山を駈ける風になれ2006年 10月号
2006年9月2日(土)西脇/和布(2.5万図 西脇)
和布は西脇の中心部の南東、加古川の左岸にそそり立つ342mの岩山。山頂に中継塔が立っているので、
遠くからでもすぐにそれとわかる目立つ山であるが、本当の名前は知らない。ここでは最高点のすぐ南に
あるコブにある三角点(313.7m)の点名を使わせて頂くことにする。
5時26分、いつものようにロードで出発。ここ数日随分と涼しくなった。赤坂峠の道路脇の温度表示1
9℃は何かしらホッとさせてくれるものがある。
それにしてもサイクルコンピュータの走行距離表示がおかしい。先週は正しく表示されていたのに、今日
は20kmで約1km短く表示される。5%も違うなんて消費税じゃないんだから・・・。ま、帰ってか
ら調べるとしよう。
いつものようにR176を北上する。大山下(丹波大山)の交差点から谷川駅方面へ向かう県道は土砂崩
れでまだ通行できない。仕方なく鐘ケ坂トンネルを越え、見長の交差点を左折、奥野々トンネルを通って
谷川に(7時46分)。小休止の後、西脇方面へ向かう。
太陽が高くなると共に急激に気温が上がってきた。今日も暑くなりそうだ。バテる前にと西脇寺内のコン
ビニで軽食補給し、加古川を渡って和布町公民館前に着く(8時44分)。
R175の高架の下をくぐって山側に・・・。あれ?どっちだ?地形図を確認、右手の建物マークのある
方に上ると、おや?アパートの敷地に入ってしまった。Ca250mにある中継塔方向に向かって実線の
林道が延びている筈だが、一体どれだ? もう一ヶ所別に登る箇所があるのか?と地形図をにらんでいる
と、アパ−トの敷地との境界のフェンスの向こう側を山側に向かって散歩する人の姿が・・・。え?あれ
が林道?
もう一度坂を下って階段を登りさっき人が歩いていた道に入る。アパートのフェンス越しでは細い山道の
ようにしか見えなかったが、しっかりしたダブルトラックの林道である。ただ、残念なことに簡易舗装は
されていないのでロードで上っては行けない。林道脇の少し広くなったところにデポして出発する。
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NHK中継塔まではこのような林道が進む |
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どこまでも傾斜の緩い歩きやすい道が続く。日陰になっているので涼しくて気持ちがいい。さきほどの人
と同じように散歩している人が多い。確かに散歩するには手頃な山だ。25分も歩けばNHK西脇中継所
の塔が立つCa250mポイントに到着する。林道はここまで。ベンチが設置されていて展望を楽しむこ
とが出来るようになっている。昨年登った坂本城址や、童子山公園など緑の多い西脇市街中心部の景色を
楽しむことができる。
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北端にNHK中継塔が建つ |
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さて、この山の最高点に向かう。登り口は少し戻ったところから尾根伝いに付いている。巡視路然とした
道で気持ちよく歩ける山道である。山道が左右に分岐するところを左にとると短いが急な階段が現れ、一
気に登ると山頂直下のNTTドコモ中継塔施設の前に出る(9時25分)。
東に連なる山々の姿がいい。低山ではあるが懐の深さを感じさせてくれる。三角点のあるコブは南に下っ
た先に見えている。三角点へ訪れる人は稀なのか山道も急に細くなっている。
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最高点から三角点のあるコブ(点名和布)を眺める | 最高点から東側の山を眺める |
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アンテナの裏から最高点に登る。一面低木に覆われて何もない山頂である。展望はむしろドコモの中継施
設のあるところの方がいい。山頂で長く留まっていると熱中症になりそうなので元来た道を下山する。あ
んなに涼しかった秋の気配もすっかり残暑厳しき姿に戻ってしまった。次はどこで食料補給しようか、そ
んなことを考えながら西脇を後にした。
(本日の走行距離128km)<−5%少ない数字
2006年9月9日(土)能勢/来見山〜野間名所案内 (2.5万図 妙見山)
“マイ・サイクルフィールド紹介”シリーズ第4回。今回は能勢の野間地域を紹介してみることにしたい。
午前5時30分、自宅をロードで出発。久しぶりに熱帯夜に戻ったせいか、頭がふらふらしていたが、走り
出すうちにしゃきっとしてきて杉生から中山峠を上る頃にはエンジン全開モード。栗栖のコンビニで軽食調
達をすると(7時05分)、名月峠を越え、下田尻から猪子峠に向かう。
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猪子峠 |
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この峠に立つのは12年ぶり。峠の前後2kmは未舗装路で12年前と風景は全く変わっていない。ここか
ら東が野間地区になる。
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安徳帝ご陵墓への入口 | 御殿ケ芝跡地 |
