山を駈ける風になれ2007年 4月号

 
2007年3月3日(土)三田/大谷山(2.5万図 藍本)  
地形図に名前が載っていない、所謂「無名の低山」というものに登った数は数え切れないが、マイ・サイク
ルフィールドで地形図に名前が載っている山なのにまだ登ったことの無いという山も結構ある。
今日の大谷山もそんな山の一つ。三田の須磨田と青野地区を分ける南北に細長い稜線上にある低山である。
大阪低山跋渉会のHさんが、この山塊を“ツチノコ”と見立てて縦走されている。なるほど駒宇佐八幡の北
東の481.8m三角点を「頭」、南の大堰橋を「尻尾」とすると、確かにツチノコのような形をした山塊
である。

昨夜は帰宅が遅かったので、6時40分ロードでスタート。ゆっくり目に走る。最短距離で行けば30km
も無い距離なので川西能勢口周りで向かう。猪名川町笹尾のコンビニで食料を調達し、笹尾峠、大坂峠、切
詰峠と越え、志手原から飯盛山の南をかすめて、8時46分 大堰橋に到着。

ここはちょっとした峠にもなっている。祠があり馬頭観音が祀られている。仕度を済ませ林道にロードをデ
ポし、廃屋の横から強引にヤブを掻き分けて尾根に取り付く(8時55分)。稜線に乗ると踏跡が現れる。
NHKのアンテナを過ぎると岩尾根、シダ尾根と続く。
大堰橋の馬頭観音が祀られた祠岩尾根

潅木の枝が煩いヤブ尾根である。もっとすいすい歩けるものだと思っていたが、意外と手強い。350m等 高線に乗り、平坦になると大谷山のコブがヤブ越しに見えてくる。ヤブを右に左にかわしながら登り詰める と大谷山の山頂に着く(417m。9時25分)。
大谷山山頂

雑木に覆われて展望は望めないが、静かな山頂である。軽食タイムを摂ることにする。それにしても気温が 高い。汗だくだ。今日は16℃まで上がるという。曇っているというのにこれだ。晴れていたらバテバテに なっていたかも知れない。 山頂でゆっくり食料補給したところで、更に先を歩く。相変らずヤブは煩いが、ところどころ須磨田三山や 千丈寺山のビューポイントが現れる。少し登り返してCa410コブを過ぎると(9時49分)、立ち木を 掴みながらの急斜面下降ポイントになる。 いっきに60mほど下り、少し登り返してまた小さく下ると上青野に下る山道が現れる。このまま縦走して もヤブが煩いだけだし、北に行けば行くほど舗装路歩きが長くなるだけなので、ここで下ることにする。
降下ポイント。正面は縦走路、右へ下る

しかし、こういう山道は得てしてすぐに道が無くなって、麓の集落に出るまでとんでもないヤブ漕ぎを強い られることがあるものである。
広く浅い谷谷の北側に巨岩が現れる

実際歩き始めてものの1分もしないうちに山道と思われるところは廃道状態になってしまったが、広く浅い 谷地形で、谷筋をいけば明るくて歩きやすい。気持ちのいい冬枯れの雑木林のお散歩コース。雑木越しに大 きな岩盤に覆われた斜面などを見ながらの漫ろ歩き。堰堤を2つ越えれば上青野字寺谷地区へ下りついてし まった(10時15分)。 下り始めてから約15分の行程。なるべく舗装路を歩かないように小川沿いの土手歩き。タンポポやオオイ ヌノフグリが咲き乱れる土手をのんびりと春の休日を満喫しながらデポ地に向かって歩いた。 (本日の走行距離  78km) 2007年3月4日(日)川西/舎羅林山(2.5万図 広根)   暖かい日が続きます。今日も走らずにはいられない好天、所用があるため朝のうちに行って帰って来れると ころということで表記の山をチョイスする。舎羅林山とは奇妙な名前、由来は知らないが、単純に考えれば シャラ=ナツツバキが沢山生えている山というところから来たものか。 6時50分、MTBで出発する。昨日も走ったのに結構いい感じで足が回っている。川西能勢口から銀橋を 渡り、R173をそのまま横断して伏尾ゴルフ場への道を上る。急な坂道が現れるが、このルートが一番標 高を稼いで山に入れるルートだ。
ここから入ります

登山口に到着(7時42分)。ゴルフ場への道が下りにかかる手前左手に登山口がある。MTBを押して山 の中に入ると極上のシングルトラックが続いている。 登りなのに連続で乗車できる“いい”道だ。すぐに分岐が現れ左に取ると「愛宕大権現」の石碑。周囲に瓦 が散見される。以前はこの石碑も祠の中に収まっていたとみえる。
上りなのに乗車できるシングルトラック愛宕山大権現もうすぐ山頂です

