山を駈ける風になれ2007年 1月号

 
2006年12月2日(土)山南/高釣瓶(2.5万図 丹波和田)  
播丹界に巨大な根を張る篠ヶ峰の枝峰を巡ろうと以前から温めていた計画を実行する。

12月らしい気候になった。外が明るくなるのを待って6時28分自宅を出発する。距離があるのでロードだ。
体を温めようとややオーバーペース気味に走り出す。気温4℃の赤坂峠を越える頃には汗だく状態、ペースを
落として気持ちよく走る。やや追い風気味で快走を続ける。新三田では道路脇の気温表示は1℃を指している
が、指きりのグローブで走っていてもそれほど寒さを感じない。
藍本を過ぎる頃から丹波霧に包まれ視界は20m、指で眼鏡のレンズを何度も拭きながら走り続けるうちに古
市の水分補給ポイントに到着(7時55分)。ここの気温表示も1℃だ。自販機でこの冬初めて温かい飲み物
を買う。何年ぶりだろうか。珍しく小さな缶コーヒーを買う。350mlも要らないからだ。

白い霧に包まれた篠山盆地を走る。どういうわけかディープ・パープルの “Black Night♪”が頭
の中を流れる。黒の缶コーヒーを飲んだからか。それにしてもペダルの回転リズムとよく合っている。
そういえば、“Smoke on the Water♪”が中学の音楽の教科書に鑑賞曲として載っていると
新聞で読んだことがある。時代も変わった、というよりも、生徒達はこの曲を教室でどうやって聴くのだろう。
おとなしく座って鑑賞、という図はどう考えても怖いものがある。われわれが中高生時代に熱中した音楽を採り
上げてくれるのは結構だが、ホテルの火事の歌を鑑賞曲にするのはどうなんだろう。
生徒達に鑑賞させるのならレッド・ツェッペリンの“Stairway to Heaven♪”でも、ピンク
・フロイドの“Atom Heart Mother♪”でもいいんじゃないか。だけど本当に教えるならロッ
クン・ロールの歴史からだよな、そうなりゃゴスペルやブルースから始めないといけないよな、などとどうでも
いいことを考えているうちに丹波大山の交差点の手前まで来た。『通行止め』の立看板が目に飛び込む。

大山下から谷川へ向かう県道はまだ通行止めのようだ。え?どうしよう。行き先を変更しようか、でも今日は『
丹波和田』の地形図しか持ってきていない。ええい、鐘ケ坂越えでいくか。

覚悟を決めて鐘ケ坂トンネルを越え、すっかり霧の晴れた氷上盆地を奥野々トンネルへの上りもこなし旧山南町
に入る。予定外の峠越え2つはちょっときつい。おまけに帰りは阿草から小峠を越えなければならない。ちょっ
と予定を変更した方がいいかも知れない。

全般に追い風基調なので快適には走っている。井原のスーパーに立ち寄り弁当を買う(9時02分)。再びロー
ドにまたがり和田を抜けると富田橋(9時20分)。地形図で道を確認し、坂尻林道を北上する。
応地と結ぶ道路は広くてきれいが、坂尻公民館前からすぐに細い道になり、すぐに舗装路ながらデコボコの道に
なって走れなくなる。こんな所から「押し」ていたのではいつになったら登山口につけることやらと時間が気に
なる。

シカ除けの扉の前に到着(9時35分)、扉を開けて元に戻し、ちょっと進んだ植林帯の中にロードをデポ、ス
ポーツドリンクを片手に歩き始める。坂尻堰堤を過ぎたところから赤井(点名)の南尾根が目の前に迫ってくる。
赤井に登ってぐるっと高釣瓶まで歩こうと思っていたが、通行止めの影響で予定外の峠越えを3つしないといけ
なくなったので、高釣瓶一本に絞ることに変更する。
坂尻林道扉前坂尻堰堤より赤井の南尾根を眺める

高釣瓶は鉄塔が山頂近くに立っているので巡視路を辿れば問題なく登れそうだ。古天神に向かう「火の用心 N o.45へ」を見送って、次に現れた「火の用心 No.44、No.76へ」の標識のところで東に折れる。 「火の用心」の標識が続いて迎えてくれるこの巡視路は擬木階段の連続コースである。簡単に主稜線に着けると 高をくくっていたが、どうしてどうして。全く休ませてくれない階段の連続とポカポカと暖かい日差しに汗は噴 出す、だんだんスピードは落ちる、でよれよれ状態に。
どこまでも続く巡視路の階段

