335m)に登るつもりだ。 6時50分、すっかり外が明るくなったところで走り出す。いい天気になりそうな予感。川西能勢口回りで 移瀬へ。自販機で水分補給をして芋生、若宮と走り、新しい道が出来てすっかり変ってしまった榎峠手前の 登山口に着く(7時53分)。 ハイカーのために一気に山の中へ誘おうと階段が付けられている。延々上り坂の挙句に「担ぎ」は辛いが、 登り切ってしまうと昔からの山道に合流、7年ぶりに走る山道はこんなだったかと記憶を辿る内にもう山頂 である(8時12分)。
いきなり「担ぎ」で山の中に鳥脇山山頂

気温マイナス2度ながら暖かな日差しで寒さは感じない。東尾根への入り口は倒木が2、3ヶ所あるものの、 そこを過ぎるとガンガン乗れる連続乗車区間になる。
445山ピーク付近

少し上り返せば頂上部が広い445山(8時32分)。そのまま快適シングルトラックを500mほど下っ たところで現れる分岐を左折する。マツタケ山のロープから解放され、更に気持ちよく下ると霊園の管理棟 の裏に出る(8時50分)。3kmのシングルトラックコースはここで終了。 霊園からけやき台の住宅地を下り、途中から朝走った道に合流、芋生から若宮手前でゴルフ場方面へ左折 (9時14分)、すぐに細い農道を左に下り、次の分岐を右に取って岩がゴツゴツした峠に着く(9時20分)。
満願寺へ向かう峠灯篭だけが残る愛宕山山頂

峠を下れば多田源氏ゆかりの満願寺だが、ここは峠手前の山に向かう踏跡を登る。黄色いテープが巻かれて おり迷うことはない。一度登り切って、一旦小さく下り、もう一度登り返したところが愛宕山山頂である (9時35分)。 「愛宕山」と刻まれた2基の石灯籠と石段は残っているが祠が無い。愛宕山の名前は頂上に愛宕社を祀った ことから付いたのであろうが、祠に向かう参道は判然としない状態である。(今日登ったルートは祠の反対 側から)麓がゴルフ場に変わってしまい、集落との道が分断されたのであろう。 祠跡の横で暫く憩い、元来たルートを辿って峠に戻る(9時48分)。このまま峠を下って満願寺へ出よう と思ったが、プレイをしているゴルファー達の中を通って行かねばならず、北の299.4m山の南麓を抜 ける農道を走って湯山台へ。 適度なアップダウンで存分にシングルトラックを走ることができたが、これでも帰宅すれば11時前。近場 に里山が残されている環境に改めて感謝する1日であった。   (本日の走行距離 47km) 2006年1月27日(金)山南/応地坂〜大谷(2.5万図 丹波和田)  休暇が1日とれたのでこの時季としては珍しい遠出をすることに。何年か前氷上と山南町の旧町界にある古 天神(460m)に登った時にこの岩尾根を応地坂まで歩いてみたいと思っていた。今日はそれを応地坂側 から辿ってみる。 6時46分、ロードで自宅を出る。気温は特別寒くもないが、さりとて暖かくもなし。朝のR176は交通 量が多い。走りにくい。タイミング悪く赤信号によくひっかかる。今日は平日であることを実感する。 三田の中心部の西はずれに新しく出来た道を走ったりと寄り道をしていたものだから古市にはいつもより5 分遅れで到着する(8時17分)。気温マイナス1℃。沿道には雪が残っており、風も強くて体感的にはも っと低く感じる。煙霧だろうか、晴れているのにすっきりしない。 更に気温が下がる中、篠山盆地を北上、丹波大山から新しく出来た新鐘ケ坂トンネルを走って柏原に入る。 明るくて広くて走りやすいトンネルだ。コーナリングと爆走の醍醐味は無くなったが、冬場はこちらの方が 安全だろう。 食料調達に柏原のコンビニに立ち寄る(9時02分)。サイクルコンピュータの積算距離がちょうど2万キ ロになった。今の自転車に変えてから3年9ヶ月での達成だ。一人静かに達成をかみしめたいところだが、 寒さで顔の筋肉が強ばってそんな余裕はない。
20,000km達成。2,000kmじゃないよ