小さな分岐が次々に現れる。面白い山だ。鉄塔への分岐を左に見送り、北に向かって「押し」て上がると頂 上部東端に出る(7時59分)。方向を西に転じて乗車したまま山頂に(8時04分)。枝ぶりのいい松と 石が点在する様は、まさに天然の日本庭園である。
舎羅林山山頂高速の下り

北側が宅地開発で切り開かれたものの、そのままになっており低山ながら抜群の眺望が得られる。能勢妙見、 高代寺山をはじめ北摂の山々が春霞にのんびりと寛いでいる。三角点の後に何故かケルンがある。 山頂でゆっくりと憩う。近場だから時間を気にする必要がない。さて下りにかかる。一番乗車率が高そうな 南西へ向かうルートを取る。いきなり連続乗車の高速コース。あっという間に鉄塔No53に(8時18分)。 アセビの花が満開だ。もう暑いくらいの陽気である。少し西に向かったところに眺望のいい岩場がある(8 時25分)。登ってみる。山頂よりも素晴らしい眺めが得られる。寄り道が多くなった。
満開のアセビ西の岩場

いい道はまだまだ続いている。ほぼ100%の乗車率である。こんな小さな山で600mも700mも続け てシングルトラックを走れるなんて最高だ。 飛ばしまくって下っていると前方に突然住宅が・・・。 え?! いきなり他人の家の門の前に出てしまった(8時34分)。階段の横にはエレベーターのレールが 付いている。どこだ? こういう時には電柱を見るようにしている。 「ヒラノ」「エキマエ」と書かれている。地形図を広げる。調子に乗って走っていたため、南への分岐を見 落としたらしい。まあいいか。住宅地の中の急坂を下ると平野の駅舎が見えてきた。標高差はあるが、確か に駅からの距離は近い。 いきなり国道を走って帰るのもなんだかつまらない。しばらく集落を縫う旧道をのんびり走って帰路に付いた。 PS.そうそう、シャラの木であるが、走行中に何本か生えているのを見かけた。山の名前になるほど多く はないが、この地域が照葉樹に覆われていた頃は沢山生えていたのかも知れない。 (本日の走行距離  32km) 2007年3月18日(日)北摂/ソエ谷峠〜焼尾+湯屋谷W△(2.5万図 武田尾)   お彼岸の入りになって今年一番の寒波が来るという。一体どうなってんの? 3月と2月が逆になったよう な毎日、そんなに寒いのなら、と急遽予定を変更して、MTBで近場の未走の尾根を走ることにする。 焼尾は猪名川の多田銀山跡と宝塚西谷地区の境野の真ん中にある市町界尾根。どういうわけかまだ走ったこ とがない。 6時47分、ゆっくり目に自宅を出発する。確かに寒い。足慣らしも兼ねて川西能勢口周りで行こうと走り 出す。家を出る時には晴れていたのに、山本を過ぎたあたりから雪がちらちら。川西能勢口を北上する頃に は結構な降りになる。 こんなところでこの雪では、北の方は推して知るべし。今日のルート設定は正解かも。晴れ間と俄か雪が交 互に訪れる中、広根で左折、切畑に(7時55分)。 切畑で水分補給を摂り、古宝山の北を巻く道を走って、工事中の道路を迂回、農道を走って、林道に入り、 8時18分ソエ谷峠に着く。
ソエ谷峠

MTBに乗り始めた頃、何度も訪れた私にとってはMTBライフの原点のような場所である。北に取れば竜 王山、東に取れば一ノ谷から銀山、西に取れば北穴虫へのヤブ尾根。今日は200mほど林道を戻ったとこ ろから焼尾に入る。
焼尾を走り出す

いきなり乗車可能の平行道。これは期待が持てそうだ。境界が南に折れるところで、体が埋まるほどのシダ 藪斜面の担ぎ上げが待っている。続く雑木ヤブも担ぎ上げでクリアすれば、Ca340ポイント、南正面に ザレ場を見せる焼尾本体の稜線が見える(8時36分)。
行く手にザレ場が見えるええ道やねぇ

ここからまたハンドル幅すれすれの乗車可能な道になる。そして、正面に現れる登りを一気に担ぎ上げれば Ca370コブに着く(8時44分)。この焼け尾根の中の最高地点である。 ここから山道はまた東南東方向に変わる。イノシシ君がほどよく掘り返してくれて、山の上なのに砂浜を走 っているかのような負荷がかかる。この変にふかふかで走りにくい道は西穴戸山の最高点の南斜面を緩く巻 くように付けられており、脱出したところが小さなザレ場になっている(8時59分)。
軽食ポイントから城山方面を臨む

