山を駈ける風になれ2006年 3月号

 
2006年2月11日(土)篠山/杉谷〜栗柄峠(2.5万図 宮田) 
杉谷は中央分水界栗柄峠の北、約1kmにある標高484mの無名の山である。6年前の秋、杉谷から
定利山への縦走を計画、登山口を確認したまま実現に至らなかった。久しぶりに気温が上昇するとの予
報に、この山域への訪問が実現した次第である。

6時32分、自宅をロードで出発する。直前まで雨が降っていたか、路面は濡れているが空気はここ数
日の冷たさは無い。先週末は完全休養したこともあり、ちょっとオーバーペース気味に飛び出し、気温
3℃の赤坂峠をクリアするとそのままハイスピードでR176を北上する。
1週休んだことによる休養効果よりも、走りを休んだツケが回ってくるのが早かったようで、1時間経
過したあたりから徐々にペースダウン、だましだまし走っていたが、宮田(西紀)の交差点手前あたり
から向い風が強くなり、一旦どうしようもなく遅くなるものの、福徳貴寺付近から弱い追い風に助けら
れてどうにかこうにかこの時季としてはいいタイムで栗柄峠に着く(8時40分)。

近くの自販機で水分調達をして杉谷池方面へ向かう。道路脇には先週の降雪によるものだろうか、雪が
残っている。杉谷池を過ぎると一段と雪の量が増す。車は一台も通らない。峠の南側でこの積雪である。
北側は推して知るべしというところか。
もうすぐ花粉が飛びそうな杉谷の杉杉谷登り口

峠に向かう道が右にカーブする手前が登山口である(8時49分)。道路の左手の山道に入りロードを デポする。2−3分も歩けば鞍部に達する。野瀬の北に下る道と北の野瀬峠に向かう明確な山道がある が、杉谷方面への踏跡は積雪に覆われていることもあって判然としない。 それでも、斜面に取り付き、平行に巻く獣道を2回ほど横断すれば、緩い傾斜の中に踏跡が現れる。雪 の上に人の足跡とイヌの足跡が続いている。足跡はかなり新しい。幸いなことにハンターは南から北を 目指したようで、通り過ぎたあとである。
気持ちのいい雑木林の中を
ゆっくり登っていく
少し平坦になっている杉谷山頂

登り口から30分ほどで杉谷山頂に着く(9時18分)。頂上部分は平坦になっている。旧春日町側は 植林されている。展望はない。登頂標の類も一切無い静かな山頂である。西側から吹き上げてくる風が 冷たく、あまり長居はできそうもない。すぐに市境を南に下り始める。 歩き始めてものの5分も立たないところで、境界尾根は南西に曲がり始める。定利山へ縦走するなら、 ここで尾根筋をはずれて南斜面を下らねばならないが、境界尾根を下るつもりなので、道なりに南西へ 辿る。(後から思えばここで判断ミスをしたといえる)
踏跡は栢野方面へ下っている

9時35分、Ca420コブに着く。この時は境界尾根を行き過ごしているとは気付かなかった。松の 根元に石標が埋まり、栢野方面へ踏跡は下って行く様子。南に取れば境界尾根だと思い下るうちにだん だん歩きにくくなり、ヤブを嫌って南南東方向に振りながら植林帯の中の谷に下りる(9時50分)。 かすかな踏跡を頼りに南へ下って行くと次第に道もはっきりし始め、やがて平行道となって東へ回って 行く様子。
栗柄峠から流れてきた川が見えて
きました(白いのは河原に積もった雪)
いくつもの滝が現れる。このあと
サバイバルになるとは知るよしもがな・・・

眼下には滝の音、竹田川へと注ぐ川の流れも見えはじめ、このまま歩けば栗柄不動の滝の上 に出るかも知れないな、などと安易なことを考えて歩いていると、「巻き道崩落」、「イバラヤブの障 害物地帯」の出現。しまいには堰堤の下で道が無くなってしまった。どうやらこの平行道は堰堤を作る 時に使った工事用の道の名残だったようだ。 仕方なく、適当に激斜面を登り、堰堤の上に出、渡れそうなところから川を渡り、南側の斜面をよじ登 って道路に出ようとガードレールを跨ぐと、更にネットが。車の来ないのを幸いとネットをくぐり道路 に出る。「篠山市」境界標識はまだ100mほど先のポイントだった。あーしんど。   (本日の走行距離114km) 2006年2月12日(日)西宮/愛宕山(2.5万図 宝塚)  朝から散髪に行ったついでにポタリング。35年来通っている散髪屋で関学の裏にある。大リーグ、カ ージナルスの田口が大学時代この散髪屋に通っていた縁でもらった田口のサイン色紙(オリックス在籍 当時)がおやじさんのご自慢だ。イチローと田口の連名によるサイン色紙もある。イチローも田口に案 内されてこの店を訪れたことがあるのだろうか。 それはさておき、愛宕山である。愛宕山という名前の地名は雷神を祭神とした火防せの神を祀ったこと に由来するものである。私がこれまで登った各地の愛宕山にも山頂に祠や灯籠が残されていた。西宮の 愛宕山にも愛宕神社が祀られているという。 頭がさっぱりしたところで、関学の正門前を通り、上ヶ原台地を南へ向かう(10時45分)。西宮の 愛宕山は山というよりも上ヶ原台地の南端の丘陵地である。愛宕山バス停を過ぎると道はどんどん坂道 を下って行く。
愛宕山バス停