萱刈峠を越え、加古川を渡り、応地を目指して走る予定が、気が付いたら和田まで南下してしまい(9時3 5分)、Uターンして応地の集落に入る道を左折すると、あれれ・・・何やこの道は・・・。立派な道路が応 地坂の方に向かってついている。 地形図にない道路に面喰う。予想していた風景と違う。坂尻まで抜ける道が出来たのか。一体どこから応地 坂へ取り付いたらいいんだ?ときょろきょろしながら走るうちに“牧山トンネル”と名前が付けられたトン ネルの前に着く。こんなところにこんな立派な道を付ける意味がよくわからないが、意外にもポツポツ車の 流れがある。 感心していても始まらないので、少しバックして、トンネルの横に付けられた階段を登ることに。「また階 段登りかよ・・・」(22日に登った鳥脇山も取り付きは長い階段だった)
牧山トンネル先週続いて・・・また階段かよ(+_+)

応地の集落を臨むわずか395mの山とは思えない大谷の勇姿

階段の上に立つと応地の集落がよく見える(9時50分)。階段を登りきった先にはシダヤブの中に山道が 付いている。何も考えずに九十九折の山道を登っていくとお堂のあるせまい境内の前で道が無くなる。 どうも方向が違うようだ。そういえば階段を登りきったところにトンネルの上方向に続く道があったのを思 い出し戻る。正解だ。昔からのしっかりとした峠道の名残を留める山道だ。倒木もところどころあるが、そ のうちぽっかりと前方が開け、“南無阿弥陀仏”と彫られた石碑が現れる。応地坂である(10時10分)。 坂尻側にはお地蔵様を祀った祠がある。銘を見ると『宝暦壬申年』とある。300年の風雪に耐えてきたお 地蔵様である。
応地坂

峠で少し憩い、尾根筋を北へ辿る。はっきりした踏跡が続いている。やがて樹幹越しに岩の鎧をまとった険 しい山が見えてきた。大谷(395.0m)である。Ca290コブを越え、しばらく進むと突然目の前に 岩尾根が現れる。どちらかへ巻く道があるのかと探ってみたが、あるともいえるし、無いともいえる微妙な 感じ。面倒くさいので岩尾根の上を直接歩く。 重なる岩の上の歩行は距離にしてせいぜい20mか。落ち葉の堆積する踏跡に戻り尚も進むと、最後の急登、 岩登りである。適当によじ登って上がりきったところは絶好のビューポイント、少し奥に4等三角点の埋ま る頂上があるが、こちらは見通しも悪いので、ビューポイントまでも踊って軽食休憩とする(10時36分)。
山頂直下南の岩の上から坂尻の集落を眺める
奥に見えるのは三組尾
大谷山頂の4等三角点

急な岩の上だけに高度感は抜群で、400mにも満たない山の上とは思えない高さを感じる。目の前には和 田の蛇山まで続く尾根。そしてその尾根に左右に振り分けられて点在する応地と坂尻の集落。坂尻の南には 三組尾、右手には延命寺山からカザシ、岩屋山に続く山並み、そして西奥には思わず、 「おお」 と声を上げてしまう真っ白な雪を頂いた千ケ峰が臨める最高のロケーション。少し太陽も顔を覗かせて気持 ちよくなってきた。サンドイッチを頬張りながら至福の一時を過ごす。
雪を頂いた千ケ峰が美しい

当初予定では、このあと古天神まで縦走、小野へ下山する予定であったが、応地まで歩いて戻ったあと、舗 装路の味気ない坂道を延々歩いて戻るのはどう考えても楽しくない。結局ピストンで戻ることに決め岩場を 下った。   (本日の走行距離141km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

表紙にもどる

『山であそぼっ』にもどる