日当たりがいいのでここで途中のコンビニで買ってきた弁当を拡げ、軽食タイムにする。真東にCa340 コブ、その奥に城山が見えている。境界尾根方向である。満開のアセビを見ながらのんびりおにぎりを食べ ていたら、急に冷たい風が吹いてきた。 立ち上がって北の方を見ると雪雲が急接近中だ。その内また雪がちらつき始めた。吹雪の中を走るのはごめ んだ。境界尾根を離れて南方向に山道を走ることにする。
南へのルートももええ道やないのなんぼほど続くの「ええ道」は・・・ 極上シングルトラック
もう言うことございませんm(__)m

平坦な走りやすい山道に続き、テクニカルな極上シングルトラックが続く。あまりの連続乗車に勿体無くて 途中で立ち止まる。「ええ道」はどこまでも続くほぼ100%乗車可能の山道。一体どこに下りつくのかと 思いきや、古宝山との間の峠より切畑側のポイント。こんなところに山へ入る道があるなんて思いも寄らな かった。
湯屋谷4等三角点冬と春のせめぎあい
春の日差しに粉雪が舞う。奥は六甲

800mほど舗装路を走って4等三角点のある点名「湯屋谷」(308.4m)にも立ち寄る。山頂南に鉄 塔があるから巡視路を辿れば簡単に山頂に着く(9時48分)。展望のある鉄塔まで戻ると大峰山から六甲 方面に視界が開けている。春の日差しを覆うように雪が舞い始めた。冬と春の最後のせめぎあいか。来週は 春らしい天気になるだろうか。 (本日の走行距離  42km) 2007年3月21日(水)春日/野村断層+棚原W△(2.5万図 柏原) 今、丹波市で一番の話題といえば“丹波竜”であろう。篠山層群と呼ばれる中生代の地層から見つかったテ ィタノサウルス類とみられる恐竜の骨。発掘が進むにつれて非常に状態のいい骨がぞくぞくと出ているとい う。秋からの発掘再開が待ち遠しいかぎりである。 実は私も1月中旬、三田にある人と自然の博物館へ行って、研究員の方の説明会を聴きに行ってきた口であ る。「試掘の段階でこんなに大勢の人が聴きに来るなんて初めてです」と仰っておられた。今中心になって 発掘に携わっていらっしゃる方は、ゾウの化石が専門とのことで、やはり恐竜のインパクトは桁違いに大き いことを氏も実感されたようである。 何しろ1億4000万年前という地球史スケールの発見である。他人の墓を暴くような(失礼!)考古学の スケールはたかだか数千年。ゼロの数が5個多い分だけロマンも大きいというものであろう。 さて、今日は久しぶりにその丹波市を訪れる。とはいうものの、川代渓谷に向かう県道はまだ通行止めなの で、古生代の造山運動が作り出したという春日町の野村断層を訪ねることに。 “断層”といえば私が住んでいる六甲山系などは断層だらけ、しかも近くを有馬高槻構造線なんてのも走っ ているし、オンロード・ツーリングなんて、断層上の道を走るから長距離ツーリングができるようなもので、 これまでにも中央構造線、山崎断層なんぞという“有名どころ”も実走済みである。 本題に戻ろう。6時18分、放射冷却の効いた中をロードで出発する。やや向い風に気負うことなく赤坂峠 を上りきれば、まずまずの好タイム。気温マイナス3℃は今年最も寒い中の走り。順調に三田、古市、鐘ケ 坂を越えて、柏原に(8時32分)。まだ訪ねたことの無いお寺などを覗きながら9時07分、旧春日町野 村の野村断層に着く。 古池、新池と呼ばれる溜池が並んだところに高さ30m、幅20mといわれる剥き出しのチャート層の岩が 突き出している。岩の麓には石仏などが祀られている。断層は南東にある小山(点名、棚原)と向山連山の 裾野の間から、北西の万松寺の方向に走っている。
野村断層崖このラインが断層

新池の堰堤に立って両方向を眺めればよくわかる。さて、その新池の堰堤の先にお稲荷さんの鳥居が続いて いるのが見える。小山の上には中継塔も建っているので山頂に立てそう。シカ除けの扉を開けて中に入る。
シカ除けフェンスを開けて
稲荷社に向かう
稲荷鳥居の横に断層崖が続く祠も祀ってある

予想していたよりも赤い鳥居のトンネルは長い。進行方向左手は断層崖になっている。こういう岩場にはお 約束の不動明王や岩屋のようなものが祀られている。今歩いているところはまさに断層線上である。お稲荷 さんのお堂を左手にみて、なおも南東に歩くと鞍部に達する。 いわゆるケルン・コルである。南東からプラ階段が合流、ここで直角に90度曲がってプラ階段は小山の山 頂に伸びている。
棚原山頂への鞍部。ここがケルンコル一気に登れば山頂