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まずは安徳帝ゆかりの地を訪ねる。野間へ下る峠道の途中から来見山の山頂にあるご陵墓へ行けるが、この
時季はご覧のとおりのヤブでとてもここから入る気になれない。御殿ケ芝は安徳帝の住居跡。今は草深い湿
地帯である。
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岩崎八幡神社 |
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祭神は安徳天皇。野間大原にも安徳帝を祀った来見権現社がある。ここには壇ノ浦の合戦の後、従者とこの
地へ来て翌元仁2年(1186年)に死んだという伝説がある。(八幡神社の入口に説明文あり)
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安徳帝ご陵墓 | 藤原経房の墓 |
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神社の祠の裏から来見山に向かって山道が付いている。山頂には安徳帝の墓が、手前約200mのところに
従者の藤原経房の墓がある。悲劇の主人公にはこうした伝説が付き物だが、やっとの思いで逃げのびてきた
というのに1年後に亡くなるというあたりにそうした多くの英雄伝説とは違う何かを感じる。そういう高貴
な人のモデルになった人物がこの地に住んでいたのだろうか。
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野間の大ケヤキ |
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能勢を代表する巨木といえばこの大ケヤキ。樹齢1000年。目通り幹周り14mは屋久島の紀元杉より太
い。元々は蟻無宮のご神木であったという。以前は“治療中”で痛々しい姿だったが元気に甦り、今では周
囲も整備され、大ケヤキ資料館まで傍に出来ていた。
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地蔵一尊種子自然石板碑 |
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暦応4年(1341年)の銘がある。野間街道の道端にある。俗に野間の建石といわれている。
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いしゅうさ |
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これも野間街道沿いの集落脇に祀られている。石房の辻。阿弥陀仏と六地蔵の計7体が一つの石に彫られてい
る磨崖仏で永禄7年(1564年)のものという。野間から余野にかけては野仏の宝庫、興味ある方はこれか
ら涼しくなる秋の日の1日、石仏巡りをするのもいいかも知れない。
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力士碑 |
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蔦が絡まって読みにくいが、左が小泉小右衛門、右が大碇神右衛門(奥は不明)。共に明治の力士。大碇とい
えば京都相撲で横綱になった大碇を連想するが(って誰も知らないって?)、下の名前が違うのでただの郷土
出身力士の碑ということか。
しかし能勢には力士碑がこの他にも沢山点在している。力自慢を多く輩出する土地柄だったのだろうか。力士
にして義太夫だったという人の碑も今西にある。
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生首谷 | 磨崖碑 |
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生首谷という不気味な名前は、ここが能勢氏のしおき場だったことから呼ばれたもの。谷に架かっていた橋は
朽ちて更に一層不気味さを増している。写真の色も不気味だが、薄暗いので補正をしたらこんな色になっただ
け。ついでに生首も転がってはいない(当たり前か)。
谷に下る横に高さ3m近い磨崖碑がある。元亀元年(1570年)のもので、丸囲みの中には「即心」「即仏」
という文字が彫られ、確かに首を斬られりゃ即、仏だ。
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しおき場 |
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朽ちかけた「しおき場」の文字がいい雰囲気を醸し出している。生首谷(地獄谷ともいう)の北側にかなりのス
ペースの平坦地がある。余野へ抜ける府道沿いにある。
湿度が高く留まっていても汗が流れてくる始末である。しおき場から1kmほどで野間隋道、隋道を越えるとよ
うやく下りになる。妙見口から余野川沿いにR423を走って池田方面へ長い下りを楽しみんだ。
(本日の走行距離80km)
織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。
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