やっとの思いでNo.44鉄塔に辿りついた(10時07分)ものの、地形図を広げて、まだ標高416mなの を知ってどっと疲れが出る。これだけ登っているのにまだそんなものか、と思う一方で樹幹越しに見える古天神 の方がまだ上に見えるのでやっぱりそうなのかと現実を受け止める。 No44鉄塔からも高釣瓶南東すぐのコブ目がけて枝尾根は一直線に標高を上げている。このコースは結局標高 差400mの一気登りだ。最近まともな山歩きをしていない私の足では高釣瓶1座でもきつい。
No76鉄塔より岩屋山

10時20分、No76鉄塔に着く。本日一番のビューポイントである。送電線を西に追うと岩屋山が大きく盛 り上がり、そのずっと右奥にはこの山塊の盟主篠ヶ峰の山頂が見えている。南に目をやると4年前登った古天神、 更にその南に今年1月登った大谷、そして更に南奥には7年前やまあそさんと出会った妙見山から白山にかけて の山並がうっすらと見えている。 暖かくて汗びっしょりだ。景色を楽しみ再び歩き始めること5分で旧氷上町と旧山南町の境界である主稜線に。 更に2分で高釣瓶山頂に到着する(10時30分)。
主稜線に乗る高釣瓶山頂

角の欠けた三角点が中央に埋まっている。596.6m。今日はここまで。ここから先の楽しみはまた後日に残 しておこう。三角点に腰掛けて弁当を頬張る。じっとしてると汗がひいて寒くなってきた。山頂で15分ほど滞 在の後、来た道を戻る。 お疲れの足には下り階段の連続もまたきつい。どうにかこうにかデポ地に戻る(11時12分)と再びロードを 舗装路がきれいになるところまで「押す」。押しながら上空の雲を見ると西から東に早い速度で流れている。 これは願ってもないことと走り出す。確かに追い風基調ながら、地形の影響でところどころ強い向い風になった りする。谷川駅前まではまずまずのペース、その後もしばらくは追い風に乗って快調に飛ばしていたが、阿草手 前から強烈な向い風、もうどうにでもしてくれ、と上りにかかったところで、こんどは時雨のダブルパンチ。 ようようの思いで辿り着いた小峠(12時28分)はしっかりした雨。味間へ下る爆走路も路面が濡れてセーブ 気味。このあとも追い風と向い風、横風がぐるぐる回る展開で、足は「売り切れ」状態。 三田の波田を越えたあたりからようやく追い風基調になる。ご機嫌なペースで走っていると腹が減ってきた。ハ ンガーノックになっては大変と北六甲台のコンビニで栄養補給。エネルギー満タンとなったところで元気復活。 赤坂峠からの下りのヘアピンで大型トラックをかわすと、そのまま爆走、その前を走っていた車の集団もとらえ、 西風に乗ってあっという間に家に帰り着いた。      (本日の走行距離147km) 2006年12月16日(土)能勢/竜王山+田尻地区案内(2.5万図 妙見山)   竜王山という名前の山は全国至るところにある。同じ能勢にも三草山の西隣に竜王山がある。「竜王」は雨乞い に関係する名前なので昔から農村の暮らしと密接に結びついてきたわけであるが、今日登る竜王山は岐尼地区と 田尻地区の境に位置する標高462mの山。地形図にも名前が載っている山なのに、これまで一度も訪れたこと はなかった。 今日はこの竜王山にプラスして久しぶりに“マイ・サイクルフィールド紹介シリーズ”第5弾、田尻地区の名所 を訪ねることにする。 6時43分、すっかりあたりが明るくなったところで出発する。今年はいつまでも暖かい。川西能勢口周りで県 道を北上、7時58分杉生に着く。水分補給をして中山峠を越えて能勢に入る。まずは竜王山。手前にある名月 峠の紹介から始めることにしよう。
名月峠へ向かう道は深い霧の中名月峠