どこかに神社らしきものはないかとうろうろしながら走るままに下りきってしまう。いつの間にか旧西 国街道に出てしまった。広田小学校の正門が見える角に掲示してある住宅地図で現地を確認すると、小 学校の西に神社マークがある。これらしい。 小学校の前を左に折れて坂を一気に上ると、住宅が途切れた一角が現れる。石垣越しに掘建小屋のよう なものが見える。石段を登る。掘建小屋と思ったのは祠を囲った蓋いである。この祠が愛宕神社である。 100坪くらいのスペースだろうか。祠の傍に松の大木が数本生えている。 特に何の説明板もないが、『町名の話−西宮の歴史と文化』(西宮商工会議所編)によると江戸時代初 期の大火の後に京都の愛宕山から勧請されたものという。推定標高30m。静かに手を合わせ帰路につ いた。
住宅地の中にポツンと・・・愛宕神社

(尚、愛宕山バス停は標高約40mのところにある。また点名「愛宕山」三角点は広田小学校の校庭に ある。こちらの標高は22.9mである)   (本日の走行距離 20km) 2006年2月18日(土)北摂/南山〜高岳(2.5万図 木津)  週末になると寒くなる。でも久しぶりにいい天気になると聞けば走り出さずにはいられない。今日は“ 北摂の展望台”こと高岳を南山経由で登ることに。 先日このコースを歩かれたというかねちゃんの報告を読んでみるとなかなか味わいのあるルートのよう で非常に楽しみだ。 6時33分、ロードで出発する。気温の割には結構いいスピードで走れるが、どういうわけかよく信号 にひっかかり、杉生までの所要時間1時間15分は平均並。途中で降り始めた雪もすっかり上がって太 陽が出てきた。水分補給をして猪名川変電所に向かう。
うっすらと雪の積もった変電所巡視路入り口から南山方面

うっすらと雪に覆われてた変電所を横目に猪名川不動尊への林道を進む。すぐに現れる「火の用心」が No94丹波線鉄塔に向かう巡視路入り口である(8時03分)。細い鉄製の橋を渡り、ロードをデポ、 仕度を済ませて真っ白な巡視路を歩き出す。 No93、No112鉄塔と進み、No92からNo91鉄塔へ向かう。どこまでも白い絨毯が続く麗 しの小径である。ただ落ち葉の上にうっすら積もった雪は滑りやすく、何でもない斜面で転んだりする。 最初は一本だった“枯れ枝ストック”はやがて2本になり、気分はトリノ五輪ノルディック・クロカン。 標高500mを越えた辺りで巡視路が山のすぐ西側を巻いて下っていく様子に、斜面を直進し、ピーク と思しきところに立つ(8時30分)。
静かな小径南山山頂(2つ目のコブ)付近

ピーク部分に有刺鉄線が張られており、“架設道”と書かれた黄色いテープが周囲の幹に巻かれている。 何の架設道だ。確かに踏跡がついている。南山はCa510等高線で囲まれた3つの山の総称である。 今立っているところは一番南のピークの上、ということになるか。 再び巡視路に戻ると道は東に巻く道と、西へ下って行く道に分かれる。西へ下るとNo91鉄塔。この まま下ると猪名川不動尊のすぐ上辺りに降りそうだ。今日は尾根伝いに高岳を目指すので分岐まで戻り、 No90鉄塔の方へ進む。少し下って小さく登り返せば2つ目のコブ(8時45分)。こちらは山頂の 上を通っている。 すぐに3つ目のコブを通過する。巡視路は北東へ下り、登り返す。しばらく姿を消していた有刺鉄線が 再び現れるが、府県界の方に向かって尾根に続いて行く様子。巡視路は左にやや水平になり、更に大き く左カーブしながら谷を渡り一つ西の稜線に乗る。
No89鉄塔へ向かうおなじみ、高岳山頂

No89鉄塔までくるとハイキング道に合流する(9時10分)。ここからは歩きなれた道の筈だが、 雪が積もっていると全然違う道に見えるから不思議だ。最後の一登りで高岳山頂に到着(9時16分)。 3年ぶり5回目の高岳。2月にこの山頂を踏むのは13年ぶりである。13年前は雪もなく暖かかった のを覚えているが今日は寒い。相変らず展望はいい。すぐ西の鉄塔横で休憩をとる。 10分ほど休んだのち下りにかかる。下りは其ノ谷経由中山峠コース。ロードをデポした場所を考える と猪名川不動尊へ下るコースが最適だが、其ノ谷を下ることにしたのはまだ歩いたことが無いから。 最初は暗い植林帯の中を下っていく其ノ谷だが、やがて雑木林の明るい広い谷に変わる。
明るい其ノ谷を下る