プラ階段を登り切る(9時25分)。この小山はケルン・バット(断層丘陵)である。奥野村にある円錐形 の小山も同じく断層によって分断されて出来た丘陵であろう。山頂には携帯電話会社の中継塔と、防災無線 施設の建物が立っている。 三角点が見つからない。地形図とにらめっこしながら、三角点のある場所と思しき辺りに茂っているシダを 足でかき分けながら探していたら、何かにつまずいてつんのめりそうになる。
躓いてシダをかき分ければ、あら、三角点棚原はケルンバット

「あった。」4等三角点「棚原」198.3mである。確認して元の堰堤に戻る。気温が上昇してきた。堰 堤に座ってのんびりと春を満喫した。  (本日の走行距離 134km) 2007年3月31日(土)能勢/西能勢妙見山(2.5万図 妙見山) 誰もレポートしたことのない山を取り上げるのは、低山徘徊の楽しみの一つかも知れない。なにしろ“やまあ そ”さんはじめ錚々たるお歴々が、その長年の造詣と薀蓄を傾けて無名の低山に光明と息吹を吹き込むのだか ら早々た易くはない作業である。 さて、本日紹介する西能勢妙見山は私の知る限り初レポートの山。能勢今西の中心部から南西約1.5kmに 位置する419m標高点の山である。地形図上は無名であることは言うまでもない。 その地形図で見る限り頂上部は平坦、中腹の谷間に卍マークがある、とくれば、当然その昔山頂にお寺が建っ ていたか、山城があったかと想像されるところ。昼からは天気が下り坂になるということで、ちょうどいいシ ョートコースになるだろう。6時07分ロードで出発する。 もう南から弱い風が吹き始めているのだろうか。久しぶりにいいスピードを保ったまま7時23分杉生に到着。 水分補給を摂った後、中山峠(これもスムーズにクリア)を越え、まだ店の閉まっている今西商店街を通過、 栗栖のコンビニでブランチを調達、再び今西に戻り、稲地の集落に着く(8時02分)。 これから目指す419m山(この時は名前は知らない)が見えている。5叉路になっているところに自転車を 停め、どこから取り付こうか地形図を広げようとすると、古い道の片隅に石標が立っているのが目に入る。
稲地橋より西能勢妙見山石標発見

「矢印」が立体的に彫刻され、その下に『西能勢妙見山参道/是より六百米』と記されている。中腹にある卍 は妙見宮のようであること、419m山は西能勢妙見山という山であることを知る。近くに愛宕山石灯籠があ るのは知っていたので、山頂に愛宕明神が祀られているのでは、と推理していたが、妙見山であったとは・・・。 地形図の実線の道(参道)を行く。小さな池を左右に見て進むと鳥居が現れる。鳥居の建立年代は明治である。 鳥居をくぐり、ふぞろいな石段を登り、更に左に急な石段を登ると妙見堂に着く(8時13分)。
鳥居妙見堂

今も訪れる人はあるのだろうか。谷間の周囲を植林で覆われたお堂周辺は冷気が溜まっている。山頂へ行く道 は無いようである。お堂の南側に回り、山頂から東へ伸びる尾根を使って山頂に向かう。 植林帯と雑木林の境目を行く。Ca370コブの辺りからは背丈も没するササヤブが密生、堪らず植林帯に逃 げ、谷間の上部をトラバースして一気に山頂に登り切る(8時37分)。山頂部分は地形図で見るほど広い平 坦地ではない。西に三草山と竜王山が見えるが、それ以外はヤブ。登頂標の類は一切無い静かな山である。
西能勢妙見山山頂山頂から西に三草山、竜王山が見える
この辺が一番高いところ明るい平坦地でブランチ・タイム

北へ移動すると、広い平坦地が現れる。ここなら明るい、とブランチタイム。ゆっくりしたところで、北東へ 張り出す尾根を使って下る。一段下ったところにも平坦地がある。何かが建っていたことは間違いないようで ある。 こちらは歩きやすい。途中から赤いプラ杭が現れ、妙見堂と思われる方向に修正しながら下っていくと不動尊 でも祀られていたようなポイントに出、すぐにお堂の下の道に戻る(8時55分)。登りは手間取ったが下り は僅かに5分の行程だった。鳥居横にデポしたロードを回収して稲地の集落に戻る。
稲地の近くには庚申塚もあります

西日本随一と云われる能勢妙見山から僅か8kmのところに西能勢妙見山があるとは思わなかった。寺の由緒 などが判ればもっと面白い発見があるかも知れない。それともう一つ、この山もまた“やまあそ”仮説、 妙見直列上にほぼ位置していることを付け加えておこう。  (本日の走行距離  73km) 織田(おりた)さんへのメールはbabrx800@jttk.zaq.ne.jpまで・・・。

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