放射冷却のあった能勢の冷え込みは相当なものだ。峠を下る体感温度は勿論氷点下、深い霧が立ち込め視界は2 0mもない。
名月姫の墓

竜王山はこの墓の前をとおり過ぎたところから適当に尾根に取り付く。 平清盛の側室になることを拒否し、夫能勢家包への貞操を守って自害したという名月姫伝説。名月姫の供養塔で もある宝篋印塔は鎌倉後期の作、両脇の五輪塔は夫能勢家包、父三松国春という。但しこの他にも微妙に話が違 う伝説や、松王児童の話とだぶるような伝説も残っている。 余談だが、JR福知山線で尼崎から塚口に向かう車窓から『能勢の銘菓 名月姫』という広告看板がビルの屋上 に立っているのが見える。私が知らないだけなのかも知れないが、能勢にそんなお菓子を作っている店は聞いた ことがない。どこにあるのだろうかといつも思っている。 また、尼崎(尾浜町)の神社にも名月姫の宝篋印塔があるがこちらはまだ訪れたことがない。
竜王山山頂竜王山西Ca400mポイントから雲海を眺める

名月姫の墓の前から25分で3等三角点の埋まる山頂に着く。明確な登路は無いが明るいヤブで歩きやすい。展 望は無いが静かな山頂。古い三角点がいい姿で埋まっている。登頂標も2枚しかなく、のんびりできる。 この山は立鉉鉱山(オケ山鉱山)といって明治30年代までは銅鉱石が日に4トンも採掘されていたとか。南に ある坂井峠は採掘した銅鉱石を山下にある吹屋に運搬するために開削された道である。
清正公堂手形碑

清正公とは勿論加藤清正の事。このお堂の本尊は加藤清正である。清正公堂は上田尻から山内と嘉村をわける丸 山という小さな山の北東隅にある。北へ下る参道の途中には清正の手形碑が祭られている。手を合わせてみたが、 かなり巨大な手であった。
力士碑

丸山をぐるっと南西側に回ると碑が立っている。右手は絹川磯八良という力士の碑。天保2年のもの。左手は鶴 澤広助という義太夫の三味線碑。能勢は浄瑠璃が盛んであっただけに義太夫碑、三味線碑は多い。
板碑と妙見石灯籠

右が妙見石灯籠。嘉永6年のもの。左は板碑。室町初期のもので『金剛界大日 弥陀三尊種子自然石板碑』とい う。高さ181cmの石に梵字が彫られている。
信田の森稲荷社
安倍保名の宝篋印塔しおぬきの田

“恋しくば尋ね来て見よ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉” で有名な葛の葉伝説がここ能勢にもある。「葛の葉」は白狐の名前。人形浄瑠璃『蘆屋道満大内 鑑』の主人公である。狩人に追われたところを負傷をしながら救ってくれた安倍保名を、葛の葉という女性に化 けて見舞ううちに結ばれ童子丸という子をもうける。しかし、童子丸が5歳の時、葛の葉の正体が白狐とばれる。 先に紹介した一首を障子にしたため信太の森に帰る、という話。 童子丸は成長して安倍清明になる。 信太の森は今の和泉市にある。それが何故ここ能勢にもあるのか。浄瑠璃が盛んな能勢にいつしか伝説が移植さ れたという簡単なものでもなさそうだ。能勢町教育委員会の説明板を読むと、地元では「保名はん」と親しみを こめてよばれているとある。  境内の片隅にある安倍保名の宝篋印塔の裏面には、ここが保名の終焉の地であったと記されている。この宝篋 印塔は室町初期のものとか。安倍保名が傷を癒すために葛の葉とこの塩谷に湯治に来たという。府道を挟んで向 かいの田んぼのあたりが塩田温泉の跡。鉱泉の塩分を抜き取ったという「塩ぬき田」はこの写真の田あたりなの だろうか。  今もこの付近に霊泉があるというが不明。昔は薬湯として近郷近在には知られた存在であったという。  さて、信田の森の稲荷社にお参りをしようと立ち寄ったら、鳥居の周りをきれいに掃いている人がいた。5、 6歳くらいの男の子とそのお母さん。その向こうではそのお母さん(つまり男の子にとってはおばあさんになる )が掃除をしておられた。  22日が保名の月命日になるので掃除をしているのだと仰る。この稲荷の森を守っておられるとのことで、平 日は勤めがあり土日にしか掃除できないのですが広いから大変です、8月と12月の22日には多くの人がお参 りに来られるのですよ、と説明して下さるお母さんは、とてもお孫さんをお持ちのご婦人とは思えない美しさを 湛えていらっしゃる。  安倍清明の話を切り出すと、嬉しそうな表情で、どうぞ奥のお社の方へもお参り下さいと言われ、箒を持って 先に石段を上がっていかれた。場所が場所だけに葛の葉を連想してしまうのは伝説の地がなせる業か、それとも お稲荷さまの悪戯か・・・。  蛇足だが、この伝説は安倍清明の超人ぶりを人間と白狐の間に生まれた半妖怪(表現が変だが)だからと説明 するものではない。葛の葉の「葛」は大和朝廷成立以前から奈良の吉野地方にいた先住民族「国巣(くず)」の こと。「土蜘蛛」「熊襲」「隼人」などと同じ、まつろわぬ人々である。朝廷は彼らを獣扱いして差別すると同 時に、山の民が持つ超人的な能力を恐れていたのだと考える。最後にそんな民俗学を学んだ本日のツーリングで あった。      (本日の走行距離 82km) 2006年12月23日(土)北摂/後川上〜後川城山(2.5万図 福住)   年に20回は走る後川(しつかわ)地区。行政区分上は篠山市だが、地形的には佐曽利カルデラ(『丹波の自然』 神戸新聞社刊)の中、といううことでタイトルのエリア分類も「北摂」とさせて頂いた。 さて、その後川上の交差点の北約500mのところに岩峰鋭い姿が魅力的な山が聳えている。以前から気にはなっ ていたが、笹倉さんのレポートによると城山だという。それならば一度は訪ねてみないと、というわけでいつもの トレーニングコース周回を兼ねて走ることに。 午前6時41分、まだ夜明け前の薄暗い中をロードで出発する。とにかく暖かい。今年は。去年はわが家の前の坂 道が積雪で陸の孤島になったことを思うとえらい違いだ。 川西能勢口周りで県道を北上、杉生で水分補給の後、杉生新田に向かう。12月下旬に積雪の無いのは何年ぶりだ ろう。昨年は峠越えが大変だった泉郷峠も晩秋の雰囲気、天王にもいつもと同じ所要時間で着く(8時37分)と、 はらがたわ峠でターンして、籠坊温泉を抜け、後川上から西山小学校の角で右折する。
後川上交差点から城山の岩峰を見る