思ったよりも気持ちよく下れそうと思っていると、突然簡易舗装の林道に出る。更に東の稜線方面へ向 かって続いている。 水源涵養の保全工事のようだが、山頂から15分下ったところで林道になるとはびっくり。お世話にな った2本の“ストック”を林道脇に置いてデポ地に向かった。 (本日の走行距離 70km) 2006年2月25日(土)篠山/曽地奥峠〜西尾山(2.5万図 福住)  寒かった今年の冬もようやく終わりが近づいたか、今日は15℃まで上がるという。西尾山は篠山盆地 南東部、籾井川と辻川に挟まれた小さな山塊の主峰。東西に伸びる稜線はアップダウンも少なく上手く いけば気持ちのいい陽だまり歩きができるかも知れない。 6時30分、ロードで出発する。意外と寒い。川西能勢口周りで県道を北上、杉生で水分補給をして北 に向かう。杉生から北に向かうのは2ヶ月ぶり。もう積雪は見られない。杉生新田から西峠を越えると、 下りはMAX62km/h、前を行くワンボックスカーに追いつきスピードダウンしたまま、後川奥か ら曽地奥へ本日2つ目の峠越えにかかる。 森にコゲラの木を突付く音がこだます中、ウグイスの鳴声が聞こえる。丹波にも着実に春が近づいてい るようだ。8時34分、曽地奥への峠頂上に着く。いい天気だ。天狗岩越しに三嶽、小金ケ嶽がくっき り見えている。
天狗岩越しに三嶽と小金ケ嶽

少し休んで峠道を下り、日置から辻へ。淀山城址を回りこんで田んぼ道の脇にロードをデポして栃梨へ 抜ける地形図の破線路を北に向かって歩き出す(9時02分)。植林帯の中に山道が続いている。竹林 の連続地帯を過ぎると、荒れたジグザク道に変わり、峠に到着する(9時14分)。 栃梨方面へも道の形状は残っているがひどい倒木だ。尾根筋を西に向かう。かすかに踏跡が残っている。
栃梨へ抜ける峠道396山から弥十郎ケ岳方面
手前の山は淀山城址

峠から10分ほどで396m標高点ピークに着く。ここだけ南に展望が開けている。淀山城址の向こう に弥十郎の堂々とした姿が見える。暑い。汗を拭って先を行く。 ヤブ尾根である。人が歩かなくなって随分経つのか、踏跡と思しき道も左右から雑木の枝が張り出し、 腰を屈めないと進めない。 9時43分、396山から2つ目のCa380コブに着く。もう“仙人峠のおりん”(横溝正史『悪魔 の手毬唄』)状態だ。一体どこまでこの歩きにくい状態は続くのか。更に5分ほどで3つ目のCa38 0コブに着く。赤いプラ杭が埋まり、南側にやや視界が広がる。
3つ目の380コブ4つ目の380コブから
西尾山本峰がようやく姿を見せる

更に5分ほど行けば4つ目のCa380コブ。今日は真面目に地形図をチェックしながら歩いているの で、きちんと403m本峰の方向を確認する。 西尾山山頂付近には数本の松の木が見えている。煩い雑木枝を払いながら、最後のひと登りで西尾山山 頂に到着(10時01分)。眺望は期待できずとも山頂らしい雰囲気はあるかと思ったが、枯れ枝と倒 木で足の踏み場もない。
これだけ雑木ヤブの山頂も珍しい

結局、山頂で休むことなく尾根を西に下っていく。相変らず両手で枝を掻き分けながらの歩行が続く。 10分ほどで尾根の西端に出る。麓の景色が見える。南西方向に神社の森が見える。あの神社の森方向 へ下る尾根を辿らなくてはならない。 ヤブの中を南にとる。うまく尾根に乗れたようだ。更に現れる尾根の切れ目で南西枝尾根に乗る。終始 あるか無きかの踏跡。
電線を咥えた?木謎の施設跡?

と、突然黒いビニール線を咥えた倒木が現れる。何でこんな山の中に電線があるんだ。更に下っていく とコンクリートで作られた謎の施設が現れる。屋上部分は落ち葉が堆積して配水地のようではあるが何 の施設だったのかわからない。 ここまでくると下界は近い。杉林の中を下ると赤い鳥居と小さな祠が現れる。地形図の畑井にある神社 マークのポイントである。目的地にどんぴしゃ降り立つ(10時32分)。 東寄りの風が強くなってきた。しかしもう冷たさは感じられない。手袋をつけているのが煩わしく感じ られる。『東風吹かば・・・』か、早春の里山歩きを満喫できた1日であった。 (本日の走行距離111km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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