後川城山の山塊を西側から登ろうというわけだ。手持ちの古い地形図には「林道工事中」と書き込みがある。結局 この工事は鉄塔工事のための道で、今も地道の林道。ロードでは乗ったまま走れないので「押し」ていく。 大きな堰堤を過ぎれば西山わんぱく広場(9時15分)。晴れてきた。道標を過ぎれば古坂峠へ向かう道、9年前 の12月にMTBでこの旧道越えに挑戦した時のササヤブとの格闘を思い出す。ところがその旧道越えの道は更に 荒廃が進んでいるようで木橋が崩れ落ちている。どこか適当なところから取り付いて北東から南西にのびている尾 根に乗っかりたい。 シイタケのホダ木が並べてある小さな谷を見つけロードをデポ、両脇は植林なのにそこだけ明るい雑木林が続いて いる枝尾根に取り付く(9時32分)。 ところどころに岩が飛び出している急な斜面、踏跡もないが歩きやすい枝尾根で、ものの6−7分で尾根に出る。 480mライン。恐らくその昔は山の上に造られた砦をつないで斥候が走ったであろう尾根道もイノシシの歩いた 道が残るばかりだ。 木々に覆われ展望はない。樹幹越しに見えるのは何年か前に歩いた569山だ。やがて左手前方に527山が見え てくるとCa510コブに着く(9時53分)。
露岩の目立つ枝尾根を登るCa510コブから樹幹越しに城山

ここに来ると南東に形よく盛り上がる後川城山が樹幹越しに見えるようになる。相変らず歩きやすいところを適当 に辿り、ガラガラした岩屑の堆積したような斜面を登ると後川城山山頂に着く(10時00分)。 麓からクルマの音がよく聞こえる。東から南は絶壁のような斜面だから、標高差は200mあっても直線距離はご くわずかだ。絶景のビューポイントを期待したが激斜面をもう少し下らないといけないようだ。 山城といっても土塁の跡も無く、平坦地が段々になっているから言われればそれとわかる程度。山頂で少し休憩し た後、元来たルートを辿って下山する(10時25分)。
後川城山頂上平坦地が段々になっているが土塁などは残っていない

後川上の交差点に戻ってドライブイン(懐かしい響き)で何か食べようかと思ったが、店内改装?でお取り込み中、 仕方なくすきっ腹をかかえて羽束川沿いを小柿方面へ下る。すれ違うサイクリストが多い。やはりこの暖かさだか らか。風まで南風。向い風に無駄な抵抗はやめ、ゆっくり初冬の北摂をたのしみながら走りを楽しんだ。       (本日の走行距離110km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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